難病から復帰 2人の絆~DeNA 三嶋一輝と中日 福敬登

プロ野球、DeNAの三嶋一輝投手と、中日の福敬登投手

2人は去年、国指定の難病「黄色じん帯骨化症」を発症しました。

偶然にも近い時期に発症した2人。ピッチャーとしての復活を信じ、互いに支え合いながら手術や厳しいリハビリを乗り越え、今シーズン、マウンドに戻ってきました。

先の見えない中、復活のマウンドにたどり着くために2人はどのように励まし合い、歩んできたのか。今回、1時間半にわたって対談し、病気の発症から復活のマウンドに至るまでの道のり、今後目指す姿など、今の素直な思いを語ってくれました。
(スポーツニュース部 記者 阿久根駿介)

実績のある2人が発症

DeNAの三嶋投手はプロ11年目の33歳。

DeNA 三嶋一輝 投手

150キロを超えるストレートが持ち味で、おととしには抑えも任された右ピッチャーです。

一方、中日の福投手はプロ8年目の31歳。

キレのあるスライダーを武器に2020年には最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した左ピッチャー。

中日 福敬登投手

チームのブルペンになくてはならない存在だった2人は去年、相次いで「黄色じん帯骨化症」を発症しました。

「黄色じん帯骨化症」は背骨付近のじん帯が硬くなり、神経を圧迫する国指定の難病で、下半身のしびれなどが生じ病状が進むと排せつ障害や歩行困難となる患者もいます。

これまでにもプロ野球のピッチャーで発症した例があり、手術に成功してもプロとしてのキャリアを断念せざるを得ないケースも多いなど、選手生命を左右してきました。

初めての対談

12月中旬に横浜スタジアムで1時間半にわたって行われた対談で、2人ははじめに発症当時の様子を話してくれました。

(左)福投手(右)三嶋投手

三嶋一輝 投手
「僕は2021年シーズンが終わって、翌年の1月に子どもとテーマパークに行ったときになんか歩けないなと。歩きにくいし前屈ができない。前屈をするとピリっとくるというところがきっかけ。そのときは寒いからとか、疲れているのかなとか、そういうレベルだったけど、そこら辺からおかしかったと感じる」

福敬登 投手
「僕はわりと一気に症状が来た。2022年の8月くらいに甲子園球場での阪神戦で競った場面でマウンドに立ったとき、左足の震えが止まらなかった。ブルブルって。緊張しているのかなって思って結果的に無失点でベンチに帰り、『緊張した』ってトレーナーさんに言いながらアイシングを巻いてもらっていたら『お前ずっと(足が)震えているぞ』って言われて。それでおかしいなって思いながらホテルに帰って、コンディショニング担当の人にマッサージをしてもらったんですけど、その間も震えていたし次の日まで震えが続いた。おかしいと思いながらずっと試合で投げ続けていて、9月のヤクルト戦で投げた瞬間、足の感覚がなくなった」

三嶋投手
「軸足だもんね。僕は踏み込み足でそれもまた違うんだよね。前から違和感はあったかもしれないが、それがはっきりわかったのは…」

福投手
「確信に変わるまで長いですよね」

三嶋投手
「いつからかって言われると難しいよね」

症状が出たことへの怖さは

さまざまな体の違和感に悩まされた2人。

原因が分からない中、不安にさいなまれたと言います。

三嶋投手
「症状が出てもずっと投げ続けていて、『山崎康晃投手とクローザー争いだ』と盛り上がっていたので、負けていられないと思いながらも足に力が入らないなと思っていた。なんとかごまかしが効くレベルだったが、5月の自分の誕生日が近づくにつれて、排せつ障害が出た。登板後、何回もトイレに行く。1回行ったけどまたしたくなる。1イニング投げ終わったあと8回行った」

福投手
「8回ですか」

三嶋投手
「“中継ぎあるある”で緊張してトイレに行くことがあるけど、投げ終わったあとに8回トイレに行くっていうのはおかしいなって思って。おかしいと思い、三浦監督に言って病院で検査してもらったけど最初はわからなかった。腰のレントゲンを撮ったり、いろいろ調べても腰には症状が出ていなかった。それでたまたま背中を大きく撮ったMRIでギリギリのところに。わかるよね」

三嶋投手の「黄色じん帯骨化症」画像

福投手
「はい。僕もそれでした」

三嶋投手
「それでわかったんですよ。それも映っていなかったら、もっと時間がかかっていたと思うし。先生はかなりびっくりして『野球どころじゃない。このくらいの圧迫だったら歩けない人はいるよ』って言われて、最初は『何言ってるんだ?』っていうふうに思って。現実逃避というか信じられなかった」

