キッシンジャー米元国務長官 死去 米中の国交正常化に寄与

アメリカのニクソン政権とフォード政権で国務長官などを務め、アメリカと中国の国交正常化に大きな役割を果たしたヘンリー・キッシンジャー氏が自宅で亡くなりました。100歳でした。

これはキッシンジャー氏が設立したコンサルタント会社が発表したもので、キッシンジャー氏は11月29日、アメリカ東部コネティカット州の自宅で死去しました。

キッシンジャー氏は1923年にドイツでユダヤ人の家庭に生まれ、ナチスの迫害を逃れるため、1938年に家族とともにアメリカに渡りました。

アメリカ国籍を得て、第2次世界大戦ではアメリカ軍でドイツ語の通訳を務め、戦後はハーバード大学で国際関係学の博士号を取得しました。

そして、国務省や国家安全保障会議を経て、ニクソン大統領の安全保障担当の補佐官となり、1973年に国務長官に就任しました。

ニクソン大統領がいわゆるウォーターゲート事件で辞任し、フォード政権にかわった後も国務長官を務めました。

キッシンジャ-氏はソビエトとのデタント、緊張緩和路線を推し進めたほか、1971年、当時、国交がなかった中国と秘密交渉に当たり、翌年にニクソン大統領が電撃的に中国を訪問する調整を成し遂げ、アメリカと中国の国交正常化に大きな役割を果たしました。

また、ベトナム戦争のパリ和平協定をまとめ、アメリカ軍のベトナムからの完全撤退を実現したとして、1973年にノーベル平和賞を受賞しました。

キッシンジャー氏は最近まで精力的に活動し、ことし7月には米中の対立が続く中、北京を訪問して習近平国家主席と会談し、11月15日に行われた米中首脳会談に向けた環境整備を進めるねらいがあったと受け止められていました。

中国メディアも相次ぎ速報

キッシンジャー氏の死去について、中国メディアもアメリカのメディアを引用する形で相次いで速報しました。

このうち、国営の中国中央テレビは「キッシンジャー氏の外交思想はアメリカの外交政策に大きな影響を与え続けた」と伝えました。

また、中国共産党系のメディア「環球時報(かんきゅうじほう)」は「この半世紀、キッシンジャー氏は常に中国に関心を寄せ、中国を100回近く訪問し、中国の国民が最もよく知る外国人の一人だ」と伝えました。

ことし100歳になったキッシンジャー氏は7月に、首都・北京を訪れて習近平国家主席と会談し、「両国関係はアメリカと中国、それに世界の平和と繁栄にとって極めて重要だ」と述べていました。

これに対し、習主席は「われわれは古い友人であるあなたが両国の国民の友好を増進し、歴史的な貢献をしたことを忘れない」と述べ、米中両国の対立が続く中、関係改善に貢献したキッシンジャー氏に敬意を示していました。

キッシンジャー氏と中国

アメリカと中国の国交正常化に大きな役割を果たしたキッシンジャー氏は、中国の歴代の指導者と会談を重ねてきました。

1971年には、当時、国交がなかった中国の当時の首相、周恩来と秘密交渉に当たり、1972年のニクソン大統領の電撃的な中国訪問につなげました。

2013年6月には鳩山元総理大臣とともに、10月に死去した李克強 前首相と会談し、沖縄県の尖閣諸島をめぐり悪化した日中関係などについて意見を交わしました。

また、2013年の7月には、江沢民 元国家主席と上海で会談し、天安門事件が起きた1989年に江氏と会ったことを振り返り、中国の立場に理解を示す場面もありました。

最近も、2021年に北京で開かれた米中の国交正常化につながった、いわゆる「ピンポン外交」から50年になるのを記念する催しにビデオメッセージを寄せたほか、習近平国家主席とたびたび会談するなど、アメリカ外交の重鎮として両国の間で精力的に活動していました。

国営の中国中央テレビは「キッシンジャー氏は1971年に初めて中国を訪問してから100回以上訪中している」と伝え、「中国人民の古くからの友人だ」としています。

米有力紙「最も力を持った国務長官」

キッシンジャー氏は、およそ半世紀にわたり、12人のアメリカ大統領に直接、外交や安全保障上の助言をしてきたとされます。

有力紙、ニューヨーク・タイムズは、「第2次世界大戦後、最も力を持った国務長官であり、キッシンジャー氏ほど著名で、かつ悪口を言われた人物もいなかった」と評しました。

キッシンジャー氏は、複数の大国が均衡状態を保つことによってこそ、安定が保たれるという「勢力均衡論」を掲げた1人で、東西冷戦のただ中にあったニクソン政権当時、国交がなく、敵対していた共産主義圏の中国を極秘裏に訪問し、国交正常化に道筋をつけました。

毛沢東氏から、現在の習近平氏にいたるまで、中国のすべての指導者と渡り合った唯一のアメリカ人とされ、ここ数年、米中関係が冷え込んでからも中国に足を運び、中国共産党は最大限の敬意をもってキッシンジャー氏をもてなしてきました。

