自閉症のわが子が描いた絵 親たちの希望に

自閉症のわが子が描いた絵 親たちの希望に
息子が「自閉症」と診断されたのは、3歳のときでした。会話をするのが難しく、すぐに目の前からいなくなってしまうため、泣きながら探し回ったという母親。

そんな“わが子の世界”が見えるようになったのは、息子が小学6年生のとき、描き始めた絵がきっかけでした。

現在、中学生になった息子。色鮮やかな絵は、母親だけでなく、障害のある子を持つ親にとっても、希望になっています。

(広島放送局記者 橋本奈穂)

自閉症の中学生が絵を描く

たくさんの絵の具などで絵を描いているのは、広島県福山市に住む井上陽向(ひなた)さん(14)。それを見守っているのが、母親の信子さんです。
陽向さんは特別支援学校に通う中学部の2年生で、知的障害を伴う自閉症(自閉スペクトラム症)と診断されています。

家族など親しい人と簡単な日常会話はできますが、言葉で複雑なコミュニケーションをとるのは苦手です。

陽向さんの成長の過程には、信子さんの苦労の日々もありました。

3歳で「自閉症」と診断されて

陽向さんが自閉症と診断されたのは、3歳のときです。もともと1歳の時に大病を患い、その後、相手と目線を合わせづらくなるなど、少しずつ発達の遅れを感じていました。
自閉症と診断されたあと、信子さんは毎日のようにインターネットで自閉症について調べました。

しかし、出てくるのは、将来を悲観するような情報ばかりでした。希望を持って子育てができず、「目の前が真っ暗になった」と振り返ります。

泣きながら息子を探す日々

特につらかったのが、陽向さんがすぐにいなくなってしまうことでした。幼いころは多動で、目を離すとドアを開けて外に出て行ってしまいます。当時は、警察にも、失踪を繰り返す児童として登録されていたと言います。
陽向さんが外に出られないよう玄関にいくつも鍵をかけ、外出のときは必ず手をつなぐようにしました。それでも、どんなに気をつけても、姿が見えなくなってしまいます。

そのたびに「生きて会えるかな」と思い、時には泣きながら探しました。

陽向さんはかけがえのない存在で、愛情をそそいで育ててきました。しかし、そのことが陽向さんに伝わっているのか、深く悩んでいたと言います。
信子さん
「この子を育てられているのか、不安がありました。愛情を伝えても返事が返ってこないので、ちゃんとこの愛情が伝わっているのかなと。同じような障害の子を育てているお母さんが周りにほとんどいなかったので、孤独ですごく苦しかったです」

「息子の世界」が絵で見えた

手探りの子育てが続く中、2年前に転機が訪れます。陽向さんが突然、絵を描くことにのめり込むようになったのです。

描いたのは、幼いころから好きだった車や船などの乗り物をモチーフにした絵です。はじめは鉛筆で描いただけでしたが、やがて乗り物に顔がつき、絵の具を使って鮮やかな色が塗られていきます。
陽向さんの心の中に、着実に「自分の世界」が育っていったことに、信子さんも喜びを覚えました。そして信子さんにも、陽向さんに見えている世界が、見えるようになったと感じたといいます。
信子さん
「陽向はことばがうまく話せないから、自分の世界を表現する方法が本当に限られているんですよね。でも、描く絵は優しくて、癒やされる絵で、この子の心にこういう世界が育っていることが実感できました。絵を介して、陽向の心の中を知ることができるようになって、とてもうれしいです」

インスタで発信 大きな反響

信子さんは絵を多くの人に見てもらいたいと考えました。そこで始めたのが、友人からすすめられたインスタグラムです。

「#自閉症児ママとつながりたい」と、ハッシュタグをつけて発信しました。
絵は予想外の反響を呼び、たくさんの「いいね」がつきました。

その後、信子さんにとってうれしいことが相次ぎます。ひとつが、同じ障害の子どもを育てる人たちとの交流が広がったこと。

そして、障害児向けの絵本を作る、作家の庄司あいかさんから「陽向さんのイラストで絵本を作りたい」と声がかかったことです。

陽向さんの世界 絵本で伝える

こうして、今春にできあがった絵本のタイトルは「ひなタウンへようこそ」(絵本屋だっこ刊)。
穴に落ちてしまったトレーラーを、パトカーや消防車などほかの乗り物たちが協力して助けるストーリーです。

陽向さんのこれまで描いてきた乗り物たちが、勢ぞろい。それぞれ豊かな表情をみせています。
信子さんは、この絵本を作る過程でも、陽向さんの「成長」に驚かされたといいます。絵本作家のストーリーをかみ砕いて説明すると、陽向さんもそれに合わせて、乗り物の表情を変えていったのです。
信子さん
「陽向に、穴に落ちて『えーん』って言ってる顔を描いてって言ったら、ちゃんと『えーん』っていう顔を描いたんですね。すごいなって。私が気づいていなかっただけで、この子の中にはちゃんとこういうことを理解したり、表現したりする力があったんだと思いました」
信子さんは、自分の伝えている内容が決して「一方通行」ではないと、絵を通して感じました。

自閉症児の親の「初めての希望」に

絵本の出版後、インスタグラムのフォロワーからは「励みになった」「感動した」などとたくさんの感想が寄せられました。

そのうちの一人、7歳の自閉症の男の子を育てている女性が、話を聞かせてくれました。
障害児の子育てを相談できるような「先輩ママ」が周囲にいない中、信子さんのインスタグラムを見つけました。

はじめは、子どもが陽向さんの絵を「かわいい」と言って、家族で見ていました。

その後、この女性が感動したのが、好きな絵を描くことで自分の世界を広げていく陽向さんの姿でした。自身の子育てにも、希望を感じたと話します。
自閉症の子を育てる母親
「とにかく大変な毎日で、育児から逃げ出したいなって思うこともたくさんありますが、陽向さんの姿を見て、もしかしたらうちの息子も、こんな風に好きなことを見つけていつか楽しく輝いていけるのではないかという希望を初めて持つことができました」

自閉症への理解 深まるきっかけに

陽向さんは新しい描き方を試しながら、展覧会に出す作品に積極的に取り組んでいます。
10月から12月にかけて広島県内の2つの会場で開かれたアート展に、それぞれ作品が展示されました。

今は、インスタグラムで信子さんが知り合ったプロの画家からもアドバイスを受け、色彩感覚と表現力に磨きをかけています。
母親の信子さんは、陽向さんの絵や活動を通じてその世界を知ってもらえれば、自閉症の子どもへの理解も深まるのではないかと期待しています。
信子さん
「陽向の活動を通じて、自閉症の子もこんな風に絵を描けるということを知ってもらいたいです。そうして、自閉症の子や障害のある人が、ふだんの日常の中にいる存在になれば、もっと暮らしやすくなると思うので、知るきっかけになってくれたら私はうれしいです」

「私は陽向がいい」

「仮に、健常児のお子さんと取り替えてあげると言われても、やっぱり私は陽向がいい」

インタビューの中で、信子さんはまっすぐ前を見てこう話しました。泣きながら息子を探した苦しい日々も、絵が完成するのを隣で見守ったことも、すべて糧にしてきた母親の言葉でした。

一方、一緒に走り続ける信子さんを信頼しながら、自分の世界を絵で表現していく陽向さん。その姿には、未来を切り開いていく希望が感じられました。

(12月7日 「お好みワイドひろしま」で放送)
広島放送局 記者
橋本奈穂
2009年入局
青森局や首都圏センターなどを経て、2回目の広島勤務
故郷の福山で育児と取材に奮闘中