福投手
「僕は1か月の間に怒とうのように症状が出て、最終的には試合中に足を引きずりながら降板するっていうのがあって。『痛いの?』って聞かれるんですよね。でも痛くないじゃないですかこれ」

三嶋投手
「そうなんだよ」

福投手
「全く痛くなくて。『痛くないですよ』って。でも『感覚がないです』って言うと、すごく不思議な顔された。それで絶対におかしいとなって病院に行ったらなんかあるぞって。階段も上れなかったです。自分でズボンを持って助走をつけて上がったりしていました」

三嶋投手
「僕は車降りるとき左足から降りたら捻挫するっていうのを3回した。今は笑い話にできるけど」

福投手は従来の術式 三嶋投手は“MISHIMA”

2人とも症状が出てからは複数の病院を回ったといいます。

手術後の三嶋投手

三嶋投手は去年8月、後にみずからの名前がついた新しい術式「MISHIMA手術」を受けた一方、その2か月後に手術を受けた福投手は従来の方法を選択しました。

福投手
「僕はセカンドオピニオンで『黄色じん帯骨化症』って言われた。三嶋さんが新しい術式でやるっていうのも伺っていたので、先生に『三嶋さんがやっている術式の先生も紹介できますけど、どうしますか』って言われて、僕はなんか本当にストレートに『今までどおりにやってください』と言った。三嶋さんがパイオニアとして新しい術式をやるのと、僕が従来通りにやってどう違うのかっていう変な好奇心が出ちゃって」

三嶋投手
「そうだったんだね」

同じ難病の2人 “三嶋さんは恩師”

同じ難病とわかった2人ですが、チームが違うこともあり、当初ほとんど面識はありませんでした。

2人が絆を深めるきっかけになったのが、三嶋投手が大学時代に東京六大学野球の舞台でしのぎを削った同学年の中日・福谷浩司投手からの紹介でした。

中日 福谷浩司 投手

三嶋投手
「福谷から『福って知ってる?彼も黄色じん帯骨化症と診断されて、力になってくれる?』と連絡がきて、そこから連絡を取り合うようになった。福谷が僕らをつないでくれた

福投手
「三嶋さんが術後だったので『術後はどんな症状になりますか?』とか思ったことを送って、三嶋さんは丁寧に答えてくれて。本当に言い方がどうかわからないですけれども、僕の中では三嶋さんは恩師です」

三嶋投手
「初めて言われたよ」

福投手
「しかもこのメニューはこうやったらこうなるよっていうのを全部教えてくれた。なおかつ、手術が三嶋さんの2か月後だったので三嶋さんを追っかけていけばこうなるっていう道筋が見えた。例えば、三嶋さんが8月に手術して12月にキャッチボールをされたので、僕は2月にすればいいんだと思って。なので悲観的に思わず三嶋さんのとおりに、なんならマネするみたいな。そのおかげで僕は復帰できている」

手術後、懸命なリハビリに取り組んだ2人。

先にマウンドに上がったのは三嶋投手でした。

三嶋投手 今季初勝利(4月26日)

ことし4月1日の阪神戦で1イニングを投げ無失点。結局4月は8試合に登板して失点ゼロ、3勝をあげる活躍を見せました。

この時期、三嶋投手は福投手への強い思いを胸にマウンドに立っていたと言います。

三嶋投手
「福のためにも僕がリハビリを焦らずしっかりとやって1軍で投げて、その姿を見てもらうのが1番いいと思っていた。自分のためではあるけれども、1番『福に届くのかな』というのは、ことばよりも思っていました」

福投手
「三嶋さんが復帰して『キタキタキタ!』って思って。じゃあここから2か月後、僕の番だなって思った。めちゃくちゃ頑張ったら僕も投げられるかもって思いました」

2人が同じマウンドに立った日

その1か月後、福投手も1軍に復帰。

そして5月27日には三嶋投手のいるDeNAとの一戦で2人はリリーフとして同じマウンドに立ちました。

2アウト満塁でリリーフした福投手(5月27日)

この試合の状況を互いに鮮明に覚えていました。

三嶋投手
「満塁の場面で投げたでしょ。バッターがオースティンで。それを見ていてさ、めちゃくちゃすごい苦しい場面でいきなり行くんだなって思って。すごい大チャンスだったから、自分のチームが勝つために応援しながらも『福、頑張ってるな。ああ、スリーボールになっちゃった』って思いながら、なんか変な感じで」

満塁のピンチ切り抜けた福投手(5月27日)

福投手
「すごい不思議な感情なんですよ。お互い」

三嶋投手
「福を応援していたとは言わないですよ。自分のチームが勝つのが1番なので。でも変な気持ちというか『福、抑えた!えー…すごいやん』みたいな。あの試合どうだったっけ」

