“死も覚悟 過酷な状況” ガザ地区南部で活動した日本人医師

国際NGO、国境なき医師団の一員として、ガザ地区南部のハンユニスで3週間近くにわたって活動した日本人医師の中嶋優子さんが都内で会見し、みずからの死も覚悟するほど過酷な状況だったことを明らかにしました。

中嶋さんは国境なき医師団の国際チームの一員として、11月14日にエジプトとガザ地区の境界にあるラファ検問所を通じて、南部ハンユニスのナセル病院に入り、12月7日にガザ地区を離れるまで、麻酔や救急の医療を担当していました。

中嶋さんは13日に都内で会見し、「戦闘休止前の11月23日と、再開したあとの12月1日が特に攻撃が激しく、スマートフォンに残した日記には『さすがに死ぬかもしれない』と書いてあった」と話し、みずからの死も覚悟する状況だったことを明らかにしました。

また、ナセル病院では、一連の衝突が始まった10月7日から12月10日までに合わせて5166人の負傷者を受け入れましたが、その他に、病院に到着した時にはすでに死亡していた人が1468人に上ったということです。

中嶋医師は「戦闘が再開したあとは20人ほどが一気に搬送されることもあった。手術室は常にいっぱいで、廊下やロビーは患者と避難者であふれていた」と話しました。

そして、「これまでシリアなど各地で活動してきて、ここまで戦争の破壊力を思い知らされたことはなかった。活動をしていて、ここまで自分が弱っていることは初めてです」と、涙を浮かべながら話していました。

そのうえで、「現地の人たちから、『日本の人に私たちの状況を伝えてほしい。忘れないでほしい』というメッセージを受け取っている。できるかぎり経験したことを証言する活動を続け、即時停戦を求めていきたい」と話していました。

活動の一部を写真や動画で記録

ガザ地区南部のハンユニスにあるナセル病院で3週間にわたって患者の治療にあたってきた中嶋優子医師は、活動の一部を写真や動画で記録していました。

最初の4日をすごした病院近くの診療所で、ベッドもないため床で寝るためのマットを敷いた様子や、手術室が停電したためスマートフォンの明かりをつけて手術をサポートしている姿などが確認できます。

また、戦闘休止期間中には子どもたちと交流している笑顔の写真が写されていて、中嶋さんは「スマートフォンの日記には戦闘休止期間の1日目に『ドローンの音がなくなったからか、きょうは子どもたちの笑い声がいつもより聞こえた』と書いてありました」と話していました。

さらに、搬送されてくる子どものなかには家族が皆亡くなってしまっているケースも複数あったということで、けがを治療した乳児を抱いている動画については、「この子には家族がいなかったので、少しは親族と勘違いして落ち着いてくれるかなと思ってだっこしていました。ただ、この子たちの人生はどうなるんだろうというのは常々考えていました」と振り返りました。

また、エジプトとガザ地区の境界にあるラファ検問所を抜けて、8日に日本に到着したときの心境については、「ほっとしたけど複雑でした。安全なところに行けるけど、一緒に働いてきた現地スタッフたちは選択肢がない。前から知っていたことですが、罪悪感も感じました。帰国できたのはうれしいけど、何か違うという感情もあり、ガザ地区で経験したことは少し時間をかけて整理していきたい」と、涙を浮かべながら話していました。