熊本地震で被災した重文の阿蘇神社「楼門」 復旧し完成式典

熊本地震で被災した熊本県阿蘇市の阿蘇神社で、国の重要文化財に指定され、神社のシンボルになっている「楼門」の復旧工事が終わり、完成を祝う式典が7日行われました。

7年前の熊本地震で、阿蘇市の阿蘇神社は国の重要文化財に指定され、神社のシンボルとなっている「楼門」が倒壊するなど大きな被害を受け、復旧工事が続いてきました。

工事は今月初めに終わり、7日、楼門の前では、神社や工事の関係者などおよそ300人が参列して、完成を祝う式典が行われました。

地元の人たちも見守る中、神職が工事の完了を「祭神」に報告し、楼門をおはらいしました。

このあと、神社の祭りで歌われる祝いの歌を地元の保存会が奉納しました。続いて「くぐり初め」の神事が行われ、地震以来、およそ7年8か月ぶりに楼門を通ることができるようになりました。

神職などに続き、地元の人などが次々と楼門をくぐり、多くの人が楼門の姿を見上げたり、感慨深げに眺めたりしていました。

阿蘇神社の阿蘇惟邑宮司は「皆さんのご支援があり、荘厳で、りんとしたたたずまいの楼門を復旧することができました。地震の直後に『神社が身代わりになってくれた』と言っていただいた心遣いに感謝し、皆さんのよりどころになる神社として誠心誠意奉仕していきたい」と話していました。

復旧工事に携わった建具職人と大工

阿蘇神社の復旧工事に携わってきた1人で、阿蘇市のベテランの建具職人の軸丸鉄男さん(71)は、地震で被災するまでは楼門の前でジャズアーティストを招いたコンサートを開いてきました。

地震直後のことを「華やかな舞台でコンサートを開いたのを思い出し、その面影がなくなってしまったのが残念でなりませんでした」と振り返ります。

もう一度、楼門でコンサートを開きたいと考えていた軸丸さん。その思いを知り、声をかけたのが阿蘇市の大工、下村和男さん(73)でした。下村さんも楼門の倒壊に大きなショックを受けた1人でした。

地元の大工として神社の復旧に関わりたいと、何度も工事現場の責任者にかけあった結果、現場に入ることが認められました。その後、軸丸さんらとともにおととしまで、楼門の復旧に携わりました。

下村さんは、現場を離れたあとも毎日のように阿蘇神社を訪ね、楼門が無事に完成することを願い続けてきました。

そして完成間際の12月4日。復旧工事の最後の作業が行われました。
扉を閉めるための“かんぬき”という部材の取り付け作業です。

担当したのは、軸丸さんと下村さんです。一つ一つ丁寧に確認しながら、最後の作業を3時間ほどかけて行いました。

7年ぶりに楼門をくぐって参拝できるようになるのを前に、下村さんは「仕事を一緒にさせてもらった人たちの顔や気持ちが思い出されて、まともに歩けるかどうかわかりません。感謝の気持ちでいっぱいになると思います」と話していました。

軸丸さんは「地震の翌日にかけつけて倒壊した姿を見てから、また元の姿に戻るとは想像がつきませんでした。胸がいっぱいです。職人生活が50年近くなりますが、このような仕事に携われるとは思っておらず、自分の職人人生のご褒美だと思っています」と語っていました。

訪れた人「とてもうれしい」「感無量」

息子とともに訪れた阿蘇市の50代の女性は「神社は心のよりどころで、きょうたくさんの人が来ているのを見て、とてもうれしいです。古い材木と新しい技術が一緒になって、これから先もずっと見守ってくれると思います」と話していました。

阿蘇市の70代の男性は「子どものころから遊んでいた楼門を再びくぐれるようになって、感無量です。あれだけ壊れてしまったのに、皆さんの力で立派に復旧していただいたと思います」と話していました。