福投手
「あの試合(中日の)サヨナラ勝ちでした」

三嶋投手
「あれ…。サヨナラ食らったのって俺だったっけ」

福投手
「三嶋さんだったかもしれないです」

(試合は9回に登板した三嶋投手が1点を奪われ、3対2で中日がサヨナラ勝ち)

三嶋投手
「そうかもしれない。嫌な気持ちになってきた。忘れよう」

福投手
「でも投げ終わって気が抜けた瞬間『きょう一緒に投げたな』って思いました」

福投手 ヒーローインタビューでの真意

福投手はこの試合の前日、ヒーローに選ばれてお立ち台に上がりました。

福投手(中央・5月26日)

そしてDeNAのファンがいるレフトスタンドに向かって「三嶋さんのおかげで僕はここまで投げられるようになりました。本当にありがとうございました」と三嶋投手への感謝を伝えました。

そしてサインボールに「三嶋さんのおかげです。本当にありがとうございます」と書き込み、DeNAファンが多いビジター側の観客席に投げ込みました。

その真意について話してくれました。

福投手のサインボール(20代男性 撮影)

福投手
「三嶋さんが横浜スタジアムでの中日戦で、中日ファンに僕へのコメントを書いて投げてくれて」

福投手が挙げたのが三嶋投手の本拠地復帰戦となった4月9日の中日戦。

1イニングを無失点に抑え、勝利に貢献した三嶋投手は試合後、横浜スタジアムのレフトスタンドの中日ファンに「福投手も、きっと大丈夫」とメッセージを書いたサインボールを投げ込んでいました。

歓声に応える三嶋投手(4月9日 中日戦)

三嶋投手
「ファンの方も心配しているだろうからと思いつつ、やっぱり応援しているチームが負けているわけだからいい気持ちでないわけで。それでもファンの方、福にも届けばいいなと思って」

福投手
「三嶋さんはヒーローでは言わずサインボールを投げられたので、僕は逆に『ヒーローで言おう』と決めて臨みました。賛否両論は受けるかもしれないと思いましたが、1つの物語として締めたいと思って言いました。ここから先はいい展開で投げていって、そこで難病のせいにはできないぞというのを1つ区切りとしてつけることができた」

2人にとって幸せな光景は

今シーズンは三嶋投手が27試合。

福投手が29試合に登板しました。

病気からの復帰を印象づけた一方、発症前には50試合以上登板していた2人にとってはまだ道半ば。

来シーズンはさらに登板数を増やして完全復活を果たしたいと考えています。

三嶋投手
「1回抑えを経験して、チームには山崎康晃って、日本を代表する抑えがいて、ほかにも森原や若い伊勢や入江がいるけど、来年はそこを目指して結果で証明していきたい。そして1年間しっかり戦ってチームを優勝させたい。もちろんお互いいい投げ合いをしたいなって思っているし、そこは頑張りたい」

福投手
「三嶋さんも僕も30試合投げられていないのでは『今シーズン完全復活です』とは言えないですよね」

三嶋投手
「たしかに。全然言えないよね」

福投手
「めちゃくちゃもの足りないから、とりあえず目の前の40試合を目指して、ボーナスとして50試合を投げられたら。1年間1軍にいられたら、それは復活って言ってもいいんじゃないかなって思います」

三嶋投手
「それで自分が抑えて、打線が頑張って打ってくれたときを見ている、一番幸せな光景を見たいね」

福投手
「そうなんですよ!ベンチのうしろで見ていて、みんながワーっとなっているのがめちゃくちゃ気持ちよくて。来シーズンはお互い投げ合うチャンスがあると思う。お互いホールドがつく場面とか、セーブがつくような緊迫した場面の投げ合いっていうのを見せられたらなと思います」

三嶋投手
「来シーズン、2人が活躍したら、また対談をやらせてください」

別々の球団でも支え合い、思いを通わせながら復帰を果たした2人。

投げる姿を見せたい人たちがいると言います。

三嶋一輝投手
「黄色じん帯骨化症の方からメッセージをもらったりとか、スタジアムでも車いすの方にも会ったりとかして『本当に勇気もらってます』って言われたときに、めちゃくちゃうれしくて、そういう人たちのためにも、しっかり身を削って頑張るっていうのは、これからやっていかなきゃいけない」

福敬登 投手
「僕らの投球を同じ症状の方に励みになってもらおうっていう部分もあるし、逆に打たれたときのもがき苦しんでいるところを見せたい。そこは華々しいだけではないっていうのも。あそこの必死さっていうのは僕らも伝えられるのかなって思います」

(12月21日「ニュースウオッチ9」で放送)