俳優・小手伸也 「名脇役」への歩み

映画やドラマで存在感を発揮している俳優・小手伸也さん。大河ドラマ「どうする家康」では、大久保忠世を好演しました。小手さんの役者の原点は早稲田大学の演劇サークル。若い頃は“独りよがり”な演技をしていたと振り返る小手さんが「名脇役」への道を歩み始めた原点とは…
(聞き手:名古屋局 浅田春奈アナウンサー)

役者の原点 早稲田大学

小手さんの役者の原点は早稲田大学。当時、演劇サークルで活動していました。大学時代の思い出深い場所を訪ねます。
まずは、学生時代によく通ったという居酒屋です。

仲間と語り合った思い出の居酒屋

(小手さん)
うわー、ちょっと壁紙きれいになってる。でも、間取り変わらんな。懐かしい。
ほんとに舞台の稽古の終わりですとか、本番終了後とか、よく来てたんですよねこのお店に。
(浅田)
当時のまま?
(小手さん)
当時のままですね。ほんと変わってない。
(浅田)
この場で当時どんな話をしていたんですか?
(小手さん)
そうですね、演劇人と言えば、お酒を飲んで、熱い演劇論を戦わせるという印象じゃないですか。
(浅田)
そのイメージです(笑)
(小手さん)
ですよね、それにあらがいたくて、あえてお芝居の話は絶対しないみたいな、そんなこと考えながら飲んでいたんですけど、結局、酔いが回ってくると、「あのシーンさ…」みたいな話に、絶対なっちゃうんですね(笑)

常識的な“弱さ”がある自分

(浅田)
大学を卒業するときに、進路の話はしていたんですか?
(小手さん)
しましたね。一応、僕も就活とかしましたよ。
(浅田)
え!そうなんですか?
(小手さん)
はい。まっとうに働くっていうことに対する、ある種の義務感とか、あと、なんというか、変な話、そういう安定した収入への夢みたいなのもあって。
ほんとにどうなるか分からない仕事で、やっていけるかどうかも、実力も見定められてはないし、なんかウダウダ考えるくらいなら、ちゃんと仕事したほうがいいんじゃないかっていう気持ちもあったし、当然、親も反対してたし。
(浅田)
反対は、演劇で卒業後も生きていくことに対してですか?
(小手さん)
そうですね。
僕の強みって、そういう常識的な弱さなんですよね。小市民感といいますか、そういう、「あの人もうちょっとやり切ればいいのに」っていうところで、いまひとつやりきれない、中途半端な部分。今だから言いますけど、持っててよかったなと思います。
(浅田)
それはなぜですか?

(小手さん)
たぶん、世の中の大半の人、そうだと思うんですよね。そういう悩みがないと、普通の感覚って表現できないと思っていたし、そういう感覚に寄り添えることが普通の人を表現するうえでは何よりも、演技力よりも、そういう想像力のほうが大事だっていう予感があったんで。
(浅田)
その感覚が、今のいろんな役を演じるうえでの感覚にもつながっていっているということ?
(小手さん)
そう…、そういうことにしてます(笑)
(浅田)
(笑)

(小手さん)
なんだろうな、実はそうなんですよって言ったら、かっこいいんですけど、後付けなので。あのときの迷っていた自分とか、あのときの行き切れなかった自分とか、中途半端な自分とか全部含めて、うん、そういう感情をちゃんと自分の引き出しの中に持てていたことが今の表現の糧の一つにもなってるので、自分がそういう天才肌じゃなくてよかったって思うことはあります。

思い出の劇場 早稲田大学どらま館

そして、もう一つの思い出の場所、早稲田大学の演劇サークルがよく使う劇場「早稲田小劇場どらま館」へ。

(小手さん)
いやー、やっぱりなんか落ち着きますね。
(浅田)
客席も近いですもんね。
(小手さん)
そうですね。舞台中もよく客席を見て、お客さんの顔をすごく焼き付けるように芝居してましたよ。

