社会

脚本家 山田太一さん死去 89歳 数多くの名作ドラマ手がける

「男たちの旅路」や「ふぞろいの林檎たち」など数多くの名作ドラマを手がけた脚本家の山田太一さんが11月29日、老衰のため、川崎市内の施設で亡くなりました。89歳でした。

山田太一さんは東京 浅草生まれ、早稲田大学を卒業後に松竹に入り、木下恵介監督の助監督として映画作りに携わりました。

そして、1965年には脚本家として独立し、1976年からNHKで放送された「男たちの旅路」は、鶴田浩二さん演じる元特攻隊の警備員と戦後生まれの若者が世代間のギャップから激しくぶつかり合い、さまざまな社会問題を浮き彫りにした作品で、大きな反響を呼びました。

また、学歴や容姿に劣等感を抱く若者たちを描いた「ふぞろいの林檎たち」をはじめ、「岸辺のアルバム」、「早春スケッチブック」など数多くの名作ドラマを手がけました。

山田さんはオリジナルの作品にこだわり、同時代の倉本聰さんや向田邦子さんとともに、それまで地位が低かったシナリオライターの社会的地位を高めました。

一方、映画化もされた小説「異人たちとの夏」では山本周五郎賞を受賞するなど、小説やエッセーでも高い評価を受けています。

近年、山田さんは東日本大震災をテーマにしたドラマを手がけるなどしていましたが、6年前に脳出血で倒れたのをきっかけに執筆活動をやめていました。

その後は、川崎市内の施設で過ごしていましたが、11月29日、老衰のため亡くなりました。

89歳でした。

未発表のシナリオ発見などで最近も話題に

山田さんは6年前に脳出血で倒れて以来、執筆活動はやめていましたが、最近では「男たちの旅路」や「ふぞろいの林檎たち」などのドラマで、映像化されなかった未発表のシナリオが見つかり、本として刊行されたことが話題となりました。

このうち、「男たちの旅路」の未発表作「オートバイ」は1978年ごろ書かれた作品で、出演していた水谷豊さんがほかの民放のドラマの主演が決まり、お蔵入りとなった経緯があります。

また、「ふぞろいの林檎たち」の続編は、初回では大学生だった主人公たちの40代となった姿が描かれました。

また、山田さんが30年以上前に発表した小説「異人たちとの夏」が現代のロンドンを舞台にして海外でも映画化され、来年春には日本で公開されることが話題となっています。

山田太一さんのNHK作品 『男たちの旅路』のほかにも

山田太一さんは『男たちの旅路』のほかにも、NHKでは
▽朝の連続テレビ小説で、1972年から翌年にかけて放送された『藍より青く』や
▽1980年に放送された大河ドラマで、菅原文太さんらが出演した『獅子の時代』などのシナリオを担当しました。

近年では
▽2012年に東日本大震災をモチーフに、孤独に取り残された都会の老人を山崎努さんが演じた『キルトの家』
▽2014年にはファンタジードラマ『ナイフの行方』なども手がけています。

山田さんの家族がコメント「楽しく優しい父」

脚本家の山田太一さんが亡くなったことについて、山田さんの家族がコメントを発表しました。

コメントでは「とても安らかで静かな旅立ちでした。山田は仕事に対しては常に厳しく真剣でしたが、私たち家族にはユーモアにあふれ、楽しく優しい父として心に残っています。ファンの皆様、メディアの皆様、長い間、父を支えていただき、誠にありがとうございました。これからも父の作品を楽しんでいただけたら幸いです」などとしています。

俳優 中井貴一さん「感謝の言葉しか有りません」

脚本家の山田太一さんが亡くなったことについて、ドラマ「ふぞろいの林檎たち」で主役を務めた俳優の中井貴一さんは1日朝、「感謝の言葉しか有りません」というタイトルで自身のブログを更新しました。

