“伝説的サッカー選手” ボビー・チャールトンさん死去 86歳

1966年のサッカーワールドカップで地元イングランドを優勝に導いた伝説的な選手、ボビー・チャールトンさんが21日、亡くなりました。86歳でした。

チャールトンさんは1956年に18歳でイングランドの強豪、マンチェスターユナイテッドのトップチームで初出場し、抜群の得点力で頭角を現しました。

1958年には「ミュンヘンの悲劇」として知られる飛行機事故に巻き込まれ、チームメート8人が死亡しましたが、チャールトンさんは機内から救出されました。

そして、1966年のワールドカップでは開催地イングランドを悲願の初優勝に導き、代表での49得点は2015年に破られるまで、40年以上にわたって最多記録となっていました。

現役引退後はサッカーを通じた日本との交流にも取り組み、2002年のワールドカップ招致の際にはアンバサダーとして日本の魅力を発信し、開催を実現しました。

さらに、2011年には東日本大震災で被災した高校生を「サッカーの聖地」と呼ばれるウェンブリースタジアムに招き、翌年には旭日小綬章を受章しました。

家族によりますと、チャールトンさんは21日、安らかに亡くなったということで、各国のサッカークラブが相次いで追悼の意を示したほか、イギリスのスナク首相もSNSに、「彼はサッカー史上最高の選手の1人で、深く愛されていた」と投稿しています。

日本のサッカー関係者も悼む声

日本のサッカーの発展にも多大な功績を残したボビー・チャールトンさんが亡くなったことについて、日本のサッカー関係者も悼む声を寄せています。

日本サッカー協会の川淵三郎相談役は、Jリーグの立ち上げにあたり、チャールトンさんからアドバイスをしてもらったほか、プライベートでも交流があったとして、「プロリーグのあり方や規約の制定、プロ選手契約などさまざまな教えを請うた。ゴルフもよく一緒にさせてもらった。イングランドが誇るレジェンドと仲よくさせていただいたことを本当に光栄に思う。ボビーさん、安らかにお眠りください」などとしています。

日本サッカー協会によりますと、チャールトンさんは福島県にあるサッカーの強化拠点「Jヴィレッジ」の名付け親だということで、田嶋幸三会長は「東日本大震災の2年後にJヴィレッジを訪れたとき、その変わり果てた姿に涙しておられた。Jヴィレッジが復活した姿をお見せしたかったが、かなわぬ願いになってしまった。いつも日本のサッカーに心を寄せてくださったことを心から感謝している」などと哀悼の意を示しました。