秋田犬に魅せられて わたしの人生を変えた忠犬ハチ公

秋田犬に魅せられて わたしの人生を変えた忠犬ハチ公
「待ち合わせどこにする?」「じゃあ 夜7時にハチ公前で」

渋谷での待ち合わせスポット「忠犬ハチ公」像。亡くなった博士の帰りを渋谷駅前で待ち続けた秋田犬「忠犬ハチ公」はことし11月、生誕100年を迎えました。

海外で映画化されるなど、今も多くの人に影響を与えるハチはなぜそこまで愛されるのか?「ハチが生き方を変えてくれた」という女性の思いを取材しました。

(秋田放送局カメラマン 小川裕生)

秋田犬が好きすぎて…

「秋田犬が好きすぎて大館に来ました。すごくかわいいんですよ。ことし、大館で生まれた秋田犬のハチが生誕100年になるので、盛り上げていきたいです!」
屈託のない笑顔で秋田犬の魅力を語るのは秋田県大館市で地域おこし協力隊として働く濱田栞さん。仲間たちからは親しみを込めて「栞さん」と呼ばれています。
濱田栞さん
「秋田犬の耳はしば犬より結構分厚くて触り心地がたまりません。この良さをお届けしたくていろんな角度から耳を撮影して配信しています」
延々と秋田犬の魅力を語る栞さん。しかし秋田には縁もゆかりもありません。

さらに今は、本来の仕事でもある、大手航空会社の客室乗務員とまさに「二足のわらじ」で秋田犬とハチの魅力を伝える取り組みを続けています。

いったい、なぜそこまでして秋田犬に?取材を進めると始まりはある映画が関係していました。

始まりは映画でみた秋田犬

福岡県出身の栞さん。実家で犬を飼うなど幼いころから動物は身近な存在でした。
そんな栞さんが10代半ばで、心を動かされた映画が「HACHI 約束の犬」。リチャード・ギア演じる教授を探し回る秋田犬のハチの姿が飼い犬と重なりました。
「飼い主に対して純粋に大好きな気持ちを伝えるハチを見たあの時、いつか秋田犬に会ってみたいってそう思ったんです」

華々しい世界から…即決で選んだ秋田行き

映画との出会いからおよそ10年。栞さんは語学力をいかして、客室乗務員の仕事に就きました。
利用客に喜んでもらえる客室乗務員をめざして日々奮闘していた栞さん。しかし新型コロナにそのやりがいを奪われました。座席は空席が目立ち、減便に次ぐ減便で1日何もしない日も続いたといいます。

「“喜んでもらえる存在”がいない」

先が見えず不安で押しつぶされそうなとき、会社のサイトに載っていたのが地域おこし協力隊としての地方派遣。厳しい経営状況の航空会社の雇用を維持しようと全国の自治体へ社員を一時的に派遣させる取り組みでした。

いろいろな地域が並ぶなか、1つの仕事内容が目に入りました。

「秋田犬を活用した観光促進活動」

栞さんの脳裏にあのときのハチの映像がよみがえりました。

「これだ!」

第3希望まで書けた申し込み用紙には、第1希望だけしか書き込みませんでした。そして念願かなった栞さんは、客室乗務員の仕事を休職し、一路、秋田県大館市へ-。

当時は3回目の緊急事態宣言が出されるなど、まだ新型コロナの感染拡大が続いていた2021年4月のことでした。

変な人と思われたとしても

こうして栞さんは秋田犬の発祥の地、秋田県大館市の観光課で地域おこし協力隊として2年間の任期で働くことになりました。

そんな栞さん。最初に始めたというのが…「秋田犬と仲良し大作戦!」

まずは秋田犬のことを知ろうと市内で秋田犬を連れて散歩している人を見つけては声をかけまくりました。
栞さんに声をかけられた秋田犬の飼い主
「最初はびっくりしましたよ。触らせてもらってもいいですか?て言われて」
栞さん
「最初は変な人に思われたかもしれないけど、わたしの秋田犬が好きな気持ちが伝われば仲良くなってくれるかなと思って“ぐいぐい”いった」
栞さんの積極的なアプローチが功を奏し、知り合いになった人から秋田犬と散歩させてもらう機会も増えました。
あわせて、知り合いになった秋田犬が生んだ子犬の成長記録や街の観光名所などをSNSにアップ。まさに、趣味と実益を兼ねる仕事だと栞さんは笑います。

ハチ公生誕100年 広がる輪

そんな栞さんが任されたのが「ハチ公生誕100年プロジェクト」、通称「HACHI100(ハチひゃく)」です。

ハチの生誕100年をみんなで祝おうというプロジェクトの中心メンバーとして、ハチの銅像がある渋谷と出身地の秋田県大館市を往復する生活が始まりました。ホテルや飲食店などを訪れ、生誕100年をお祝いしてくれるパートナーを探し回りました。
「ハチなので、名前にハチがつくものや、数字の8のつくものなんかどうですかね?」
「ハチは生まれてまもなく、大館から雪の中、列車に乗って東京に来たんです」
提案や説明を繰り返すうち、つながったパートナーは、約190か所にものぼりました。ハチ好きという接点で協力してくれる人も現れました。
記念グッズのデザインを無償で描いてくれたフランス人のデジタルアーティスト、マクシム・ジオートさん。

