マーケター・森岡毅 強みは磨いてつくる

マーケター・森岡毅さん。
「現代最強」とも評されるマーケターです。消費者のニーズを分析し、戦略を立て利益を生み出す「マーケティング」を武器に数々の企業で業績を挙げてきました。その業種も幅広く、経営難に陥っていた大阪のテーマパークでは、ゲームやアニメのキャラクターを生かしたアトラクションなど、次々に企画を成功させます。うどんチェーンでは店舗でうどんを打っているという特徴を前面に出し、売り上げをV字回復。埼玉県の遊園地はその古さを逆手に取り、懐かしさやあたたかみのあるレトロな遊園地として再び輝かせました。
しかし森岡さんは「最初は消費者の心理を読みとるのが苦手だった」と語ります。現在もビジネスの最前線で挑戦を続ける森岡さんはそんな弱点をどのようにカバーし、強みを磨いていったのでしょうか。そして今若者たちに伝えたいメッセージとは。
(聞き手:高瀬耕造アナウンサー、取材:坂本聡アナウンサー)

“シュークリーム”にも独自の視点

2人が集合したのは兵庫県西宮市の洋菓子店。
森岡さんが一直線に向かったのは…。

大好物だというこの店のシュークリーム。

(森岡さん)
すごくオーソドックスで、変なことは一切せずにめちゃくちゃおいしいので。王道のシュークリームだと僕は思っています。

ただ、“最強”マーケターが感激するのはシュークリームの「味」だけではないようです。

(森岡さん)
ビジネス的に見ると、まずコストが高いんですよ。乳製品は極めて仕入れ原価が高い。原材料が高い。もう一つ、人件費が高い。技術を持った職人さんを使わないといけないから。あと在庫。生菓子は保存が利かないですよね。需要予測を間違えたら ものすごい在庫を捨てなくちゃいけなくなる。ものすごく利益を出すのが難しいビジネスなんですよ。
何してもマーケターなので。すべてのものが消費者の視点とビジネスとしての視点と両方から見えてくる。

(高瀬)
いつもそんな感じなんですか?(笑)
森岡さん、食べるとき何をするときも常に事業とかビジネスモデルとかいろいろ考えながら…?
(森岡さん)
そうですよね。喫茶店に入ったら、「この喫茶店の利益率はどのくらいかな」とか。僕がいて30分滞在した間のお客さんの数と回転率を計算して、「ここは厳しそうだな」とか、「大丈夫かな」とか。「もうちょっとメニューの作り方を工夫しないとやばいな」とか。いろいろなことを考えながらコーヒーを飲んでいます。
(高瀬)
面倒くさいお客さんですね(笑)
(森岡さん)
(笑)
何も言いませんけどね。黙って飲んでますけど、頭の中ではいろいろ考えながら。

思い出の教室 神戸大学

森岡さんの母校・神戸大学です。およそ30年前授業を受けていた経営学部の大教室を訪ねました。

(森岡さん)
変わってないですね。すごく雰囲気がいいすばらしい建築で。当時から僕はこの部屋が大好きでした。
僕の仲がいい友達とかもこっち側によく座っていて。存在を消してたんですね。なぜかと言うと、大体の先生は右利きなんですよ。右利きの人はチョークを右手に持って右を向くんです。なので、ここがいちばん死角になります。
(高瀬)
そんなことまで考えてたんですか(笑)
(森岡さん)
気配を消すのも戦略的に(笑)
正面を向いたときだけ見えるので。正面の気配を感じたときだけ前を向けばいいという。そういう、戦略的な席なんです。

少年時代から戦略家!?

