バスケ女子・高田真希 挑戦こそ成長の鍵

バスケットボール女子日本代表・高田真希さん。
2021年の東京オリンピックで日本バスケットボール界初のメダルとなる銀メダルを獲得。チーム最年長にして主将。日本の大黒柱としてチームを決勝まで導く役割を果たしました。その快挙の裏には、高田さんの高校時代の大きな挑戦と挫折。社会人チームでの新たなチャレンジ。さらにみずからの立ち居振る舞いも主将として大きく変えることで勝利をつかもうとした姿がありました。高田さんの原点となった愛知県名古屋市の母校で彼女の飽くなき挑戦の歴史とそこから得たものを聞きました。
※高田さんの「たか」は「はしごだか」です。
(聞き手:酒匂飛翔アナウンサー)

インタビュー場所は高田さんが「自分の原点」と語った愛知県名古屋市にある母校・桜花学園高校。女子バスケットボール部は全国にその名を知られる強豪で高校総体や国民体育大会、冬の選抜優勝大会(現在は選手権大会に移行)など全国タイトルで70回以上の優勝を誇ります。
「汗と涙がたくさん染みついているはず」というバスケットボール部の体育館でお話を伺いました。

人生最初の“挑戦”

(酒匂)
全国的に有名な桜花学園高校バスケットボール部ですから名だたるメンバーが同級生も後輩も入部してきたと思います。当初、高田さんはどうだったのですか?
(高田さん)
入学当初は、本当に練習についていくのがやっと…というか、練習についていけてなかったですね。それぐらいレベルの差も感じましたし、バスケット用語って専門のことばがあるんですけど、フォーメーションの名前だとか、そういう知識も全く無かったので何を言っているのかをまず同級生に聞きながら、こういうことを言っているんだとか、こういうことばがこういうフォーメーションなんだっていうのを教えてもらう段階からスタートでしたね。

(ボールに触れている選手が高田さん)

中学生のときにはすでに身長が180センチ近くあった高田さん。その体格を生かして地元、愛知県豊橋市のチームでプレーしていましたが、全国大会とは無縁の選手でした。

一方、中学生まで力を入れていたのは空手。黒帯の腕前で、流派の全国大会で優勝するほどの実力でした。

(高田さん)
空手もすごく楽しかったですし、やり続けたいなとは思っていたんですけど、チームスポーツとしてバスケットをやっていく中で、仲間と目標に向かってやっていくのがすごく楽しかった。あと空手はどちらかというと結構うまくいっていたんですけど、バスケットは地元では身長が高くてできていた部分があっただけで、それ以上の選手っていうのはたくさんいたので、そういった高みに挑戦してみたいなっていう気持ちがあった。すごくどっちを取るか迷ったんですけど、どうせやるなら一番強いところでやりたいなと思って桜花学園に決めましたね。

(酒匂)
同級生から「あれこの子、そのレベル?」みたいな感じの空気って感じませんでした?
(高田さん)
感じましたね。本当に苦しかったです。今でも唯一バスケをやめたいなと思ったのがその時期でもありました。今でも思い出すのが、練習中にきつくて、そこ(体育館の隅)で座っていました(笑)

久しぶりの母校の体育館。お話を聞く中で思い出されたのは当時の悔しいエピソードばかりでした。

(高田さん)
1年生の入学まもないくらいのときに試合してゴールの近くでパスを受けたんですよ。ただ普通にポジションに立っているだけの状態で、何もできなかったんですよね。そうしたら、当時のガードの(ポジションの)同級生、(身長が)160センチちょっとくらいなんですけど、その子から「プレーしないんだったらどいて」って言われて、その子がちょうど同じ場所でポストアップ(相手をかわして)点決めたんですよ。それを見てショックというか「自分、何もできないな」と思って、すごく、なんだろう、涙も流しましたし、なんかすごいショックでどうしたらいいんだろうと思って。来る場所間違えたかなって思うぐらい。結構ここには思い出つまっていますね。

(酒匂)
どうやってその挫折を乗り越えたのですか?
(高田さん)
自分は身長が高くて、得意なところはゴール下でボールをつかみに行くリバウンドでした。唯一リバウンドだったら、シュート打つ技術とかは関係なく、ただ単に上にあるボールを取りに行くっていうところだったので、そこは少しだけ自信があったので、そういうところから伸ばしていこうと。まずは点数取るっていうよりも、味方が打ったボール、相手が打ったシュート、しっかりそのボールを取るということを専念してやっていましたね。練習前にはゴール下からシュート打って、自分でリバウンド取って、こっちからもシュートっていうのを繰り返し、練習前の自分のルーチンじゃないですけど、そういうのを繰り返し、繰り返し、やっていました。