名脇役として活躍する今

(浅田)
今、バイプレーヤー、脇役として地位を築いていることに対してはどう受け止めていますか?
(小手さん)
あんまり僕自身はブレークってことば使わないんですけど、世間的には「ブレークが遅い」というような言われ方をしていて。
でも、僕は行ったり来たり、学んだり実践したりを繰り返しながらここにいるので、この起点で明確に生まれ変わったとか、この起点によってブレークを果たしたっていう感覚はないんですよ。ある程度のなだらかなう余曲折を経ながら、地続き感があって、だから、僕にとっての下積みっていうのが過去の一点を表さないというか。
25年30年、役者をやって、いろいろあっち行ったりこっち行ったり、失敗したり成功したり、う余曲折を経てこそ、今それなりの対応ができてるというか、今じゃなきゃできないという自分に今なれてる気がするので。

演劇に打ち込んだ学生時代

大学時代の小手さん(右)

小手さんは高校で初めて舞台に立ち、演劇が盛んな早稲田大学に入学。本格的な演劇に触れ、のめり込んでいきました。

(小手さん)
演劇っていうのを本気でやりたいなと思って。大学のいろいろある演劇サークルから、高校生の演劇部に「公演をご招待するから、ぜひ見に来てください」っていうダイレクトメールが、わりといろんな大学からやってくるんですよ。それの一つに、この早稲田大学の演劇倶楽部っていう演劇サークルがあって、なんかおもしろそうだなと思って見に行ったのが、早稲田大学演劇倶楽部に所属していた劇団の「カムカムミニキーナ」という団体だったんですね。
それを初めて大塚の地下の劇場とかで見て、すごいって思って。すごく狭い空間の中で、大学生が本気の熱量で物事を表現しているっていう、その熱にすごく打たれて。ほんとまだ当時、全然有名じゃなかった八嶋智人さんも所属していたんですけど、うわ、この人すごいと思いました。

左が八嶋智人さん

“独りよがり”だった かつての芝居

(浅田)
演劇を当時やっていた中で、主役とか脇役とかそういう認識はありましたか?
(小手さん)
なかったですね。舞台に立っちゃうと、僕は、ほんと若い頃は、お客さんのためにっていう。お客さんが必要としてくれているから、今、僕がここに立っていられるっていう、それを追求するためにやっていたので。
(浅田)
当時、小手さんはお客さんに何を見てもらいたいと思って芝居をしていたんですか?
(小手さん)
そうですね…ほんとによくなかったんですけど、「俺がいちばんおもしろい」と。
なんか視線の奪い合いだったりするんですよね。演劇っていうのは、ずっと引きなんですよね。カメラみたいにズームするエンタメじゃなくて、お客さんが見たいところを自分でチョイスして見るっていう。
だから、その舞台上でいちばん強いやつが、やっぱり、お客さんの視線を集めるんですけれども、その視線を集めて空間を把握する。「あっ、みんな今、俺を見てるぞ」ってなったときの、そこから、「よし、このまま俺を見続けろ」みたいな、空間掌握術みたいなのが、自分で言ったらほんと嫌なんですけど、得意なほうだったと思ってました。

左:八嶋智人さん、右:小手伸也さん

「俺を見てほしい」
「俺がいちばんおもしろい」
小手さんは、舞台の上で「自分」が注目されることにこだわっていました。

(浅田)
今、小手さんが呼ばれている、名脇役とは全然違う姿じゃないですか?
(小手さん)
そうかもしれないですね。
すごく背負い過ぎていたんですよね。お客さんに対する責任感とか、この作品をちゃんとおもしろいと思って帰ってもらうためには何ができるのかみたいなこと。すごく僕の個人技でそれをなんとかしようとして、舞台って総合芸術で、みんなで表現するものなのに僕が頑張らなきゃみたいな勝手な思い込みがすごく強くって。

(浅田)
なぜ、そんなに背負ってしまったんですか?
(小手さん)
なんでなんだろうな…。すごく失礼な言い方になるかもしれないですけど、あまり共演者を信用できなかった。とがっていたっていう部分はあるし。俺のおもしろいってこうだし、実際それでお客さんも笑ってるし、だったら、それが正解でいいんではないのかって、我が強すぎて。なんかほんとはそうじゃないのに、俺がやらなきゃみたいな。それはひるがえってみれば、共演者を信用できてなかったんですよね。

