札幌市 冬季五輪・パラ 招致活動停止を表明 招致失敗の要因は

冬のオリンピック・パラリンピックをめぐり、札幌市は19日、関係団体と意見を交わし、招致の時期が見通せないまま活動を継続することはできないとして、今後の招致活動の停止を正式に表明しました。

冬のオリンピック・パラリンピックをめぐってIOC=国際オリンピック委員会は、2030年大会をフランスのアルプス地域、2034年大会をアメリカのソルトレークシティーにそれぞれ候補地を一本化し、38年大会についてもスイスと優先的に対話を進めることを決め、札幌市が目指してきた大会の招致は見通せなくなりました。

こうした中、19日、札幌市内のホテルで秋元克広市長や北海道の鈴木直道知事のほか、地元の経済団体やJOC=日本オリンピック委員会など、関係団体の代表者などが参加し、今後の方針について意見を交わしました。

はじめに、JOCの担当者から「招致活動を停止する方向で議論を進めたい」と提案があり、参加者からは「停止はやむをえない」などと賛成の意見が相次いだほか「タイミングを見て招致活動を再開してほしい」という意見も出されました。

これを受けて秋元市長は、招致の時期が見通せないまま活動を継続することはできないとして、2014年から続けてきた招致活動の停止を決定しました。

会議のあと秋元市長は記者団に対し「撤退や白紙だと、将来の開催の可能性がなくなるので『停止』とした。札幌への招致を将来、実現できる可能性は非常に高いと思っているが、15年以上先のことになり、現状で見通すことは難しい」と述べました。

招致失敗の要因 “市民支持広がらず”“選定プロセス見誤り”

札幌市による冬のオリンピック・パラリンピックの招致が失敗に終わった最大の要因は「市民の支持が広がらなかったこと」です。

市が大会招致を正式に表明したのは2014年、当時、市民1万人を対象に行ったアンケート調査では賛成が反対を大きく上回り、当初は2026年大会を目指しました。

しかし、4年後の2018年、北海道胆振東部地震が発生し、震災の影響などを踏まえ、市は2030年大会の招致に方針転換したことで活動が長期化します。

2020年からは新型コロナウイルスの感染拡大で市民との対話事業が中止されるなど、支持を広げるための活動は思うように進みませんでした。

そして去年7月以降は、おととし夏の東京オリンピックをめぐる汚職・談合事件が発覚し、国民の大会に対する不信感が高まり、招致活動は休止に追い込まれました。

こうした事情から、大会のビジョンや開催計画に対する市民の理解は深まらず、招致に向けて最も重視される支持を広げることができませんでした。

また、IOC=国際オリンピック委員会が進める開催地選定のプロセスについて、大きな見誤りがあったことも招致失敗の要因に挙げられます。

札幌市とJOCはことし10月、2030年大会の招致を断念して34年以降を目指すことを表明し、これによって機運醸成に向けた活動と大会計画の見直しを行う時間的な猶予ができると考えていました。しかし、直後にIOCは2030年と2034年の2大会の候補地を同時に一本化し、38年大会についてもスイスと優先的に対話を進めることを決め、札幌への招致は全く見通せなくなりました。

IOCは、温暖化など気候変動が冬のスポーツにもたらす影響を懸念し、持続可能な大会にするため早めに開催地を確保したいという姿勢を強めていて、そうした意向を、札幌市やJOCがつかみきれなかったことも大きな痛手となったといえます。

招致活動「停止」に残る淡い期待感

札幌市が招致活動を「撤退」ではなく「停止」とした背景には、2038年大会以降の招致に対して残る淡い期待感がうかがえます。

その理由の1つが気象条件です。

近年、冬のオリンピック・パラリンピックをめぐっては、温暖化の影響で世界的に雪不足が進み、大会を開催するための安定した気象条件が整う候補地が減っていることが課題となっています。カナダの大学を中心とした研究チームは、今世紀末には過去の冬のオリンピックの開催地のうち、安全な競技環境を提供できるのは札幌市のみになる可能性があると予測しています。

こうしたことからIOC=国際オリンピック委員会は、冬の大会を気象条件が安定した複数の候補地で持ち回りで開催していくことも検討し始めていて、実現すれば、札幌市は重要な候補地の一つとなります。IOCの「将来開催地委員会」のカール・シュトス委員長も、札幌市の気象条件を高く評価していて、招致関係者からは将来的に札幌市の優位性が高まっていくと期待する声も聞かれます。

