“誰が死ぬかわからない” 迫る命の危機 ガザからの報告

イスラエル軍とイスラム組織ハマスの大規模な衝突の影響が長期化する中、ガザ地区で支援にあたる日本のNPO法人に現地のスタッフから寄せられた報告では、当初「大丈夫」としていたのに空爆の危険性が迫り、次第に生活の変化だけでなく精神的にも追い詰められている状況がうかがえます。現地では活動が行えない状態で、NPO法人では「一刻も早い支援が必要な状況ですぐに停戦してほしい」と訴えています。

パレスチナなど世界各地で生活を再建するための支援にあたる東京 千代田区のNPO法人『パルシック』は、ヨルダンに退避している日本人スタッフを介してガザ地区で暮らす6人の現地スタッフとチャットアプリを使ってやりとりをしています。

武力衝突が始まった翌日、10月8日のメッセージでは「まだ大丈夫」としていましたが、イスラエルによる空爆が続く11日になると「生き延びようとしている」と緊迫感のある内容に変わっています。

武力衝突から2週間がたった21日には「親友が2人の子どもと共に亡くなり、まだがれきの中に埋まっている」というメッセージが届き、翌日、22日には「家の近くが爆撃を受け私の家も窓ガラスが全壊し、みんな泣き叫びながら外に裸足で出た。心のセラピーが必要だ。食欲も水を飲む気力もなく昨日はずっと泣いていた。一秒でも早い停戦を切望する」などと、生活の環境の変化だけでなく、身近な人が亡くなるなどして精神的にも、次第に追い詰められている状況がうかがえます。

ガザ地区のスタッフから届いた報告の詳細

NPO法人『パルシック』のガザ地区のパレスチナ人スタッフから、東京の事務所に届いた報告の詳細です。

現地から送られたチャットと、ヨルダンに退避している日本人スタッフが書き取った内容を合わせて記載しています。

現地スタッフとのチャットのやりとり

武力衝突が始まった翌日
【10月8日<チャット>】
「まだ大丈夫」

【11日<チャット>】
「あなたの愛とサポートで、私たちはとても強い」

【13日<チャット>】
(水や食料はある?)
「まだ食料も水もある。でも、トイレの水が足りない」
(きょうは何か食べた?)
「食料はあるけれど食欲がない」
(地上戦が始まりそう。どうか、どうか気を付けて)
「きょうは家の前にあったバスを借りて多く人を避難させた。道中、たくさんの遺体を目にした」

【14日〈チャット〉】
「この目で爆撃を目にした。とても近かった」

【16日〈書き取りのメモ〉】
「パンを買いに行くのは危険」

電話の内容を聞き取ったメモ

【18日〈書き取りのメモ〉】
「ツナ、卵、キュウリ、缶詰の豆を食いつないでいる。パンはない。ラジオを聴きながら泣いていた」

「生理がくることを懸念している。シャワーを浴びられない」

【21日〈書き取りのメモ〉】
「今すぐ終わることを祈っている」
「私の親友が2人の子どもとともに亡くなった。まだがれきの中に埋まっている。市民の虐殺は止めるべきだ」

【22日〈書き取りのメモ〉】
「きのうずっと泣いていた。食欲がなく、まだ何も食べていない。生きられるか分からない。みんな心のセラピーが必要」

【24日<チャット>】
(みんな無事なの? また避難している途中?)
「いや、私は家にいる。次にどこが爆撃され、誰が死ぬか分からない」

「停戦望むもかなわない」

現地のスタッフたちは避難生活を続けているうえ、ガザ地区への物資の搬入なども難しく、現時点では支援活動ができていないということです。

NPO法人 パルシック 高橋知里さん

NPO法人のパレスチナ事務所の代表で、ヨルダンに退避している高橋知里さんは「ガザの人たちは空爆などに慣れているので、大丈夫と言っていましたが、電話越しで涙ぐんでいたり、疲れがにじみ出ていたりしています。安否確認しかできないことが悔しく、停戦してほしいがどうしてかなわないのかと思います」と話していました。