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走り幅跳びが変えた人生 パリパラ期待の選手 母の支えで急成長

女子走り幅跳び、知的障害のクラスでアジア記録を持つ酒井園実選手。東京パラリンピックは代表選考基準にわずか1センチ届かず出場できませんでした。しかし酒井選手は、2023年7月のパラ陸上の世界選手権で4位に入り、世界のトップレベルに肩を並べるまでに急成長を遂げています。飛躍の裏には、母親の裕子さんの支えがありました。
(報道局映像センター・藤田大樹カメラマン)

目次

ダイナミックな跳躍が持ち味

下半身のバネの強さから生まれる力強い跳躍が持ち味の酒井選手。出場できなかった東京パラリンピック以降、日本記録を5回更新しました。
▽5メートル18センチ 2021年11月 秋季陸上大会(埼玉 熊谷)
▽5メートル25センチ 2022年3月 日本ID陸上選手権大会
▽5メートル27センチ 2022年3月 オール陸上競技フレンドリー記録会
▽5メートル34センチ 2022年5月 ジャパラ京都
▽5メートル45センチ 2022年6月 第129回日本体育大学競技会

酒井選手は世界ランク8位です。世界ランク1位は東京パラリンピックの金メダリスト、KUCHARCZYK Karolina選手(ポーランド)で、6メートル8センチの記録です。東京パラリンピックの銅メダリストの記録は5メートル46センチ。酒井選手はメダルを期待できる選手に成長しました。

※記録は2023年10月現在です

酒井園実選手

(酒井園実選手)
「東京に選ばれなかったっていうのがすごく悔しかった。自分の持ち味は力強さ。ほかの選手に比べて、こんなにダイナミックな跳躍するのって言うぐらい、すごくダイナミックな跳躍なんです。みんなに1回見てほしいなって思っています」

数字や計算が苦手 生活面では母親・裕子さんのサポート

母親の裕子さん

酒井選手は小学生の時に「ADHD=注意欠陥・多動性障害」や学習障害などと診断されました。数字や計算が苦手で、複雑な説明になると1度では理解できないため、お金の管理など生活面は母親の裕子さんのサポートが欠かせません。

中学生の時に出会った“走り幅跳び”

酒井選手は、小中学校では友達との生活を楽しみに、普通学級で過ごしていました。小さいころから走ることが大好きで、中学校では陸上部に入りました。しかし、周りからからかわれることが増えたため、障害があることを隠していたと言います。
そんな時に出会ったのが、走り幅跳びでした。少しでも遠くに跳ぶことを目標に、走り幅跳びだけは続けてきました。高校では支援学校に入学し、家政技術科、服飾デザインコースに所属していました。丁寧な作業や単調な作業を集中を保って正確に取り組むことが課題でしたが、根気強く繰り返し技術を身につけようと努力していたと当時の担任の先生は言います。
2年生の時には、全国障害者スポーツ大会で入賞。3年生で国際大会出場を目指すようになり、このころからパラリンピックのメダル獲得が目標になりました。

(酒井園実選手)
幅跳びが人生を変えてくれた。障害があるから無理だよって言われるのがすごく嫌だった。諦めない心を持ったがほうがいいなと自分で思う」

夢を追う娘を支える母親の裕子さん

苦しい時期を乗り越え、夢を追う酒井選手を支えてきたのは母親の裕子さんです。裕子さんは、「どうせやるなら楽しみながらやったほうがいい」と周りの人に話し、酒井選手が挑戦したいと思うことは全力で応援してきました。陸上競技の経験は全くなかった裕子さんですが、二人三脚で練習をする日々が5年近く続きました。

課題は上半身の強化 練習中も裕子さんのサポートが

酒井選手が取り組んでいるのは上半身の筋力強化です。トレーナーの近藤裕彰さんの指導を受け、上半身と下半身のバランスがとれた体作りを目指しています。およそ1時間のトレーニングで、繰り返し懸垂を行っていました。