兵庫県伊丹市で育った森岡さん。マーケターとしての「強み」につながる特徴は少年時代からあったそうです。

(高瀬)
子どもの時から基本的に今の森岡さんだったんですか。
(森岡さん)
子どもの時も今もあまり変わらないのは、自分の頭の中で考えて、思いどおりに世の中に対して何かを仕掛けていく、みたいなことは結構好きでした。子どもの時も今も、たぶんこれからもですよね。
逆に苦手なのは、広く、うまく多くの方とおつきあいすることですね。一匹おおかみ的でクラスの中でもあまりなじめなかったし、小学校の時もそうでした。
(高瀬)
事前取材によると、「ブラックジャイアン」と呼ばれていたって。なかなかなニックネームですね(笑)
(森岡さん)
めちゃめちゃ悪そうでしょ(笑)
スネ夫とかをはべらせてどうこうするわけじゃないですよ。基本的に1人で、でも何かあったら結構強引に何でもやってしまうので。周りからは一目置かれながら一歩引かれていたっていう感じです。今だから普通に話せますけど、子どもの時はちょっとさみしいなっていう思いがあって。
ただそんな僕でもたまにめちゃくちゃみんなの役に立てる瞬間が来るんですよね。運動会とか、何か争いごとで勝たないといけないときです。僕は勝つためにいろんなことを考えて、結構いろんなことを思いつくんですよ。
(高瀬)
軍師みたいな感じ?
(森岡さん)
例えば、綱引きの練習で自分たちのほうが3回連続で負けたんですよ。みんなが結構悔しがっていると。すると「森ちゃん、何か勝てる方法無いの」って友達が僕のところに聞きに来るわけですよ。僕もずっと考えていて、思いついちゃうんですよね。
本番の時に何をやったかというと…綱引きってみんなで力を合わせて勝てると思うから力が入るんですよね。僕がしたのは、笛だけ持って相手のほうに走るわけですよ。相手のほうに走って笛吹きながら「もう負ける負ける負ける、もうだめやもうだめや、もうだめやもうだめや」って。特に先頭辺りに「負ける負ける、うわ、もう負けるわ、もうあかんわ」言い続けた。これだけで実は勝てるんです、綱引きって。
(高瀬)
勝てるけど(笑)

(森岡さん)
このあとむちゃくちゃ先生に怒られて。でも「勝った、勝った」ってみんな喜んでくれる。僕の中ではちょっとうれしい。みんなが喜んでくれるんですよ。
(高瀬)
そこにはみんなに喜んでもらいたいというのもやっぱりあったんですか。
(森岡さん)
日頃さみしいですからね。みんなを勝たせるのが好きになっちゃったんですよ。自分が誰かとの勝負に勝つことよりも、みんなと一緒に勝って、みんなが喜んでくれるほうが、自分1人で勝つよりずっとずっと蜜の味なんですよ

だけど国語が大の苦手

鋭いアイデアで「勝ち筋」を見つけるのが得意だった森岡さん。
一方で「苦手なこと」もありました。

(森岡さん)
国語の点数が悪すぎて「大学生に俺はなれないんじゃないか」と思っていました。
(高瀬)
あれだけ今巧みにことばを操っている森岡さんが国語苦手だった・・・?
(森岡さん)
国語が苦手で。
小学校の時とか中学校の時とか覚えてますけどね。小説の読解がいちばん苦手でした。「この時の主人公の気持ちに最も近いものを以下の5つから選びなさい」。なんとかでさみしい気持ち、なんとかで切ない気持ち、なんとかで疑うような気持ち…いろいろ書いてあるじゃないですか。それを選ぶことに何の意味も感じなかったですね。だいたい小説という誰かが作った作り話の主人公の気持ちに正解がある、というのを問題にすること自体腹が立つんですよ。当時は割り切れないものに答えがあって点をつけられるっていうことがすごく嫌で。国語の点は低かったですね。
「数学しか能が無い、どうやって大学生になるのかな」って思ったときに、神戸大学に数学の一芸採用枠が少しだけあったんですよね。「これでいこう」と思って。それで受験させていただいた。

(高瀬)
そういう意味ではその時点で自分の強みを生かさなきゃいけなかったわけですね。
(森岡さん)
そうですね。生き残るため、自分の中のマシなところがはまる文脈。数学が得意だったら、配点的にそれが有利に響くところです。数学だったら満点が取れるわけですよ。

人生の考え方を変えた友人の死

森岡さんが大学3年生の時、人生についての考え方を大きく変えるできごとがありました。1995年1月17日、阪神・淡路大震災です。

(高瀬)
森岡さんはこの神戸大学在学中に阪神・淡路大震災を経験されていますよね。ご自身の中で相当大きな経験・体験だと思うんですけど、ご自身の中で何がまず巡ってきますか。
(森岡さん)
そう聞かれると映像で浮かぶことは最初1つあって。仲がよかった友達の骨です。大阪の北の斎場に行ったときのことです。もうこの辺りの火葬場が全部いっぱいになって、大阪まで運ばないと焼いていただけなかった。そこに友人と一緒に彼女を運んで。彼女もこの部屋で一緒に勉強しましたけど、頭がよくて、朗らかで、いたら周りがあったかくなる人だったんですよ。そんな方があっけなく亡くなった。彼女の骨が出てきて、みんなで骨を拾ったときに、ものすごく軽かったんですよね。ものすごい衝撃を受けましたね。本当にすばらしい人だったので。
「死神の確率って、いいも悪いも善人も悪人も無いんだな」とまざまざと実感して。「自分はいつ死んでもおかしくないんだ」ということはあの時からすごく意識するようになりました。