マクシムさんも栞さんと同じく「HACHI 約束の犬」を見て忠犬ハチ公に心を奪われた1人です。

栞さんとSNSを通じやりとりするうちに意気投合し、ハチのデザインを描いてくれることになりました。
マクシムさんが描いたのは、今の時代によみがえったハチが飼い主の元に向かう姿。

100年の時を超えて、変わらない飼い主との絆を描いたデザインでした。
マクシムさん
「愛する人のためにここに居続けたハチ公は深い愛情の象徴。このデザインが誰か1人でも心に響いてくれたらそれが僕が求めていること」
ハチを通して広がっていく輪。そんなムーブメントの中心に携わるなか客室乗務員の充実感とはまた違う“やりがい”に栞さんは魅了されていきました。

わたしの生き方を変えた“100歳”のハチ公

しかし、夢中になってプロジェクトを進めていくなか大きな問題も生じていました。実は栞さんの地域おこし協力隊のもともとの任期は2023年3月末まで。これでは、ハチが生まれて100年の節目となる11月には立ち会えなくなってしまいます。

そこで栞さんは、思い切った行動に出ます。それは客室乗務員との「兼任」。大館市と航空会社、双方にかけあった結果、1年の「任期」の延長が決まりました。
濱田栞さん
「本当は協力隊の任期は3月いっぱいまでだったんですけど、どうしてもこの生誕100年イベントをやりとげたいと大館市に願い出て、今は客室乗務員の仕事と兼務しながら続けています」
ことし4月から客室乗務員と地域おこし協力隊を兼任している栞さん。フライトを終えると大館市に戻り、フライトのない日は協力隊として活動を続ける。東京と大館を行き来する、そんな日々をもう8か月も続けています。

ハチと客室乗務員、両方と向き合う日々を送る中、栞さんはこれまでの生き方とは異なる感情に気づいたことを明かしてくれました。
「自分が本当にやりたいことが客室乗務員だけじゃなくて、その人の思いを聞いて伝えるところに、わたしは情熱を感じるんだって気づかされたし、そのためなら一生懸命になるんだなって」
ハチの誕生月とされている11月となり、取り組んできたプロジェクトは佳境を迎えています。栞さんも地元の小学校で秋田犬とハチ公について講演を行うなど忙しい日々を送っています。そんな栞さんに、生誕100年を迎えたハチの魅力について改めて聞いてみました。
「もともとはハチ公と飼い主の1匹と1人の物語が、話を聞いた新聞記者や駅員、そしてハチ公の行動に感動してエサをあげる人と、どんどん輪が広がっていったんです」

「そしてその輪は、100年たった今でも多くの人を巻き込んで、世界へ広がりを見せています。そしてなかには、私のように生き方を変えた人だっています。ハチにはかわいいだけじゃない、人の生き方も変えちゃう。そんな計り知れない魅力があるんです」
1匹の秋田犬と主人の愛の物語が多くの人を引きつけ、秋田と渋谷という土地をつなぎ、世界中の人々を巻き込んで人の生き方さえも変えていく。生誕から100年の節目を迎えた「忠犬ハチ公」にはそんな魅力がたくさん詰まっています。

取材後記

ことし1月、カメラマンの私は秋田県大館市で地域おこし協力隊として働く栞さんの撮影を始めました。

その第一印象はまさに「東京から来た客室乗務員さん」でした。しかし取材を続けるなかで、気さくに話しかけながら、どんどんまわりを巻き込んで、まさに大館のハチ公100年の事業に欠かせない存在になっていくのがわかりました。「まさに好きこそものの上手なれ」なのかもしれません。

渋谷の忠犬ハチ公像の存在は学生時代から知っていましたが、取材を通じて今でもハチが人々が出会いつながるすばらしい存在だなと改めて感じました。

(11月10日「きんよる秋田」で放送)

【豆知識】「あきたいぬ」か「あきたけん」か

正解は「あきたいぬ」です。「あきたけん」だと秋田県と聞き間違えられることもあって「あきたいぬ」で読み方が統一されているそうです。

秋田犬は昭和6年に国の天然記念物にも指定されていて、ハチのように茶色っぽい「赤毛」を思い浮かべる人も多いと思いますが、虎のような「虎毛」や真っ白な「白毛」なども秋田犬の毛色としてあります。また戦後日本に来たアメリカ人が母国に持ち帰り、「アメリカン・アキタ」という犬種も生まれました。
秋田放送局ニュースカメラマン
小川裕生
2009年入局
山形、岡山、大阪、東京を経て現所属
2人の子どもたちも秋田犬が大好きで、犬を飼うなら秋田犬一択です