台風で被害の集落「防災集団移転」はできるのか?

台風で被害の集落「防災集団移転」はできるのか?
「大雨で浸水のおそれがあるので、集落ごと別の場所に引っ越してほしい」

こう言われたら、あなたはどうしますか?

4年前の台風19号で、多くの住宅が浸水する被害が出た栃木県那須烏山市では、市内の108世帯の住民を対象に「防災集団移転」の計画が進められています。ただ、移転を促された住民の思いはさまざまで、今後の事業の行方は不透明な状況です。
(宇都宮放送局記者 村松美紗)

集落ごと引っ越し?

「防災集団移転」とは、津波や浸水、土砂災害などのおそれがある地域の住民に、まとまって、高台などの安全な場所に移り住んでもらう事業です。

この計画が進められているのは、茨城県との県境にある栃木県の那須烏山(なすからすやま)市です。
令和元年10月の台風19号では、市内のほぼ中央を流れる1級河川の那珂川が氾濫し、多くの住宅が水につかりました。

特に被害が大きかったのが「下境地区」「宮原地区」です。
ここでは、那珂川が大きく蛇行していたり、複数の川が合流したりしていることから、過去にもたびたび大きな水害が起きてきました。

それでも地元の住民にとって、4年前の台風19号は特に深刻だったと言います。中には2階部分まで水につかった家もありました。
台風のあと那須烏山市は、浸水対策としては全国でも珍しい「防災集団移転」の計画を進めることになりました。

住民の理解は道半ば

しかしこの計画は今、難しい対応を迫られています。最大の課題となっているのは「住民の理解」を得ることです。
「防災集団移転」の制度では、すべての住民から“移転の同意”を得る必要があります。対象となったのは、2つの地区のあわせて108世帯です。

那須烏山市は台風から4年がたったことし、地元の住民に初めて移転先の候補地を示しながら詳しい説明を始めました。しかしまだ十分な理解を得るには至っていません。
移転をためらっている住民の1人が、下境地区に住む塩野目富夫さん(75)です。大きな理由は、代々受け継いできた田畑の存在にあります。
市から移転先の候補地として示された高台から田畑までは、1.5キロほどの距離がありました。もし引っ越しをすれば、これまでのように毎日通って作物を育てるのは難しくなります。
移転先で1世帯ごとに割り当てられる敷地は、今住んでいる家よりも大幅に狭くなる可能性もあり、農機具の置き場所にも困ってしまいます。75歳の今から、あえて新しい生活を始めることには迷いがあると言います。
塩野目富夫さん
「移転すると、今の土地が全部自分のものじゃなくなるし、建物も全部なくなったら、今後どうなってしまうのか。その辺がちょっと見えないね」
塩野目さんが住む下境地区で、集団移転の対象となったのは、あわせて69世帯。そのうちの多くが、塩野目さんのように農業を営む高齢者で、移転をためらっている人はほかにもいるということです。

大雨の浸水想定区域が移転先に?

下境地区とは対照的なのが、もう1つの宮原地区です。

ここでは「住民の理解」は得られそうですが、そのために移転先の候補地は“安全”とは言い切れない場所になりました。
宮原地区は、3方向を那珂川に囲まれていて高台はありません。市の洪水ハザードマップを見ても、ほとんどの場所がピンク色の「3メートル以上浸水する想定」になっています。

今回の「集団移転」では、地区に住む約100世帯のうち39世帯が対象になりました。
宮原地区で生まれ育った大橋光一さん(57)は、移転の計画を聞いたとき「高台がある別の地区ではなく、同じ地区内にしてほしい」と市に要望しました。

小さな集落で、長年培ってきた住民どうしのつながりを移転後も保ちたいと考えたからです。
大橋光一さん
「移転先が地区外になると、ただでさえ少ない宮原地区の住民が、さらに減っていってしまうのではないか。私はそれをいちばん心配しています」
こうした要望は、ほかの住民からも寄せられていました。そこで那須烏山市はことし6月、同じ宮原地区内の場所を、移転先の候補地として示します。洪水ハザードマップで浸水が想定されている区域のうち、深さが50センチ未満と比較的浅い場所を選んで、一帯をかさ上げすることにしたのです。
ただ、住宅地だけをかさ上げしても周囲が浸水するおそれがあり、大雨のときに住民が取り残されてしまうリスクは残ります。

市はそれでも「地域のつながりを保ちたい」という住民の意向を尊重し、いわば「苦肉の策」として、同じ地区内の候補地を選びました。
那須烏山市 都市建設課 佐藤光明課長
「防災集団移転は、地域のコミュニティーを存続させることが前提になります。地元の合意を得られるかが重要になるので、難しい判断になっています」

事業のゆくえは不透明

那須烏山市は、2026年から住民の「集団移転」を始める計画です。そのためには、来年3月までに移転先を正式に決め、すべての世帯の同意を得たいと考えています。

しかし今の移転先の候補地は“決定打”に欠けていて、全108世帯のうち、同意を得られたのはまだ53世帯と、半数以下にとどまっています。

市の計画どおりに事業が進むのか、今後のゆくえは不透明な状況です。
那須烏山市 都市建設課 佐藤光明課長
「なかなか思うように計画が進まず、私たちも頭を悩ませています。市民に寄り添って粘り強く説明を続け、ご理解をいただきたいと思っています」

=取材を終えて=

那須烏山市の「防災集団移転」は、100世帯以上の住民にまとまって移転してもらうという大規模な事業です。

私が、この取材でもっとも印象に残ったのは、移転をためらっている塩野目さんの「移転したくない人も、逆に早く移転したい人もいる。どれが正しいかというと、みんな正しいんだから」ということばでした。

住民に話を聞けば聞くほど、移転に対して「賛成」や「反対」ということばだけでは割り切れない複雑な思いがあることを痛感しました。

那須烏山市は今後も難しい対応が続きますが、住民の声にしっかりと耳を傾け、少しでも多くの人が納得できる結論に導いてほしいと思います。

(10月12日「首都圏ネットワーク」などで放送)
宇都宮放送局 記者 
村松美紗
宮城県のテレビ局に勤務後 2022年入局
ふだんの担当は事件・事故
地域の防災についても取材