リバウンドに活路を見いだし、その後、チームの主力に。全国から注目を浴びる選手へと成長しました。

(酒匂)
リバウンドだけは負けないぞと突き詰め、それが結果を結ぶと頑張れる活力になりましたか?
(高田さん)
そうですね。自分のプレーが通用したっていう自信もそうですし、これで活躍もできると思いました。リバウンドもチームプレーの中ですごく重要なことなので、これでチームの勝利に貢献できるんだっていうのも確信に変わっていったので。まずはいろんなことができないからこそ、誰かがシュートを打ったのに対して「高田がいるから思い切ってシュートを打とう、外れても高田がリバウンド取ってくれるから思い切って打とう」って思ってくれたらいいな、それがチームだなって思って、とにかくリバウンドだけは誰にも負けないように頑張っていましたね。

(酒匂)
高校時代のいちばん印象深い経験というのは?
(高田さん)
高校時代の一番ですか…。うーん。何かこれっていう輝かしいものより、できなかったことが今はすごく印象深く残っていますね。大きな大会で優勝しましたし、高校3年生のときには(高校総体・国体・選抜大会で)三冠を達成して、すごくいい経験もしましたし、昔は「一番の思い出は優勝です」っていうふうに言っていたんですけど、今となっては、うまくいかなかったこととか、できなかったことを、できるようになるまで頑張ってやったというのもそうですし、(監督やコーチに)注意されながら練習の中で繰り返しやっていたっていうのが、自分はいい経験だなって今は思えます。本当に優勝したことじゃなくて、苦しかったことが今ではいちばん、いい経験ですね。

高校卒業後は実業団チームへ入団した高田さん。複数のチームからオファーが届きましたが、高田さんはあえて当時リーグ最下位と苦しんでいた地元・愛知のデンソーアイリスを選びました。

(酒匂)
デンソーに入っての一番の挑戦というと、当時は何だったのでしょうか?
(高田さん)
チームを勝たせることかなと思います。高校では日本一のチームで勝つのが当たり前でしたが、今度はみずからの力でチームを勝たせること。自分がチームをプレーで引っ張っていく。しっかり苦しいときに点数取ったり、リバウンド取ったり、体を張ることで、チームを勝利に導ける。チームをしっかり背負って、ルーキーのときからやっていくっていうのは、自分の中では重要ことだったかなと思います。

高田さんの入団後、チームは徐々に力をつけ、リーグ準優勝を2回経験するなど強豪チームに成長。また、個人の通算得点と通算リバウンド数は高田さんがリーグ歴代1位となり、その記録を更新し続けています。(2023年10月9日現在)

(酒匂)
高校入学と実業団では違う挑戦をされたわけですが、大きく得た教訓は?
(高田さん)
挑戦することと、やり続けることですかね。挑戦しないと何も起きない。もしかしたら安定につながってくるかもしれないですけど、でも、それだと成長もないと思いますし、伸びしろもなくなってしまうと思うので。失敗を恐れてしまうと、うまくいかないのかなと思うので、まず、やってみる。挑戦してみる。その経験をすることによって、うまくいかないこともあるかもしれないですけど、試行錯誤することによって成長につながっていったり、自分が目標にしていたものに近づいていったりできると思う。挑戦しないとそこにはたどり着けない。やってみることが自分はすごく重要だと思いますし、うまくいかないことも経験と捉えることによって、成長につながってくるのかなと思います。

オリンピックをきっかけに自分のキャラクターも表に出す

2021年、銀メダルを獲得した東京オリンピック。連日テレビ画面にはキャプテン高田さんの笑顔がはじけていましたが、私(酒匂)の胸にはある思いが…。思い切って質問をぶつけてみました。

