社会

【各界反応】池田大作氏が死去 創価学会名誉会長 95歳 老衰で

創価学会は18日、池田大作 名誉会長が今月15日の夜、東京 新宿区の居宅で老衰のため亡くなったと明らかにしました。95歳でした。

目次

池田氏は今の東京 大田区出身で、昭和22年、19歳の時に創価学会に入りました。教義を学ぶかたわら布教活動と組織の拡大に努め頭角を現し、昭和35年に32歳の若さで第3代会長に就任しました。

翌年、公明党の前身となる政治団体「公明政治連盟」を結成。昭和39年に公明党が結党されて以降、池田氏は中央の政界にも存在感を示すようになり、独自の地位を築くまでになりました。

平和運動や国際交流にも積極的に取り組んできた池田氏。世界54の国や地域を訪れて指導者や文化人と対談を重ねるなどし、国連平和賞も受賞しました。

なかでも中国との交流に力を注ぎ、国交正常化後の昭和49年には北京を訪問し当時の周恩来首相や※トウ小平副首相と会談。

平成19年には、来日した当時の温家宝首相と会談するなど、長年にわたって中国の最高指導部とのパイプを維持しました。

※トウは「登」に「おおざと」

池田氏は昭和54年に会長を辞任したあとも、名誉会長としてカリスマ的な影響力を持ち続けていましたが、近年は高齢などを理由に表舞台に姿を現す機会が減り、小説の執筆活動などにあたっていました。

創価学会によりますと、池田氏は今月15日の夜、東京 新宿区の居宅で老衰のため亡くなりました。

95歳でした。

創価学会 原田会長「深い悲しみ」 HPで談話発表

創価学会は、ホームページで談話を発表しました。

この中で原田稔 会長は「突然の訃報に大変驚くとともに深い悲しみをおさえることができません。ご冥福を衷心よりお祈り申し上げます」と述べました。

そのうえで「池田先生は平和と文化と教育への基盤を整えてくださいました。ご指導を命に刻み、日々前進して参りたいと思います」と述べました。

また、池田氏の長男で創価学会の池田博正主任副会長は、母親からのメッセージを紹介し「医師から30歳まで生きられるかどうかと言われていた主人が、ここまで長寿を重ね、使命を全うすることができました。今日まで支え、ともに邁進してくださった皆さまに心から感謝申し上げます」と伝えました。

そのうえで「創立記念日の諸行事などを予定通り行ってもらいたいという家族の意向から本日まで公表を控えておりました。父もきっとそのとおりだと言ってくれていると思います」と述べました。

《各界の反応は》

岸田首相「歴史に大きな足跡残した」SNSに投稿

岸田総理大臣は旧ツイッターの「X」に「池田大作氏のご逝去の報に接し、深い悲しみにたえません。池田氏は、国内外で平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残されました。ここに謹んでご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の方々、および、ご関係の方々に対し、衷心より哀悼の意を表します」と投稿しました。

自民 茂木幹事長「大きく貢献」

自民党の茂木幹事長はコメントを発表し、「池田氏は、国際平和の推進、文化、教育の振興などに大きく貢献され、歴史に大きな足跡を残された。ここに謹んでご冥福をお祈りするとともに、ご遺族および関係の皆様に衷心より哀悼の意を表する」としています。

自民 閣僚経験者「影響 注意深く」

自民党の閣僚経験者はNHKの取材に対し「自民党と公明党の関係は連立政権のメンバーとして共に政治を進めていくということに変わりはない。ただ、創価学会の結束力の源は池田氏であったと思われ、長期的には自公関係に影響があるかもしれないので注意深く見ていかなければならない」と述べました。

公明 山口代表「立党精神 永遠に守り抜いていく」

公明党の山口代表はコメントを発表し、「突然の知らせに驚くとともに、深い悲しみにたえない。謹んで哀悼の意を表する。公明党の創立者として一貫して見守っていただき、深く感謝を申し上げる。示していただいた『大衆とともに』という立党精神を変わらぬ原点として、これからも永遠に守り抜いていく。偉大なる遺徳をしのび、衷心より厚くご冥福をお祈り申し上げる」としています。