この中では、「まだ、役者として右も左も分からなかった頃、『ふぞろいの林檎たち』の面接でお会いしたのが今から42年前。その頃、既に大巨匠脚本家だった山田太一さんでしたから、さぞかし怖い方なのだろうと、かなり緊張しておりましたが、実際は物腰柔らかで、とてもジェントリーにお話をして下さいました。出演が決まり、初日の本読み、顔合わせの時も物腰柔らか。しかし、本読み終了時、『私の台本は語尾の一つまで考えて書いておりますので、一字一句変えない様に芝居をして下さい』と、ピシャリ。物腰とは裏腹に、実に辛辣(しんらつ)にお話をされる方でもありました。台本を通して私に芝居というものを教えてくださっただけでなく、その台本から、人としてのあり方までも教わった様に思います。言い尽くせぬお世話になりました。でも、もう一度、山田さんの台本で芝居がしたかった。心からご冥福を祈ります」と心境をつづっています。

俳優 水谷豊さん「出会いはとてつもなく大きな思い出」

山田太一さんの代表作の1つ「男たちの旅路」で新人警備員の役を務めた俳優の水谷豊さんはNHKの取材に対し、「山田太一さんとの出会いはとてつもなく大きな思い出です。この世にたくさんのことを残して頂きました。尊敬と感謝と共に、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントしています。

俳優 柳沢慎吾さん「今の自分があるのは先生との出会いと感謝」

山田さんの代表作の1つの、テレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」に出演した俳優でタレントの柳沢慎吾さんは、NHKの取材にコメントを寄せました。

その中で、山田さんが亡くなったことについて「突然の訃報に驚きを隠せません。本当に悲しいです。今の自分があるのは、山田太一先生との出会い『ふぞろいの林檎たち』であると感謝しております。役者として一から学び、台本を通して人となりまで長い時間をかけて学ばせて貰ったと、年齢を重ねるたび常々痛感しています」と振り返りました。

また、山田さんの人柄については、「山田先生は厳しい中にも優しさがあふれる、笑顔が素敵な方でした。ただ、台本どおりのせりふ、イコール芝居の間を大切にされる方で、撮影現場に突然お越し頂くだけで、一瞬にしてスタッフ・出演者に緊張感が走ります。リハーサルをとても大事にされ何度も何度もやり直しの数々、放送後に『あのシーン良かったですよ』と言って頂いたほほえみが今でも忘れられません」としのびました。

そのうえで「厳しくもあったがあの時代が本当に今でも恋しくて、もう一度、山田先生とご一緒したいと、今でもキャストとスタッフで願っておりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と悼みました。

文筆家 頭木弘樹さん「全作品についてインタビュー 必ず形に」

文筆家の頭木弘樹さんは6年前から、山田さんに脳出血の後遺症のリハビリをかねて、毎週、一作ずつ自分のドラマの映像を見て台本を読んでもらい、すべての作品についてインタビューを続けてきました。

頭木さんは「山田先生は仕事のことについてはよく覚えていた。仕事に厳しく、めったに自分の作品をほめることがない人で、あそこが残念だったとかうまく行かなかったという話も多かった」と振り返りました。

ただ、その中でも、NHKの『男たちの旅路』シリーズで放送された『車輪の一歩』の回については、「よくできた」と手放しでほめていたことが印象に残っているということです。

1979年に放送された「車輪の一歩」は、車いすの身体障害者が直面する厳しい現実を正面から描いた作品で、バリアフリーが今ほど進んでいなかった当時の社会に大きな反響を巻き起こしました。

山田さんは数年にわたり障害者を取材したうえで脚本を書き、鶴田浩二さん演じる主人公の名ぜりふ「人に迷惑をかけることをおそれるな」を生み出しました。

頭木さんは「山田さんは常に新しいことに挑戦してきた人で、テレビドラマ史としても貴重な話をたくさん聞けた。すべての作品について話を聞き終えたところだったので、必ず、このインタビューを形にしないといけないという責任を感じている」と話しています。

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