(酒匂)
失礼かもしれないですが、私がバスケット中継とかに関わり始めた2014年ごろ、高田さんは今みたいな明るさを前面に出すタイプではなかったですよね?
(高田さん)
はい、そうですね(笑)
人によるかなと思います。仲のいい友達(の前)だとこういうタイプなんですよ。なので、逆に、テレビに出ているとか試合に出ている自分を、そういう友達が見ると、猫かぶっているなとか、本性を出してないなとか「そういうのをいつか言ってやるぞ」みたいなことをずっと言われ続けていたんですけど。でも、もともと人前に出るのも苦手ですし、感情を表に出すことがすごく自分は苦手だったので、クールに見られることはすごく多かったですし、「あの人、笑わないね」といわれて有名でした。
(酒匂)
明るいキャラクターを前面に出すようになったのは何かきっかけがあったのですか?
(高田さん)
所属チームや日本代表でキャプテンになったときくらいからだと思います。今までそういうポジションになることもなかったですし、ただプレーして結果を残せばいいかなっていうのを思っていたくらいなんですけど、キャプテンになってから、勝つためにもちろんやっているので、勝つために何が必要かっていうのは、自分が思っていることはチームに伝えないと伝わらないですし、自分だけが思っていてもみんなが読み取ってくれるわけでもないので、勝つために勝利に少しでも近づけるプレーだとか、コミュニケーションをとるには、口に出すことしか方法はないと思うので、しっかりその辺は、自分が思ったことは口に出そうって思って、キャプテンを自分はやっていたので、そういったことを出すのもそうですし。試合中も、もっと「ここをこうしよう」もそうですし、「頑張ろう」とか、「今ここ我慢するときだよ」とか、「今よかったね」っていうのを、声をかけることもすごくリーダーシップの一つだと思うので、そういったことをキャプテンになってから、考えてやるようになってからですね。

挑戦の舞台はコートの外へも

人前でみずからの明るさを出すことの重要性を学んだ高田さん。オリンピックのあと、地元・豊橋でバスケットボール普及のイベントを開くなど、新たな挑戦も始めています。現役トップ選手ながら、そのような取り組みを始めたことには、高田さんのある思いがありました。

(高田さん)
引退したあとのほうが時間もありますし、いろんな活動ができるんですけど、やっぱり(ファンは)プレーしている姿を見たいと思いますし(現役として)プレーしている時間は限られているので、そういった姿を見ることによって、よりバスケットの魅力が伝わりやすかったり、自分自身が表現できたり、なおかつ、子どもたちにとっては、自分もこうなりたいって思ってもらえる存在になれるかなというか、インパクトが強いのが現役の選手かなと思います。現役じゃないときにいろんな人に会っても、会って終わっちゃうだけになってしまうので、現役で会うことによって、試合見に行ってみたいなとか「この人が日本代表なんだ」っていう、知ってもらうきっかけにもなります。もちろんやめたあとにはたくさん時間ありますけど、現役だから、現役じゃないと伝えられないこともたくさんあると思っているので、そういう姿をいろんな人に自分は見てもらいたいなと思って活動しています。

愛知県知多市特産の佐布里梅(そうりうめ)農家を訪問し、梅酒作りに取り組んでいる高田さん。後継者不足に悩む農家の助けになればとオリジナルの梅酒を作って佐布里梅をPRしている。

(酒匂)
バスケットボールの練習もハードな中、地域での取り組みは負担にはなっていないのでしょうか?
(高田さん)
いえ、一歩コートの外に出て、いろんな人たちとつながりを得る中で自分自身もいろんなことを学ばせてもらいましたし、いろんな知識も、たくさん身に付いたこともたくさんあるので、そういった意味では、そういうつながりをたくさん持つことによって私自身もモチベーションとなって頑張れていることはたくさんありますし、そういった方々が試合に見に来てくれるからこそ自分自身はいいパフォーマンスをしようと思って、よりバスケットにも力が入るようになったので、人と人がつながることによって得られるものはたくさんあるなっていうのはすごく感じますね。

高田さんにとって挑戦とは

(酒匂)
高田さんのような挑戦は誰でもできるものしょうか? 
(高田さん)
そうですね。できると思います。
年齢問わず自分がやってみたいこととか、やりたいこと、こういうのをやっとけばよかったなって思うことがあるならば、チャレンジしてほしいなというのは思います。自分もそうですけど、大人になるにつれて、何かを言い訳にして始められなかったり、年齢的にも難しかったり「自分には遅いな」って思うこともたくさんあるのは実感していますけど、でも、やれることはたくさんあると思いますし、そういうので自分の、なんていうんですかね、できることをつぶしてしまっていることってたくさんあるのかなと思うので、何歳になっても挑戦し続けることは続けてほしいなっていうのはすごく感じます。

(酒匂)
改めて高田さんにとって「挑戦」とは?  
(高田さん)
うーん…。自分を成長させてくれるきっかけですね。チャレンジすることによって成長につながってくると思うので。チャレンジしなかったら、失敗もないですけど、うまくいくこともないので。なので、苦しいこともたくさんありますけど、挑戦したことによって成果とか成長が見られると思うので、なので、チャレンジは成長のきっかけですね。