立民泉代表「功績に深く敬意」

立憲民主党の泉代表はコメントを発表し「心より哀悼の意を表する。池田氏は長年にわたり創価学会において卓越した指導力を発揮し、日本の平和運動や福祉の推進、そして中国をはじめ世界各国との友好親善に力を尽くしてきた。生前の功績に深く敬意を表し、謹んでお悔やみ申し上げる」としています。

宗教研究者「1つの時代が終わった」

宗教研究者で東京大学の島薗進 名誉教授はNHKの取材に対し、「1つの時代が終わったという印象です。新宗教の発展期を代表するリーダーで影響力の大きい最後の人物だったと思います。創価学会の政治進出は第2代会長のときに始まりましたが、大きな政治勢力に発展していく時代のリーダーで、社会的にも注目されました。池田氏の個人的存在が求心力になっていたので、創価学会が今後宗教団体としてどう活動していくか模索していく中で、1つの転換点になると思います」と話していました。

田原総一朗氏「評価している」

1960年代から池田氏を取材してきたジャーナリストの田原総一朗さんは、池田氏と3回にわたり、それぞれ1時間半以上討論したことを振り返ったうえで、「池田氏は、それまでの創価学会の会長と異なり他の宗教を『他宗』と呼んで初めて認めた。また、生活を犠牲にする献金を認めなかったことについても評価している」と話していました。

中国メディア「中日友好に尽力」

創価学会の池田大作・名誉会長の死去について、中国のメディアも相次いで伝えました。

中国共産党系のメディア「環球時報」は池田氏が1968年に日中国交正常化に向けた提言を発表し、国交正常化後の1974年には当時の首相、周恩来と会談したことなどを紹介した上で「中日友好や文化交流、教育交流などに積極的に力を尽くした」としています。

ネットメディアの「澎湃」は「池田氏は世界各国の要人と会談し、民間外交を展開するとともに、中日両国の民間交流の推進に重要な役割を果たした」と伝えています。

創価学会とは

創価学会は、法華経を説いた日蓮の教えを信奉する宗教法人です。昭和5年に前身の団体が設立され、終戦からまもない昭和21年に現在の名称となり布教活動を行ってきました。

もともとは日蓮正宗の信徒団体でしたが第3代会長に就任した池田大作氏のもと組織が飛躍的に拡大する中、日蓮正宗の総本山である大石寺との関係が悪化。

創価学会は平成3年に破門された形となっていますが、平和運動や文化、教育の分野に活動の幅を広げた結果、会員数は増え続け、創価学会の発表によりますと現在の会員は国内だけで827万世帯に上るということです。

布教活動を強力に進める一方、「公明政治連盟」の結成などを経て昭和39年には公明党を結党。政界への進出も果たします。

当時の公明党と創価学会との関係には「政教一致」との批判が付きまとい、昭和44年には組織に批判的な本をめぐる出版妨害が大きな問題となりました。

翌年、当時の池田会長が謝罪し、創価学会と公明党を組織として切り離す「政教分離」を宣言することで事態の収拾を図りました。

これをきっかけに政治への関与の度合いを弱めることになったものの、創価学会は今も公明党の支持母体として政界に一定の影響力を持ち続けています。

池田大作氏が目指したものとは

池田大作氏は、「万人の幸福」と「世界平和」の実現を根本的な目標とし、布教活動と組織の拡大に取り組んできました。

池田氏が長年、平和運動に取り組んだ原点には、少年時代に空襲で住まいを奪われ兄を失った戦争への怒りがありました。

昭和39年には、太平洋戦争中に激しい地上戦が行われた沖縄で、小説「人間革命」の執筆を始め、冒頭で「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」とつづりました。

平成15年に創価学園の入学式であいさつに立った際には、「私が皆さん方と同じ年代のとき、日本は残酷な戦争に入りました。4人の兄を兵隊に奪われて一番上の兄は戦死し、母の悲しみはあまりにも深かった。疎開して建てた家も空襲で焼けてしまった。だから戦争は反対です、断固として私は」と述べていました。

池田氏は核兵器の廃絶も目指し、昭和50年には国連本部を訪問して当時の事務総長に核廃絶を願う1000万人分の署名を提出しました。

また、2021年1月に発表した提言では、核兵器禁止条約の発効を受けて、「唯一の戦争被爆国である日本は、他の核依存国に先駆けて締約国会合への参加を表明し、議論に積極的に関与する意思を明確にした上で、早期の批准を目指していくべきではないでしょうか」と記していました。

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