米でも中国でもない 世界的な生成AI技術者が日本を選んだワケ

米でも中国でもない 世界的な生成AI技術者が日本を選んだワケ
生成AIの研究開発を世界でリードしてきた2人の海外出身技術者が、この夏、日本を拠点にスタートアップ企業を立ち上げた。生成AIの先進地と言えばアメリカだ。なぜ彼らは、ビジネスの舞台に日本を選んだのだろうか。その理由を直接聞いてみた。

(おはBizキャスター 渡部圭司/政経・国際番組部ディレクター 大川祐一郎)

海外出身2人のすご腕技術者 日本で起業する

日本で起業したのは、デイビッド・ハさんと、ライオン・ジョーンズさん。ともにIT大手・Googleの研究開発部門などに在籍し、生成AIの研究開発で世界をリードしてきた。

そして、2人はこの夏、日本で新たな会社を立ち上げる道を選んだ。
ジョーンズさん
「AI=人工知能の歴史の中で、今は非常にエキサイティングな時期です。新たな技術やアイデアを生み出し、AIのさらなる可能性を探っていくためには、その開発に時間をあてられる新たな会社が必要でした」
CEOのハさんは、香港生まれで、幼い時にカナダに移り住んだ。地元のトロント大学はAI分野の研究で世界的にも先進的なことで知られ、ハさんはそこで画像処理などについて学んだ。

その後、投資会社やGoogleの研究開発部門などを経て、直近では、画像生成AIの開発をリードするイギリス企業の研究責任者も務めた。
共同設立者のジョーンズさんは、イギリス出身。生成AI業界では、広く知られた存在だ。
生成AIの爆発的な普及につながった「トランスフォーマー」と呼ばれる言語処理モデルの開発に携わり、2017年、この技術に関する世界的な論文「Attention Is All You Need」を発表した8人のうちの1人なのだ。
AIによる自然なことばのやりとりを、すぐにできるようにすることを可能にしたこの技術。日本でも注目された「ChatGPT」の「T」は、トランスフォーマー(Transformer)の頭文字を意味していて、ジョーンズさんたちが発表した技術が使われている。

“サカナ”の決意

この夏、ハさんとジョーンズさんが日本で立ち上げた会社の名前は「Sakana AI」だ。

文字どおりモチーフは「魚」。会社のロゴにも魚の群れが描かれている。
なぜ「魚」なのか?そこには、2つの決意が秘められている。

1つが、魚の群れのような自然界に着想を得たアイデアでAIを開発していこうという決意だ。そして、もう1つは、ロゴの“赤い魚”が象徴している。

これまでの技術開発とは一線を画し、革新的なAIを生み出そうという決意だという。
ハさん
「私たちは“赤い魚”であることを目指しています。他の企業が進めているような技術開発を追いかけるのではなく、私たちが信じていることを追求しようとしているのです」

“サカナ”のようなAIとは?

ではいったい、2人はどのようなAIを生み出そうとしているのか?研究開発の最前線にいた2人は、これまでの技術に課題を感じてきた。

現在のAIは、膨大なデータや計算量を必要とし、いわば橋やビルなどの巨大な建造物のようなものだという。

外部の環境の変化に適応しづらく、システムの監視や高度なメンテナンスが常に必要で、起きた問題に対して、継ぎはぎで解決していかないといけない。その巨大さゆえデータセンターなどで膨大な電力を使用することも課題だ。

これに対し2人が目指すのは、魚の群れが天敵を避けて泳ぐように、より柔軟で効率的なAIだ。
小さな生物が組織をつくって動作する自然界のシステムを見習うことで、環境の変化に適応しやすく、たとえ一部が故障しても動作し続けるようなAIの仕組みができると考えている。それは使用する電力を抑えたエネルギー効率の良いモデルにもなるという。
ジョーンズさん
「1匹の魚は単純な動きをしますが、それが群れになると、はるかに複雑な行動をとる可能性があります。私たちは、こうした自然界のアイデアをAIに活用していきたいのです。建造物のように大型ではなく、より小さくて多数のものがお互いに連携するようなモデルを作ることで、はるかに柔軟で、計算量を抑えた仕組みにできると考えています」

なぜ日本で?アメリカでも中国でもない選択

2人は、なぜ“サカナ”が泳ぐ場に、日本を選んだのか?AIの開発には、アメリカという広くて泳ぎやすそうな“海”があるのではないか。

理由を尋ねると、世界でリードしてきた2人だからこそ感じている危機感を語った。
ハさん
「私たちは世界中のAIの研究開発現場を見てきましたが、そのほとんどは、アメリカのベイエリア(サンフランシスコ周辺)か、中国の北京にあります。AIという重要なテクノロジーが、少数の企業や政府によって支配されるのは、世界にとって健全ではなく、私たちはこれを望みません。アメリカと中国の間に位置しているのが日本であり、地政学的にも経済的にも、日本が技術開発の分野でより重要になると考えました」
アメリカでも、中国でもなく、あえて日本を選んだという2人。実は、日本との関わりも深い。

