日米自動車摩擦 ブッシュ大統領 宮沢首相に異例懇願 外交文書

日米自動車摩擦をめぐり、1992年、当時のブッシュ大統領が宮沢総理大臣に対し、「是非助けて欲しい」とアメリカ製の自動車部品の購入を拡大するよう異例の懇願をしていたことが公開された外交文書で明らかになりました。専門家は、この年、大統領選挙を控えていたことから「ブッシュ大統領は再選されるため日本から具体的な数字を勝ち取ることが必要だった」と分析しています。

1992年1月に東京で行われた宮沢総理大臣とブッシュ大統領との首脳会談は、日米の自動車摩擦の解消が焦点となり、日本がアメリカ製の自動車部品の購入総額を90億ドルから190億ドルに拡大することなどで一致しました。

今回公開された外交文書からは、アメリカ側が大統領選挙を意識していたことがうかがえます。

首脳会談の前の月(1991年12月)、アメリカ政府高官は外務省幹部に「来年は大統領選挙の年だ。具体的成果がないことになれば訪日自体が失敗だったと強く批判されることになる」と譲歩を迫っていました。

そして1月の首脳会談では、ブッシュ大統領が宮沢総理大臣に対し「自分は再選されることに何ら疑いは持っていない」としつつ「本国で大変な圧力に直面している。自分が求めているのは最善の数字だ。是非自分を助けて欲しい」と述べ、アメリカ製の自動車部品の購入を拡大するよう異例の懇願をしていました。

これに対し宮沢総理大臣は「あなたが成功することは私が成功するために必要である」と述べ、アメリカの要求を受け入れました。

しかし、この年の11月に行われた大統領選挙でブッシュ氏はクリントン氏に敗れました。

日本外交史に詳しい法政大学の高橋和宏教授は「大統領選挙に向けた動きが始まっていく中、ブッシュ大統領は再選されるためには日本から具体的な数字を勝ち取ることが必要だった。宮沢総理大臣としても、ブッシュ氏以外の候補者が厳しい対日姿勢を示していたため、このタイミングでアメリカ側に協力姿勢を示した」と話しています。