(高瀬)
神戸というのは森岡さんにとってはどういう場所・街ですか?
(森岡さん)
僕にとっては覚悟をくれた街ですね。自分の強みを使って外資系メーカーに飛び込んで、プロになっていく覚悟が決められた。それは地震がいちばんのきっかけですけど、この神戸大学を中心としたエリアで自分の旅立つ覚悟を整えさせてもらいました。

苦手なことでも“強み”を生かす

大学を卒業後、森岡さんは神戸に本社がある外資系メーカーに就職、マーケティングの世界に飛び込みます。
ところが大きなピンチが待ち受けていました。

(森岡さん)
社会人にデビューして、「数学が得意だから僕はきっと結構マーケターとしてはいけるんじゃないか」という優良誤認で会社に入ったんですよね。世界最強のマーケティングカンパニーと当時いわれていた外資系メーカーに入って。すると同期も先輩たちもめちゃめちゃ優秀なんですよ。僕ができないことが簡単にできる。
それは、消費者どうしの会話を聞いたら、「消費者にとって何が重要か」を洞察して理解するということです。マーケターには結構重要な能力なんですよ。それが僕は普通の人よりもできなかった。ものすごくできなかったです。
(高瀬)
洞察とか、心理とかを読み解くってことですか?
(森岡さん)
いわゆる小説読解と一緒で(笑)
ファジーなものを読み解くのが苦手なんですよね。

そこで森岡さんが考えた方法は、「消費者の求めていることは、消費者になりきって考える」。若者向けヘアカラーの担当になったときは毎日別の色に髪を染めました。苦手としていた仕事も自ら考え抜いた方法でクリア。社内でも結果を残していきました。
森岡さんはたとえ苦手な領域であっても「強み」は生かせるといいます。

(森岡さん)
好きなこと・やってみたいことを目指して、自分の特徴・得意なことを生かしながらたどり着くほうが結果を出せる確率が高くて。苦手な領域であったとしても、自分の特徴を使いながらだったら努力が続けられるので身につくことがあるということじゃないですかね。
(高瀬)
えてして、教育現場とか仕事場とかそういったところでは、割と弱点を指摘して「できないところを伸ばす」「なんとかしてまともにする」ような、そういう教育のほうが主流だと思うんですけど。
(森岡さん)
全部がそこそこできる、オールマイティーな、いわゆるユーティリティープレーヤーも社会にとってはとても大切です。でも、どこか突出して必殺技を持っている、ほかのことができなくても、「ここはこの人」という人がたくさんいていいんだと思うんですよ。自分の中で頑張れることを縦に伸ばしたら結果的にそうなるはずなんですよね。そこに努力の重心が集まってきたときには、何かおもしろい、もっと彩りのある社会になるんじゃないですかね。

では森岡さんの強みはどう磨かれてきたのでしょうか。

(高瀬)
子どもの時からそうですけど。どうしてほかの人たちと違う面があったと思いますか。
(森岡さん)
頭の中で考えることが好きだったんだと思うんですよ。それが好きだったからたぶん、その行動をほかの人よりたくさん積んでいく、そういう構造にあっただけだと思うんですよね。僕の場合は何か考えてみんなを勝たせるのが好きになってしまった。もともと考えることが好きだったんですかね。
(高瀬)
じゃあもともとはそんなに違い・差があったわけではないけれど、森岡さん自身が好きで繰り返してきた経験の数で強みに育っていったということですかね。
(森岡さん)
僕は「強みは育つもの」だと思っています。

地方から日本を活性させたい

森岡さんの「強みをどう伸ばすか」という視線は、人や企業だけでなく地域にも注がれています。
森岡さんの現在の挑戦について神戸大学の百年記念館でお話を聞きました。

(高瀬)
景色すばらしいですね。
(森岡さん)
すばらしいですね。神戸のすばらしい景色を見事に切り取っている。神戸は山と海がすごく近い。そこにすごい異国文化も含めてさまざまなものがぎゅっと詰まっている街ですね。

(高瀬)
神戸、ひいては兵庫にはポテンシャルや可能性はありますか。
(森岡さん)
人でもビジネスでも公共政策でも、この土地ならではの培ってきたもの、特徴を生かした魅力を生かすということです。最初それは魅力として、特に地元の方には魅力として目に見えないかもしれないです。ただ、その土地の持っている特徴を「消費者にとっての魅力」という切り口に切り替えると、それが訴求点になって、その地域の魅力が発信できると思うんですよね。

