ガザ地区退避 国境なき医師団の日本人スタッフ 緊迫の日々語る

国際NGO国境なき医師団の一員としてガザ地区で活動し、イスラエルとハマスの衝突を受けて、今月1日にエジプトへ退避した日本人スタッフの白根麻衣子さんがオンラインで会見しました。

白根さんは、国際NGO国境なき医師団のスタッフとして、ことし5月からガザ地区北部のガザ市を拠点に、医療活動を支える現地スタッフを雇用するなどの業務を担当していました。

イスラエル軍が先月13日、ガザ地区北部の住民に対して、避難するよう通告したあと、比較的安全だとされる南部にある施設に移りました。

ガザ地区北部を離れた際の状況について、白根さんは「現地のパレスチナ人のスタッフは、私たち外国人が出ていくと空爆のターゲットになってしまうのではないかと懸念していました。あとで現地のスタッフに聞いたところでは、地元の住民が走り出した私たちの車を追いかけて『何で行ってしまうのか』とか、『乗せてくれ』と訴えていたそうで、それを知った時は胸が張り裂けそうになりました」と複雑な心境を話しました。

また、エジプトへの退避まで2週間あまり続いた南部での生活については「昼夜問わず空爆が続いていて、夜中の3時、4時であっても目を覚ますという生活でした。私たちの食料や水は、現地のパレスチナ人が命がけで確保してくれました。退避直前には食料が尽きてきて、なくならないように計算しながら、食べていました」と話しました。

白根さんたちは、今月1日にラファ検問所を通ってエジプト側へ退避しました。

そのときの状況について、白根さんは「検問所には3週間開くのを待っていたという人も多く、いち早く境界を越えようと混乱した状態で、人が入り口に押し寄せている状況でした。パレスチナ人のスタッフが通訳をしてくれたり、人混みをかきわけて、私たちを通してくれたりして、ようやくエジプト側に渡りました」と説明しました。

その上で白根さんは「3週間以上、毎日空爆やミサイルの発射の音を聞き、水や食料も日々不足する中で命の危険を感じていたので正直安どしました。ただ、戦争はまだ終わっておらず、多くのパレスチナ人たちは日々空爆や物資不足に苦しみ、けがをしても適切な治療が受けられないという状況はまったく変わっていません。正直、100%喜べることはないです」と話していました。

白根さんは、ガザ地区では国境なき医師団のパレスチナ人スタッフがみずから志願して医療活動を続けているとして「私たちが行っていた活動が全くできなくなっていることが本当に心苦しいですし、現地スタッフが命をかけて治療にあたっていることを考えると心残りがあります。いったん退避しましたが、今後ガザのためにできることは何でもしたいと思います」と述べました。