大学卒業後も役者として舞台に立ち続けます。
しかし、小手さんの我の強さから、仲間との関係がギクシャクすることもあったといいます。

(小手さん)
舞台上って結構戦いなんで、戦いだと思ってたんですよ、僕は。
(浅田)
戦い?
(小手さん)
はい。いかにお客さんの目線を集めるかみたいな、空間をどれだけ支配できるかってことです。
もちろん常識として脇に徹するっていうのはあるにはあるんですけど。今、ここの人たちがしゃべってるから、ここに立ってる僕はあんまり動いちゃダメとかね、そういうのはあるんですけど、ちょっと動きたくなっちゃったりとかして。視線が散るんですよね、やっぱり。本筋を見ないで僕を見ちゃってる人がいたりとかして。
(浅田)
主役から嫌われません?それって。
(小手さん)
嫌われます。

(小手さん)
ほんとに僕は、絡みづらい役者だって、すごく評判悪くって。
(浅田)
評判悪かったんですか?
(小手さん)
評判悪かったですね。
もう、なんか、全部持っていこうとするから。うるさいとか、集中できないとか。野田秀樹さんの舞台でも、ほんとに僕はおもしろいポジションみたいなものを任されてるっていう自負があったので、一生懸命やってたんですけど。
(浅田)
おもしろさのために動くっていうのは、ちょっと目立ちたい、舞台上で注目されたいっていう気持ちがあったんですか?
(小手さん)
そうですね。おもしろい動きやっちゃったりとか、自分のパートをすごく思う存分に使ってしまったりとか。
いかんせん、それをやりすぎて、「なんか小手って客席に向けてばっかり芝居してるよね」みたいなことになって、それが“小手る(こてる)”みたいな…。
(浅田)
小手る?(笑)

(小手さん)
「ちょっと小手ってるよね」みたいな。そういう、次第に演出用語になりだして。
それこそ野田秀樹さんの舞台で大阪公演のとき、ホテルの部屋に、その日、舞台を見に来た八嶋智人さんがお酒を持って訪ねてくれたんですね。「小手、大丈夫か、順調か?」みたいなこと言って、「まあ、飲もうぜ」みたいなこと言って、「小手、お前、大丈夫か?」みたいなこと言われて。
(浅田)
心配して?
(小手さん)
心配して。どうも“小手ってた”らしい。
(浅田)
その日の舞台が?
(小手さん)
だいぶ。(笑)
(浅田)
でも、八嶋さんも、結構前に出るタイプですよね。
(小手さん)
そう、そうなの、だから…。
(浅田)
その八嶋さんが心配する、よっぽど。
(小手さん)
そうです。八嶋さんが言うのは相当だぞみたいなことは、みんなも言うんですけど、僕には自覚がなくて(笑)
もう、20年ぐらい“独りよがり”をやってましたよ

“小手る”役者からの脱却

周りを顧みず“独りよがり”な芝居を続けていた小手さん。
しかし40代で変化が訪れます。

(浅田)
いろんなタイミングがあったと思うんですが、徐々に変わっていった中で、ここが分岐点だったなみたいな場所はありますか?
(小手さん)
そうですね。しいて言うならば、大河ドラマの「真田丸」に出演してくれないかっていうオファーをいただいたことですね。
主役としての堺雅人さんがいらっしゃって、僕、初めての大河で、すごく緊張してて、もう何したらいいか分からないし、「どのカメラ見ればいいんですかね」って聞いたら、「撮ってるから見なくていい」って言われて(笑)、そのぐらいのレベルだったんですけど。
その塙団右衛門という役が一つターニングポイントでしたね。演劇じゃないっていうのが逆によかったのかもしれないですけど。
(浅田)
それこそ、もう主役がいて、脇役というか、周りを固める皆さんがいて。ポジションが決まった状態ですよね。
(小手さん)
もう明確。「番手」とかもあるし、いろいろ、はっきりと区切られている世界に身を置いてみて、そうか、このシーンでの役割はこうだから、ここでしっかりと存在感をアピールするのはいいけど、自分が背景になってるここで、その顔をしたら目立つから、堺さんの後ろに僕がいるのに、僕の顔がデカいせいで遠近感が狂って僕のほうが前に映ってるみたいなSNSの評価とか見て、あれ、まずかったんだと思ったりとか。
なんて言えばいいんだろう。ただのおもしろいやつっていうんじゃなくて、“おもしろいキャラクター”というものを表現できるようになったのかな。

