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関西対決が再び “牛若丸” 当時を語る
プロ野球の日本シリーズで59年ぶりに“関西対決”が実現しました。その半世紀以上前の試合を知り尽くしている人がいます。
阪神を指揮して1985年に日本一に導いたあの吉田義男さんです。
90歳になった今、再びの盛りあがりに思いをめぐらせています。
(大阪放送局記者 並松康弘 中村拓斗)
“関西対決” 70年間で1回は寂しかった
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吉田義男さん
「1950年に2リーグ制になって73年ですか。私も19歳でプロ野球に入ってプロ野球と関わって、ことしでちょうど70年ですよ。その間に関西対決が1回というのは寂しい気はしていましたね。
今回は関西が盛り上がってね。久々というよりも盛り上がりは初めてと言っても過言ではないですからね」
京都府出身の吉田義男さんは1953年から阪神一筋で17年プレーしました。
ショートでの華麗な守備から“牛若丸”の愛称で親しまれました。
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1964年のシーズンは自身初の打率3割をマーク。
1番・ショート、攻守でチームを引っ張り、リーグ優勝を果たしました。
この年の日本シリーズの相手は当時、大阪市を本拠地としていた南海。
これが最初の“関西対決”です。
“関西対決” 今でも鮮明に
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3勝3敗で第7戦までもつれる熱戦になった日本シリーズ。
阪神は本拠地の甲子園球場で行われた第7戦で南海のジョー・スタンカ投手に、このシリーズで3回目の完封負けを喫しました。
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さらに、この日は東京オリンピックの開会式。
日本一が決まった試合にもかかわらず、観客はおよそ1万5000人。
前の試合より1万人以上も少なかったのです。
吉田さんにとっては苦い記憶ですが、当時の日付はもとより試合が雨で中止になったことなど半世紀以上たった今でも鮮明に覚えていると言います。
吉田義男さん
「9月30日にシーズンの最終戦をダブルヘッダーで優勝を決めて10月1日から日本選手権(日本シリーズ)でした。私の記憶は完全にスタンカ1人にやられたという印象が非常に強いです。
東京オリンピックで非常に盛り上がったことで、大阪でのプロ野球は、お客さんがいま思い出してもパラパラでした」
59年前との違い
あれから59年、再び日本シリーズでの“関西対決”が実現しました。
オリックスの本拠地、京セラドーム大阪で行われた第1戦と第2戦は、いずれも3万3000人を超える観客が集まり、ほとんどの席が埋まりました。
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吉田さんはこうした光景を見て、ファンの様子にかつてとの違いを感じていました。
吉田義男さん
「我々がやっていた時は勝敗を応援していただくのが大きな比重を占めていて、ファンからいろいろなやじもありました。
いまは本当に野球が好きで、勝敗よりも選手の活躍を楽しむ雰囲気を感じる応援で、ファンの気質、性格が大きく変わった印象を受けました。選手は幸せだと思います」
阪神を初の日本一に導く
吉田さんは現役引退後、3回に渡って阪神の監督を務め、1985年にはチームを唯一の日本一に導きました。
三冠王に輝いたランディ・バース選手や、今の阪神の監督・岡田彰布選手などを擁する強力打線。
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当時のセ・リーグ記録の219本のホームランを打ちました。
日本シリーズでも勝った4試合すべてでホームランが決勝点となり、チームの特長を存分に発揮しました。
再びの関西対決、勝負の分かれ目は…
吉田さんはこうした経験を踏まえて、日本シリーズでの戦いのポイントはシーズンどおりの戦いぶりが出来るかどうかだとみています。
吉田義男さん
「現時点では五分五分ですね。もつれると思いますよ。1年間やっていた戦いの証しを選手権(日本シリーズ)で示したチームが勝つんじゃないですかね」
38年ぶり 再びの日本一へ期待
阪神はみずからが監督をして成し遂げて以来となる38年ぶりの日本一を目指しています。
ともに戦った岡田監督に悲願を託しました。
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吉田義男さん
「監督と選手の関係でしたが、かつて苦楽をともにした絆はずっとありますよね。ピッチャーがしっかりして、守り勝つというレギュラーシーズンどおりの野球をやってくれれば、日本一を取れるんじゃないですか」
(10月31日 ほっと関西で放送)