また、JOC=日本オリンピック委員会の関係者によりますと、2038年大会も可能性があるとしています。IOCは選定に向けて、スイスと優先的に対話を進めるとしていますが、その期限については2027年までとしました。

スイスの招致計画は競技会場が分散しているなど議論の余地が多いとしていて、期限までに課題解決の見通しが立たなかった場合、札幌市が立候補できる態勢を整えておけばチャンスはゼロではないという見方も出ています。

招致暗転 ことし2月が大きな分岐点に

当初、札幌市は2030年冬のオリンピック・パラリンピックの候補地の最有力とみられていました。新型コロナウイルスの影響がある中、東京オリンピックを大きな混乱なく乗り切った日本の運営能力の高さに対するIOC=国際オリンピック委員会の信頼は厚く、東京大会後の2021年12月の会見でバッハ会長は、札幌市の招致計画について「すべてがそろっている」と話し、高く評価していました。

その後、東京大会での相次ぐ不祥事が明らかになったことで、巨額の公金を投じる大会への不信感が広がり、札幌市民の間でも招致に対する支持が急激に低下しました。それでも、IOCの札幌への期待は「途切れてはいなかった」と関係者は証言します。

IOCは、去年12月の理事会で2030年大会の開催地決定の時期を、当初予定していたことし10月の総会から先送りすることを決めましたが、この関係者によりますと「気候変動への対応を検討するためというのが表向きの理由だったが『本命』候補だった札幌が市民などからの支持率を上げるために時間的猶予を設けたことは明らかだった」と明かしました。

しかし「蜜月」とも言える札幌市とIOCとの信頼関係が一転して崩れる事態が、ことし2月に起こっていたと言います。

関係者によりますと、JOC=日本オリンピック委員会の山下泰裕会長と東京大会の組織委員会の会長を務めた橋本聖子氏が、スイスのローザンヌにバッハ会長を訪問し「招致活動を2034年以降の大会に切り替えたい」と提案したところ、バッハ会長は怒りをあわらにし、部屋を出て行ってしまったということです。さらに同席したIOCの幹部も「ありえない」と提案を批判し、取り合ってもらえなかったということです。

札幌市とJOCはことし10月になって、2034年大会への招致活動の方針転換を表明しましたが、その直後のIOCの総会で2030年と2034年の2大会同時で開催地を決定することが承認され、さらにその翌月の11月には、それぞれフランスのアルプス地域とアメリカのソルトレークシティーに候補地が一本化されました。こうした舞台裏からはことし2月が大きな分岐点になったと言えそうです。

札幌市とJOC 今後の活動は

札幌市の秋元市長は、招致活動の再開時期の見込みを問われると「IOC=国際オリンピック委員会が将来の開催についてさまざまな検討を進めているので、そういったものが一定程度明らかになってこないと具体的な招致活動には入っていけない」と説明しました。そして「招致活動をどういう形で進めていくべきだったのか、持っている情報を整理したうえで第三者的な意見をいただきたい」として将来的な招致の可能性を探るうえで、これまでの活動を検証して市民に説明する考えを示しました。

一方、JOC=日本オリンピック委員会でも、おととしの東京大会をめぐる不祥事などで失われたオリンピックの信頼を取り戻すための活動に優先的に取り組むほか、今回の招致活動を踏まえてそのプロセスや情報収集のあり方について検証することにしています。そのうえで、オリンピック・パラリンピックの将来的な自国開催の機会を探るとともに、複数都市での連携など国内の立候補地の選定における新たなあり方なども検討していく予定です。

尾縣専務理事「新たな一歩としてとらえたい」

19日の意見交換会にオンラインで出席したJOC=日本オリンピック委員会の尾縣貢専務理事は「招致活動の停止は残念だが、決して後ろ向きにとらえず、新たな一歩としてとらえたい。オリンピックムーブメントの醸成にさらに努めていかないといけない」と話しました。そのうえで、招致活動が停止に追い込まれたことについて「1つの要因ではない。コロナ禍もあり、おととしの東京大会の一連の不祥事もある。東京大会の前後にその価値やおもしろさを国民に十分、伝えられなかったのかもしれない。私たちにも反省すべき点はあったが、どこが悪いという問題ではなかったと思っている」と話し、招致活動に関する検証や報告書の作成については「今後、何をやっていくかは今から検証したい」と話すにとどまりました。