(浅田)
俺がおもしろいじゃなくて、俺が演じてるこのキャラクターがってことですか?
(小手さん)
「小手伸也」というものがなくなった。やっぱり若い頃は小手伸也っていう名前を覚えてほしいって強く思ってました。でも「真田丸」で塙団右衛門を演じたときに、小手伸也よりも塙団右衛門を覚えてほしいという意識が強かったというか強く芽生えたんですよね。それで少しずつ地固めができてきたというか。
学んで試して、一応、自分の中でのゴールじゃないですけれども、できる最大限、僕の学び、ここですよっていうのが2017年の三谷幸喜さんの舞台「子供の事情」という作品です。

大きな気づき “信じる”

舞台「子供の事情」で大泉洋さん、天海祐希さんらと共演しました。この共演で、小手さんの演劇への向き合い方が変わる出来事がありました。

(小手さん)
出演者のみんなで飲み会というか、焼肉を食べに行ったんですね。皆さんお忙しい方々だから、「この舞台のあと、スケジュールが」みたいな雑談になって、そのときにふと僕が「この舞台のあと何も決まってない、真っ白なんですよ」って言って。そしたら、大泉さんはじめ、みんながキョトンとした顔して、「なんで?」って言ったんです。「なんで、なんで?」って。「いや、でも、実際に真っ白で」って答えて。
わりとちゃかすでも、おだてるでもなく、ピュアに「なんで?」って言われたときに、ちょっと目からうろこだったんですよね。みんなにそうやって認められてるってことに気づけなかったし。まさかそんな大泉洋さんとか、天海祐希さんとか、そんなすごい人たちが僕のことを同等に扱ってくれる世界なんて思いもよらなかったし、そっか、それだけ僕は僕自身のことすら信用してなかったんだってことに気づいて、そこから、他人も自分も作品も、あらゆるものをいったん信じてみよう、信じたうえでどこまでできるか、そういう全力の出し方をしていこうっていう。

“独りよがり”だった小手さんが、共演者や作品を信じることで「名脇役」へと成長。いまではドラマや映画など活躍の場を広げています。

バイプレーヤー・脇役とは

(浅田)
小手さんにとってバイプレーヤーであること、脇役って何ですか?
(小手さん)
僕がバイプレーヤーでありたいっていうことを、わりと声高に言うときの、なんか心のここにあるものって何だろうな、プライドなのかな。ものをつくることにおいて、見れば見るほど、知れば知るほど、そういう周りの支えの基礎があって初めて輝けるものがしっかりと提供できるんだなというのがしみじみ分かって。
どんなに偉い人が「偉いぞ」っていう演技をしてても、周りにいる人たちが「偉いんですね」っていう顔をちゃんとしないと、偉さが際立たないみたいなことと同じで、やっぱり周りが大事なんですよね。その周りをやるために、僕はここまでの学びがあって、それを生かせるポジションをいただけてるのかなと。そのための顔のデカさだったり、身のこなしだったりしたのかなとか。
(浅田)
今ここにいる小手さんのための、20年30年だったんでしょうか。

(小手さん)
そうですね。職業的なプロフェッショナルとして作品や主演や世界観を引き立てることができるということを僕はすごくかっこいいことと思ってて、そういう職人でありたいなって思ってるんですよね。
だから、僕の中では、バイプレーヤーって職人さんっていうくくりの中にあって、それはものづくりにおいて最も尊敬したい人なんだよね。