ハさんは2018年から、ジョーンズさんは2020年から、Googleの渋谷のオフィスに勤務。日本の文化や風土が、新たなアイデアを生むきっかけになってきたという。

そして何より、2人は日本が大好きだ。
インタビューの現場にジョーンズさんが着てきたTシャツに描かれていたのは、日本が生んだ、何でもパクパクと食べてしまう黄色のゲームキャラクターだった。しかも、ゲームが最終局面でバグ(不具合)を起こしたシーンが描かれているバージョンだという。
ハさん
「2人とも日本での生活が大好きです。ここでの暮らしはとても刺激的で、創造的で、多くのアイデアが生まれます」

日本だからAI人材が集まる?

ことし9月、2人は、東京・港区にあるスタートアップ拠点にオフィスを構えた。

この拠点には有力なスタートアップのほか、国内外の大手企業や自治体など、280社超が入居する。各社が連携や投資を模索していて、2人もここでビジネスチャンスを広げようとしている。
彼らが日本を選んだ理由の1つに、日本の人材への期待がある。アメリカの大手IT企業の間では、人材獲得競争がしれつで採用にかかる費用がとてつもなく高くなっている。それに比べると日本のIT人材は優秀な人でも人件費は決して高くはなく、国際的に過小評価されていると感じている。
ジョーンズさん
「Googleのオフィスで出会った日本の人たちは、創造的で革新的な人々でした。ここには強力な才能がいることは明白だと思います」
ハさん
「日本の学生には、技術面だけではなく、芸術面においても創造的な人がいます。私たちは、AIの開発において、芸術や人文学、科学を組み合わせることが重要だと思っていて、こうした才能がある人材を日本で獲得したいと考えているのです」
今後、海外からもAI人材を呼び込む方針だ。日本に来て住んでもらい、オフィスで一緒に働くことを前提にしているが、すでに関心を寄せている人がいるという。
ジョーンズさん
「日本で会社を立ち上げると言うと、アメリカなどから人材を連れてくるのは難しいと話す人もいましたが、実際には、すでに多くの人たちが、海外から私たちに仕事を求めるメールを送ってきています。日本は、私たちが雇いたいようなコンピューターサイエンスのオタク的な人たちに、特に愛される国なのです」

日本を生成AI開発の先進地に

ハさんとジョーンズさんは、あえて明確な事業のスケジュールを持っていないという。すぐにできる成果を求めるのではなく、時間をかけて革新的な研究開発を行うつもりだ。

2人の目指すAI開発で、どのように社会が変わっていくのか?ジョーンズさんが例に挙げたのは、英語と日本語の翻訳技術のさらなる向上だ。
ジョーンズさん
「日本語と英語の翻訳は、はるかに双方向的なものになっていきます。翻訳したい文章を入れた時に、そこにはきっとあいまいな部分があり、AI側からあなたに、何を意味するのか問いかけてくるようになります。文化的な誤解をなくし、どう翻訳すべきかを判断するためのものです。私たちはスタートアップなので、これからどうなるかは分かりませんが、こうしたテクノロジーの開発をしてみたいと考えています」
ハさんは、今回の起業が、日本がAIの研究開発の先進地になる呼び水になってほしいと願っている。
ハさん
「日本には言語の壁の問題はありますが、私たちは日本で暮らし、切り抜けられることを知っています。私たちが新たな会社を立ち上げることが、日本でAI研究開発のエコシステムをつくるきっかけになってほしいと思います」

日本の可能性 今後は

日本国内では“イノベーションが生まれづらい”という声をよく聞く。しかし、海外出身の2人は、日本を選んだ。
日本が秘めている可能性にかけているし、それはAI分野での研究開発をリードしてきた2人の経験に裏打ちされたものだ。

外から見えている可能性やチャンスを、日本に暮らす私たち自身も、さらに広げていくことはできるだろうか。

日本の政府は、革新的なビジネスを生み出すスタートアップ企業に、今後5年で10兆円規模の投資を官民一体で行うとする目標を掲げて支援を行っているが、道半ばだ。

アメリカなどからの遅れも指摘されているが、まだ挽回できる目はあると、2人の話を聞いて感じた。
おはBizキャスター
渡部圭司
2002年入局
金融・ITなど幅広く取材
4年間のNY駐在も経験
趣味は全国の城とジャズ喫茶巡り
政経・国際番組部ディレクター
大川祐一郎
2011年入局
青森局、経済部、福井局、おはよう日本を経て現所属
生成AIを使い始めたばかり