沖縄 辺野古工事の承認めぐる“代執行”裁判 初弁論で結審

沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設先になっている名護市辺野古沖の地盤の改良工事をめぐり、国が県に代わって工事を承認する「代執行」に向けて起こした裁判は30日、初めての弁論が行われました。国側が「県が工事を承認しないのは違法で、代執行以外に手段はない」と主張したのに対し、沖縄県の玉城知事は「対話による解決が最善の方法だという判断を示してほしい」と求め、審理はすべて終わりました。

名護市辺野古沖の埋め立て予定地で見つかった軟弱地盤の改良工事を行うため国が行った設計変更の申請を沖縄県が「不承認」にしたことに対し、今月、国は県に代わって承認する「代執行」に向けて訴えを起こし、30日、福岡高等裁判所那覇支部で初めての弁論が行われました。

国側は「最高裁判所で先月、承認しない県の事務処理が違法だという判断が確定しているにもかかわらず、違法な事務遂行を続けていて代執行以外の手段はない。日本の安全保障と普天間基地の固定化の回避が達成できず、放置することで著しく公益を害することは明らかだ」と主張しました。

そのうえで「法治国家の基盤である『法律による行政』の原理に反する看過しがたい事態だ」などと県の対応を批判し、県に承認することを命じる判決を速やかに言い渡すよう求めました。

一方、県側は玉城知事がみずから法廷で意見陳述を行い、沖縄戦で本土防衛の防波堤として犠牲を強いられたうえに、基地集中が進み、あらゆる被害にさらされてきた歴史について触れ「国が唱える危険性の除去や基地負担の軽減は説得力はありません」と述べました。

そして「そうした国の姿勢を見てきたからこそ県民は移設に反対しており、その民意こそが公益とされるべきだ。代執行という国家権力で県民の期待と願いを踏みにじることを容認せず、国と県の対話によって解決の道を探ることこそが最善の方法であると示してほしい」などと求めました。

30日ですべての審理が終わり、裁判所は、判決の期日は今後示すとしています。

名護市辺野古への基地の移設問題をめぐり、「代執行」に向けて国が起こした裁判で沖縄県知事が法廷に立ったのは、2015年12月の当時の翁長知事以来です。

玉城知事は、裁判が始まるおよそ15分前に緊張した面持ちで廷内に入り、県側の席の一番前の列に座りました。

冒頭、国側の主張が始まると、玉城知事は険しい顔をしながら机の上で手を組み、じっと前を向いて聞いていました。

そして、裁判長から意見陳述を求められると証言台の前に移動し、手に持った原稿を読みながら、時折、裁判官の方を向き語りかけるように意見を述べました。

この中で「対話による解決を図る方法を放棄して代執行に至ろうとすることは到底認められない」とか「県民が示す明確な民意こそ公益とされなければならない」といった部分は特に力を込めて読み上げていました。

知事は、陳述を終えると証言台から一歩後ろに下がり、裁判長に一礼して席に戻りました。

玉城知事「対話による協議こそが民主主義の正当な手続き」

意見陳述のあと、沖縄県の玉城知事は県庁で記者団に対し「県知事としての立場から、国が誠意をもって解決するための手段とはどういうものであるか、それを県民はどう期待しているかを地方自治を預かるという点からはっきりと主張した」と述べました。

そして、裁判所が30日の1回のみですべての審理を終わらせたことについて「即日結審とはなったが判決の期日が言い渡されなかったということについては、裁判所もしっかりと内容について精査しようということの考えではないか。代執行訴訟は地方分権改革が行われてから初めてなので、非常に大きな司法の考え方が示されるだろうと思う」と述べました。

また、玉城知事は「辺野古が唯一の解決策」とする政府の姿勢では移設の問題は解決しないと指摘したうえで「対話による協議こそが民主主義の正当な手続きであり、解決に向けた新しい考え方をお互いに協議をして考えていかないといけない」と述べ、引き続き、政府に対し対話による解決を求めていく考えを強調しました。

一方、玉城知事はこの代執行訴訟で県が敗訴した場合の対応について問われましたが「判決が言い渡されてから検討する」と述べるにとどめました。

国土交通省「埋立法の事務が適法に処理されることを望む」

弁論のあと、国土交通省水政課の江口大暁課長は記者団に対し「公有水面埋立法を所管する立場として、埋立法にかかる事務が適法に処理されることを望んでおります。これ以上のコメントはこざいません」と述べました。

