AYA世代のがん患者 “つながることで乗り越えたい”

AYA世代のがん患者 “つながることで乗り越えたい”
日本人の2人に1人がなるとされる「がん」。患者のうち、15歳から30代の人たちは「思春期と若い成人」(Adolescent and Young Adult)の英語の頭文字をとって「AYA(あや)世代」と呼ばれていて、毎年全国でおよそ2万人が「がん」の診断を受けているとされています。

就職や結婚、出産など、多くのライフイベントに直面するAYA世代。こうした世代は、がんがきっかけで結婚が破談になったり、出産を諦めたりする人もいます。

3年前、がんと診断された28歳の女性。苦しい胸の内を語ってくれた取材から見えてきたのは、AYA世代のがん患者どうしがつながることで、互いの悩みを乗り越えようという姿でした。
(宇都宮放送局記者 平間一彰)

20代でがんと診断 苦しい胸の内

「3年前、がんと診断されたんです」

明るい口調で語ってくれたのは、川島ゆかりさん(仮名・28歳)。
ことし9月、栃木県壬生町で開かれたがん患者を支援する催しで出会った女性です。

川島さんのがんは、右足の太ももに見つかったおよそ5センチの腫瘍。比較的、初期のがんで、転移はしていませんでした。元気にハキハキと話す様子からは、がんを患ったようには見えませんでした。
川島さんは、数か月に1回、病院の外来診療を受診しています。いまも再発のリスクがあるからです。

毎回、検査を受け、結果について医師の説明を受けるときには、祈るような気持ちになるといいます。

取材で同行させてもらった日の診察では、再発はしていませんでした。
川島さんが受けた治療は、手術と抗がん剤の投与です。抗がん剤治療を受けたあとは、髪の毛がすべて抜け落ちました。

毎朝、枕の上に髪の毛が束になって落ちているのを目にし、ひとり泣くこともあったといいます。
川島ゆかりさん(仮名)
「目を背けたい気持ちでした。このままの見た目だったらどうしようってすごく不安でした。女性としてかわいくありたいという気持ちは、もうなくなっていました。化粧品とかも買う気がなくなりました。女性として見てもらえないのでは…と思いました」
治療による“見た目”の変化に悩むがん患者は少なくありません。

AYA世代の女性なら、なおさらのことです。

“幸せ”つかんだと思ったのに…

抗がん剤治療を終えた川島さんは、去年、学生時代から交際していた男性と結婚することに。幸せをつかんだと思いました。
ところが、相手の両親にあいさつに向かう前、川島さんは、結婚相手から思いがけないひと言を言われたといいます。

「がんのことは自分の親に言わないでほしい」

がんの治療によって、子どもが産めない体なのではないかと思われ、結婚に反対されることを相手は心配していたのです。
川島ゆかりさん
「ショックでした。なんで隠さなきゃいけないんだろうって。がんになったことが汚点というか、印象が悪いのかなって感じちゃいました」
がんになったことを隠さなければいけないのか。
川島さんは、誰にも相談できず、もんもんとした日々を送りました。

妊娠について、川島さんは主治医に相談したところ「妊娠への影響はない」と言われたといいます。

抗がん剤の種類などによっては、妊娠に影響が出るおそれがありますが、川島さんが受けた治療は、不妊になるリスクはほとんどないと考えられています。

“ひとりじゃなかった…”

そんな川島さんの心のよりどころになったのが同じ職場で知り合った友人でした。
年齢は川島さんより4歳年上の32歳の女性ですが、職場では同期で、気の置けない存在でした。

ある日、川島さんは自分ががんを患ったことを打ち明けると、驚くこたえが返ってきました。友人もがんを経験していたのです。

それ以来、同じがん患者として、人には言えない悩みを互いに相談しあう関係になりました。
友人ががんと診断されたのは7年前、25歳のときでした。甲状腺がんです。手術と放射線治療によって、がんは取り除けましたが、再発のリスクは抱えたままです。

友人は当時、交際していた男性にこう伝えました。

「私と違う人と結婚したほうがいいんじゃない」

相手の人生を考え、考え抜いた末のことでした。

これに対し、相手の男性は「それを知った上で、いまもつきあっているから、関係ないよ」と言い、共に困難に立ち向かう決意を示したといいます。
友人はおととし結婚。しかし、子どもをなかなか授からず、去年からは不妊治療を受けています。

友人も医師からは「妊娠に問題はない」と言われていますが、がんになったから不妊になったのでは…と自分を責めることもあるといいます。
同じ職場の友人
「子どもを産むことを諦めようかと思うときもあります。自分ががんにならなければ、いまごろ相手をお父さんにしてあげられたのかなと思って、つらくなることもあります。でも、なんでも相談できる川島さんが近くにいてくれて、救われています」
川島さんも、友人がそばにいてくれて、気持ちが楽になったといいます。20代でがんを経験した人が身近にいるとは思わなかったからです。