トレーナーからのアドバイスを忘れてしまう酒井選手のために、指導内容をメモすることも裕子さんの役割です。練習が終わったあとにメモを酒井選手に見せ、振り返ることができるようにしています。

近藤裕彰トレーナー

(近藤裕彰トレーナー)
「酒井選手は下半身が強い。下半身と上半身のバランスが非常に大事で、おなかと上半身を鍛えていくことを徹底していきたい。お母さんはマネージャーであり、トレーナーですごいと思う。二人を見ていると勇気がわいてきます」

走り幅跳び専門のコーチから技術を学ぶ

16時までの仕事を終えると、酒井選手は週に1度、走り幅跳びを専門に指導している、猿山力也コーチの指導を受けています。18時から21時までの3時間、走り込みや助走のトレーニングを行います。踏み切り位置が手前になることが多い酒井選手。風に合わせてスタート位置を修正するなど、コーチの指導で安定した助走を目指しています。

猿山力也コーチ

(猿山力也コーチ)
「モチベーションを上げて練習できています。メンタルも強い。環境が変わっても全く変わらないメンタルの強さが、一番パフォーマンスを上げきた要因じゃないかと思います」

夜のトレーニングにも付き添う裕子さん

裕子さんは夜間の練習にも毎回付き添います。酒井選手がコーチの指導を受ける間に、裕子さんは次の跳躍に備えて砂場を整え、練習がスムーズに進むようにサポートします。

(母親の裕子さん)
「本当に大変な時期もあったんですけど、やっぱり夢を一緒にかなえたいというのはすごくある。私も園実がいたからいろんな経験をさせてもらっているので、それは私にとっても大切なことだと思う」

仕事と走り幅跳びを両立

酒井選手は高校卒業後、都内のIT企業に就職。受付や事務作業を担当しています。残業はなく、大会出場のための休暇も認められているため、走り幅跳びに打ち込める環境で働いています。

同僚

(同僚)
「酒井さんは明るく、他の部著の皆さんとも仲よくしているので、会社の雰囲気も明るくしてくれています。仕事と競技を両立しているので大変だと思います。こっちも仕事を頑張ろうという気持ちになります」

裕子さんと歩いた “忘れられない道”

自宅から会社まで電車と徒歩で1時間半。道を覚えられない酒井選手のために、裕子さんは通勤に繰り返し付き添ってくれたといいます。

(母親の裕子さん)
「電車に乗る練習だったり、道を歩いて仕事先に行くまでの練習をしないと、園実は覚えられません。何度もふたりで道を歩く練習をして、繰り返して覚えることをしました」

(酒井園実選手)
「どうしても私は道がわからない場所があるので、そのときは母が助けてくれました。母も仕事をしながらみてくれているんで、ありがとうっていっぱい言いたい」

2人の思いが届いた世界選手権

酒井選手と裕子さんの思いが実を結んだ大会が、2023年7月、フランス・パリで開かれたパラ陸上の世界選手権でした。パリパラリンピックの出場枠を取るためには、4位以内に入らなければならない中、2回目の跳躍で5メートル44センチをマーク。見事4位に入りました。
競技終了後の酒井選手です。

「世界選手権の雰囲気にのまれて緊張もしていたが、楽しくできた。応援に来てくれた母と姉にメダルをかけたかったが、かなわなかった。来年のために頑張ります」

知的障害のことを知ってもらいたい

酒井選手は、多くの人に知的障害のことを知ってもらいたいと、積極的にSNSで発信しています。メッセージの最後につけているのが、「#知的障害」です。同じ障害がある人たちに諦めないことの大切さを伝えたいと考えています。

(酒井園実選手)
「知的障害の子は、障害があることを隠しちゃうことがある。でも恥ずかしいことではないよって私は思う。知的障害だからできないとかではないんで、何かしらできることはあるんです。一つ一つやっていけば絶対できることがあるんです。諦めない気持ちでいれば、本当に夢はかなう。夢を持ってもらいたい。来年のパリパラリンピックで絶対にメダルをとって家族にかけたい」

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