官房長官「地元に丁寧に説明 負担軽減へ全力で取り組む」

松野官房長官は、午後の記者会見で「係争中の訴訟に関することでありコメントは差し控えるが、引き続き関係省庁で適切に対応されるものと認識している」と述べました。

そのうえで「政府としては、着実に工事を進めていくことが普天間飛行場の一日も早い全面返還を実現し、危険性を除去することにつながると考える。さまざまな機会を通じ、沖縄県との対話も含めた地元への丁寧な説明を行いながら、基地負担の軽減を図るために全力で取り組んでいく」と述べました。

辺野古の現場では国が作業 工事に反対する人の抗議活動も

辺野古の現場では30日も国による作業が行われ、工事に反対する人たちの抗議活動が続いていました。

アメリカ軍普天間基地の移設先になっている名護市辺野古沖では、30日も午前8時すぎから、海上で運搬船から台船へ土砂を積み替える作業が行われていました。

その後、土砂はダンプカーに載せられて埋め立て予定地へ運び込まれていました。

一方、埋め立て予定地に隣接するアメリカ軍キャンプシュワブのゲート前では、30日も工事に反対する人たちが抗議活動を行っていました。

正午ごろには、およそ20人が座り込みを行い、ゲートへダンプカーなどの工事車両が入っていくと「戦争につながる基地建設はやめろ」などと抗議の声をあげていました。

浦添市の60歳の男性は「私たちからすると司法の役割を放棄した裁判が続いていたが、今回は公正な裁判をしっかりと司法の場にはお願いしたい。代執行とは地方の力を奪うということで、それが地方分権が叫ばれている今の日本の状況で許されるか裁判の中で判断してほしい。沖縄の民意は基地反対なので、引き続き玉城知事には頑張ってほしいです」と話していました。

辺野古移設問題 これまでの経緯は

《1945年》
沖縄は78年前の激しい地上戦で多くの県民が犠牲となり、その後のアメリカの統治を経て広大なアメリカ軍基地が形成されました。その状況は、「本土復帰」後もほぼ変わらず今も在日アメリカ軍専用施設のおよそ7割が集中しています。基地負担の象徴が宜野湾市の市街地の真ん中にあるアメリカ軍普天間基地です。

普天間基地

《1995年》
28年前、アメリカ兵による少女暴行事件で基地の整理縮小を求める声が高まり、日米両政府が普天間基地の移設先に選んだのが名護市辺野古で、その時々の県知事が移設問題と向き合ってきました。

《2013年》
事態が大きく動いたのは3月、国が沖縄県に辺野古沖の埋め立てを申請し、当時の仲井真知事が12月にこれを承認しました。

《2015年》
翌年の2014年11月に移設阻止を掲げて当選した翁長知事がその後、2015年10月、「法律上問題があった」として承認を取り消しました。これに対し、国は知事の代わりに取り消しを撤回する「代執行」を求める訴えを起こします。

《2016年》
3月、和解が成立して代執行は行われず訴えは取り下げられました。しかし、埋め立てをめぐって県と国が法廷の場で対立する状況は続き、12月に最高裁が翁長知事が承認を取り消したのは違法だとする判断を示し、沖縄県の敗訴が確定します。

《2017年》
これを受けて2月、国は海上の埋め立て工事に着手します。

《2018年》
一方、9月、翁長知事の死去に伴う県知事選挙が行われ、翁長氏の後継として移設反対を掲げる玉城氏が当選し去年の選挙でも再選しました。

玉城知事は就任後、国に対して対話による問題解決を求めましたが、隔たりが埋まることはありませんでした。国は12月、アメリカ軍キャンプシュワブの南側、辺野古側の区域で土砂の投入を始めました。

《2019年》
2月には埋め立ての賛否を問う県民投票が行われ「反対」が多数となりましたが、国は移設に向けた工事を続けました。

《2020年》
一方、キャンプシュワブの北側、大浦湾側の区域では土砂の投入が始まっていません。埋め立て予定地に軟弱地盤が見つかったためで、国は4月、改良工事を行うため設計変更を申請しました。

《2021年》
11月、県は「不承認」とし、新たな裁判が始まりました。

《2023年》
裁判は、軟弱地盤の改良工事を承認しない県に対して国が行った「是正の指示」が違法かどうかが争われ、最高裁は、9月「国の指示は適法だ」として上告を退ける判決を言い渡し、沖縄県の敗訴が確定しました。

県は、国の指示に従い工事を承認する義務を負うことになりましたが、県が応じなかったことから10月5日、国は県に代わって承認する「代執行」に向けて福岡高等裁判所那覇支部に訴えを起こしました。