川島さんは、自分ががんになったことや、その後のつらい経験を、周りのほかの友人にも打ち明けられるようになりました。

すると、高校時代の同級生も、同じようにがんを患っていたことがわかりました。がんという共通の病気を通じて、再び絆が芽生えました。

がんになったことを人に言えずに悩んでいる人が、実は周囲にもっといるのではないか。

川島さんは、そう感じ始めていました。
川島ゆかりさん
「がんになったことを誰にも言えず思い悩んでいる子は、たくさんいるのかもしれません。同じ世代のがん患者が身近にいれば、悩みを相談できますが、そういう子とつながること自体が難しいんだと思います」

AYA世代の患者コミュニティーを

川島さんは、AYA世代のがん患者が、悩みを語り合える場を作りたいと思うようになりました。
そこでことしの春、仲間のがん患者と、患者向けのフリーペーパーを発行しました。創刊号で川島さんは、自分と同じ20代でがんになった女性へのインタビュー記事を掲載しました。

女性は
▽妊娠できなくなるリスクに備えて「卵子凍結」を検討したこと
▽でも、その後、交際していた男性とは別れてしまったこと
▽いまは、がんになって家族や友人のありがたさがわかったこと
などを明かしました。
そして、この秋の2回目の発行では「アヤトーク」と題して、AYA世代のがん患者など6人で対談も行いました。6人は、ほとんどが初対面。創刊号の記事を読んで、座談会に参加したAYA世代の患者もいます。

座談会では、治療のつらさや、将来への不安、夫婦関係や子育ての悩みなどを赤裸々に語り合いました。学校や職場の親しい仲間にさえ、話したことのない内容ばかりでした。
川島さんは、フリーペーパーの発行によって、AYA世代の患者の輪が徐々に広がりつつある手応えを感じています。
川島ゆかりさん
「抗がん剤治療で抜けた髪の毛はいつごろ生えてくるのかとか、就職の面接や健康診断でがんのことを伝えているのかとか、みんな知りたいことはたくさんあっても、同じ世代の患者が周りにいないので情報交換できないというのが現実だと思います。でも、このフリーペーパーを作ったことで、そういう知りたい情報に触れられて、場合によってはつながることもできて、よかったなと思います」
一方で川島さんは、フリーペーパーをAYA世代のがん患者に届けることの難しさを感じています。AYA世代のがん患者は、がん患者全体の2%程度と、人数自体が少ないからです。

このため川島さんは、フリーペーパーのPRも積極的に行っています。取材中、川島さんは、がん患者を支援する催しの会場を訪れました。
治療による脱毛や肌トラブルの解決方法を紹介する患者向けのイベントです。容姿に敏感なAYA世代の患者は、こうしたイベントに足を運ぶのではないかと考えてのことです。

川島さんは、メイク用品を販売するメーカーの担当者などをまわり、フリーペーパーを患者の目の届く場所に置いてほしいとお願いしました。

フリーペーパーを置いている店や施設は、栃木県内で現在、およそ50か所。川島さんは、今後、医療機関や図書館などもまわり、フリーペーパーを置いてもらえる施設の数を増やしていきたいと考えています。
川島ゆかりさん
「フリーペーパーが、AYA世代のがん患者のコミュニティを作るきっかけになればいいなと思っています。がんになったことを人に言えないというのがAYA世代の特徴だと思うので、フリーペーパーを通して孤立しがちなAYA世代をすくい上げていければいいなと思っています」

AYA世代のがん患者 “社会全体で支える仕組みを”

今回の取材で、AYA世代のがん患者の支援をめぐって医療関係者の間でも「大きな課題だ」という声が多く聞かれました。病院で患者の支援をしているソーシャルワーカーからは、医師らは治療にばかり専念し、AYA世代に寄り添っていないという厳しい声まで上がっていました。

しかし、医師らに取材すると、AYA世代の患者への支援にまで手がまわらない現状も見えてきました。

AYA世代のがんは、患者の数が少ないことに加えて「希少がん」と呼ばれる珍しいタイプのがんが多いため、薬や治療法の開発が一向に進まないというのです。その結果、AYA世代に多い足などにできるがんの治療成績は10年前、20年前とくらべても向上せず、命を救うための治療に専念せざるをえないといいます。患者の悩みに耳を傾け、治療後のフォローアップは後手にまわりがちだと、医師自身が語っていました。

厳しい治療を乗り越えてつなぎ止めたAYA世代の命。先の長い人生を笑顔で歩むためには、川島さんのような患者自身の取り組みだけでなく、社会全体で支える仕組みが必要です。

(11月20日「おはよう日本(関東甲信越)」で放送)
宇都宮放送局記者
平間 一彰
平成8年入局
コロナ禍の3年間、最前線の医療機関を取材。
小児がんの患者や家族に密着したドキュメンタリー番組の制作も。