また、キッシンジャー氏はロシアのプーチン大統領とも長年、親交があり「古くからの友人」とも呼ばれていました。

大統領に就任する前のプーチン氏へのインタビューを中心にまとめられた書籍「プーチン、自らを語る」によりますと、1990年代、サンクトペテルブルクでキッシンジャー氏を出迎えたプーチン氏がかつて情報機関に所属し、東ドイツで働いていたと伝えると、キッシンジャー氏は「まともな人間はみんな情報機関からキャリアの一歩を踏み出しているよ。私もそうだ」と答えたとされています。

さらに、この時キッシンジャー氏は、1989年のベルリンの壁崩壊をめぐり世界の勢力均衡が急激に崩れるおそれがあるため、ソビエトは勢力圏に置く東ヨーロッパを性急に手放すべきではないと考えていたとプーチン氏に明かしたとしています。

キッシンジャー氏は、ことし1月にはスイスで開かれた世界のリーダーが集まる通称「ダボス会議」にオンラインで参加しました。

この中で、ロシアによるウクライナ侵攻について、ウクライナ政府のとるべき方針として「戦闘は続けつつもロシアと対話を行い、軍事侵攻前の境界線まで押し返したら戦闘を停止すべきだと信じている。これは戦闘の拡大を防ぐ方法だ」と述べ、ロシアとの対話を重視すべきだとの姿勢を示していました。

亡くなる約1か月前にも 米中関係の改善訴える

キッシンジャー氏は亡くなるおよそ1か月前の10月24日、ニューヨークで開かれた、米中の関係者を集めたパーティーで講演し、両国関係を改善に向かわせることの重要性を訴えていました。

この中でキッシンジャー氏は「私は文字どおり、人生の半分をアメリカと中国の関係のために費やしてきた。私は中国の人たちが好きだし、中国の文化に感銘を受けた。米中関係というのは世界に平和と発展をもたらしうる関係であると同時に、もし手を携えなければ世界を破壊しうる、類いまれな関係にあるということを理解できるかどうかにかかっている」と述べました。

そして、この講演の3週間後の11月15日にサンフランシスコで行われることになる、バイデン大統領と習近平国家主席による首脳会談について、キッシンジャー氏は「2人の首脳がサンフランシスコで会うに当たり、私が期待するのは両者が互いに平和の実現に熱心であることを言い表すことばを見つけ出すことであり、首脳どうしが容易に、かつ、継続的に話ができるような制度を築くため、あらゆる努力を払うことだ」と述べ、首脳どうしが意思の疎通をはかることができる環境を築く重要性を訴えていました。

=キッシンジャー氏死去 各国反応=

米国務長官「この仕事に就くすべての人の規範」

イスラエルを訪問中のアメリカのブリンケン国務長官は「キッシンジャー氏はこの仕事に就くすべての人の規範となった。最近では1か月ほど前だったが、私は何度も彼の助言を得る機会に恵まれた。彼は非常に惜しみなく知恵と助言を与えてくれた。彼ほど歴史をよく学び、歴史を作った人はほかにはいない」と述べ、その功績をたたえました。

中国外務省「米との関係 誠実な思いと重要な貢献 深く心に刻む」

中国外務省の汪文斌報道官は30日の記者会見で「中国人民はキッシンジャー氏の中国とアメリカの関係への誠実な思いと重要な貢献を深く心に刻むだろう」と述べたうえで、習近平国家主席がアメリカのバイデン大統領に弔電を送って哀悼の意を示したことを明らかにしました。

そして「キッシンジャー氏は中国とアメリカの関係は両国、そして世界の平和と繁栄のために極めて重要であると考えていた。中国とアメリカ両国は彼の戦略的ビジョンや政治的な勇気、そして外交の知恵を継承・推進し、サンフランシスコでの首脳会談で合意した重要な共通認識に基づいて健全で安定し、持続可能な中米関係の発展を推し進めるべきだ」と述べました。

プーチン大統領「卓越した外交官 世界の安全保障強化に貢献」

ロシア大統領府は30日、プーチン大統領の哀悼の意を示すコメントを発表しました。

この中で、プーチン大統領は「卓越した外交官であり、賢明で先見の明のある政治家として、長年にわたって世界中からふさわしい権威を受けてきた。デタント、緊張緩和を達成し、最も重要なソビエトとアメリカの合意につながり、世界の安全保障の強化に貢献した」としていて、アメリカと旧ソビエトとの関係のデタント、緊張緩和路線を推し進めたとして、その功績をたたえました。

岸田首相「平和と安定に大きな功績 哀悼の誠をささげたい」

岸田総理大臣は総理大臣官邸で記者団に対し、「アメリカと中国の国交正常化など地域の平和と安定に大きな功績を残された。私自身も若い頃からたびたび直接、お会いし、知見をたまわった。今日(こんにち)までの偉大な足跡に心から敬意を表し、哀悼の誠をささげたい」と述べました。