それぞれの土地には魅力があり、強みがある。森岡さんは、その強みを生かして地方から日本全体を活性化しようと、沖縄でテーマパークを作る事業を進めています。

(高瀬)
沖縄でのテーマパークの構想に対しては、なみなみならぬこだわりと情熱がおありなんですね。
(森岡さん)
日本は観光で伸びると言われていますけど、その中で最も大きな伸びしろを示すポテンシャルを持っているのは、いろんな計算をしましたけど、やっぱり沖縄なんですね。沖縄は女神に選ばれた島で。まず自然遺産、海も山も森もすばらしいわけです。独特の音楽、独特の食文化がある。魅力があるので、あそこに人が来るようになるのは当然のことなんです。あそこに人を呼ぶということは達成可能だと思います。
ただ、それだけではだめで。どうやって次の世代の豊かさにつなげるかという構造が必要です。ひとことで言うと、稼ぐだけではなく「人をつくる」ということだと思っているんです。テーマパークを通じた観光人材育成の構造を地元の方と一緒になってつくる。それこそマーケティングの力が生きるときなんじゃないかと思ってます。

次世代の若者たちへ

4年前、森岡さんは就職活動を控えた長女に向けたメッセージを1冊の本にまとめました。伝えようとしたのは社会の厳しい現実と、それでも失ってほしくない「希望」でした。
「この世界は残酷だ。しかしそれでも君は確かに、自分で選ぶことができる。」(作中より)

(森岡さん)
まだ半世紀しか生きてなくて、まだ50歳なんですけど。50でもやっぱり今まで感じたことがあって。
学校では「人間は平等だ平等だ」って教えられるじゃないですか。僕は「権利は平等」、もっと言うと「チャンスは平等であるべき」だと本当に思います。そこは間違いのない前提です。ただ、人は平等には生まれてないですよね。持って生まれたもの、生まれた家の経済力、生まれた国も違う。生まれながらに実は人間は不平等なんです。
そこで、ひとりひとり違う条件で生まれているのを、むしろポジティブに捉えることはできないかと。「ひとりひとり実は違うんだ」ということですよね。「自分は世界で唯一無二の特徴を持っているはず」と思えば、「自分にしかできないこと」、「自分にしか思いつかないこと」って何かあるんじゃないか。もしくは「自分だからこそ世の中にポジティブなアウトプットをできることがあるんじゃないか」と。
それが子どもに伝えたかったことなんです。選べると思ったほうが人生楽しいし、忘れがちな自分の手の中にある人生のサイコロの感触っていうのを忘れないでほしいんですよ。振るべきときに振る勇気を持ってほしい。
(高瀬)
ちなみにこの本を受け取った、あるいは読んだ娘さんはどんな反応を示したんですか。
(森岡さん)
実はですね。娘には本になる前に原稿として渡してるんですよね。「いろいろ考えてくれてありがとう」と。「大丈夫、私はちゃんと自分のサイコロを振るよ」って。2行だけ書いて机に貼っておいてくれて。僕はそれで結構満足したんですよね。ありがたいなと。

(高瀬)
今、これから社会に出て、あるいは社会に出たけれど「これからどうしよう」と思っている若い人たちに、「ここから頑張れよ」ということでいうと、どんなことを伝えたいですか。
(森岡さん)
ご自身の中に、必ず誰かの役に立てる何らかの特徴があるんだということを、だまされたと思って本気で信じていただきたい。それを信じないことに何の得もないからです。例えば「自分ちょっと英語が得意かな。でも自分より英語得意な人間なんか山ほどいる」と思ってしまって。「自分は何ができるんだろう」とほかの人と比べてすごく自信を失って、「自分はこれで生きていける」、「これだ」っていうものが無い方がほとんどだと思うんですね。
それって実は当たり前です。今強みがあるわけがない。強みはこれからつくっていくからなんですね。今あるのは、「磨いたら光るかも分からない特徴」なんですよ。今強みが無いのではなくて、本当は「強みになる特徴があるんだけど気づけてない」と思うんです。でも「きっとそれがある」って思わないと、努力する力が湧いてこないので、本当にだまされたと思って、一回信じてみる。その特徴が生きると思える環境にとりあえず出てみて、その中で自分が信じた特徴を一生懸命磨いていく中で、自分の強みをつくっていく。強みは出来上がっていく。これからなんですよ。
「自分の特徴を見つけて、磨いていく旅」。それが僕はキャリアだと思ってます。社会っていろんな方が悲観的なことをおっしゃいますけど、自分次第で楽しく生きられる未来はきっとあると僕は思っています。