財津一郎さん死去 89歳 独特のギャグで人気

甲高い声で「キビシーッ」と叫ぶ独特のギャグで人気となり、テレビや映画などで活躍した、俳優でコメディアンの財津一郎さんが、10月14日に慢性心不全で亡くなりました。89歳でした。

財津さんは熊本県出身で、高校卒業後に上京したあと、劇団などでの活動を経て、1964年、大阪の吉本新喜劇に入り、笑いの世界で頭角を現します。

1966年には、藤田まことさんが主演のコメディー番組「てなもんや三度笠」に出演し、甲高い声で「キビシーッ」と叫ぶ独特のギャグで人気を集めます。

その後は、演技の幅を広げ、映画やドラマ、ミュージカルなどで俳優として活躍するようになりました。

1995年には脳内出血で倒れますが、翌年に放送されたNHKの大河ドラマ「秀吉」で復帰し、竹中直人さん演じる秀吉の義父とされる役で話題を呼んだほか、2004年の連続テレビ小説「天花」では、ヒロインを見守る祖父を演じました。

また、歌も得意としていて、「ピアノ売ってちょーだい」と財津さんがコミカルに歌うコマーシャルは、20年以上にわたり放送されました。

財津さんの事務所によりますと、この10年ほどは新たな仕事はほとんど断っていたと言うことですが、ことし7月までは友人とゴルフに行くなど元気に過ごしていたということです。

しかし、家族によりますと、9月から体調を崩し、10月14日、慢性心不全のため東京の自宅で亡くなりました。

通夜は18日に、告別式は19日に執り行われたということです。

89歳でした。

鈴木亮平さん「同じ目線に立ち 一緒に歩いてくれました」

俳優の鈴木亮平さんがコメントを出しました。

この中では、自身が初めて主演を務めた映画で孫と祖父の役柄で共演したことに触れ、「財津一郎さんは生意気だった26歳の自分を温かく包みこみ、同じ目線に立って一緒に歩いてくれました。そういう人間でありたいと、自分も今思うようになりました。財津さんの歩んできた道のりは、きっと新しい世代に引き継がれていきます。心から、ご冥福をお祈りいたします」とつづっています。

間寛平さん「豪快すぎるエピソードをよく聞いた」

お笑い芸人の間寛平さんは、「小学校、中学校、高校でずっと見ていましたが、めちゃくちゃ面白い方でした。僕が新喜劇に入った時には吉本を辞められていましたが、新喜劇にいらっしゃる時の豪快すぎるエピソードを先輩からよく聞きました。ご冥福をお祈りします」とコメントしています。

タケモトピアノ会長「心が締めつけられるような感じ」

20年以上にわたって財津さんをテレビCMに起用していた、大阪 堺市に本社がある「タケモトピアノ」の竹本功一 会長は、「本当にびっくりしました。私が財津さんのファンだったことから出演をお願いしたこともあって、心が締めつけられるような感じですし、本当に残念です」と話していました。

竹本さんは、コメディー番組「てなもんや三度笠」で財津さんのファンになり、「~してちょーだい!」という決めぜりふが、そのままCMで使えるのではないかと考えて、出演を打診したということです。

撮影の時には、収録現場に立ち会ったものの、財津さんのコミカルな演技に何度も笑ってしまい、「いつまでも完成しない」と注意されて、スタジオから出るように言われたということです。

放送されたCMは変更を検討したこともあったということですが、そのたびに視聴者から「変えてほしくない」という意見が会社に寄せられたことから、「これで最後までいこう」と放送を続けていたということです。

このCMは民放の番組で赤ちゃんが泣きやむ不思議なCMとして紹介されていて、竹本さんは、財津さんとの思い出について、「『探偵!ナイトスクープ』に一緒に出演したときに、控え室で話をしていたら、ニコニコした顔で『俺も頑張るから、あなたのところも頑張れ』と励ましていただいたことが、一番の思い出です。本当に優しい人でした」と、時折声を詰まらせながら話していました。

孫で俳優の財津優太郎さん「自慢の祖父でした」

孫で俳優の財津優太郎さんが自身のSNSを更新し、「いつもかっこよく、力強く、面白い自慢の祖父でした。祖父は生前『役者は役を演じてはならない。役の人生を生きなければならない。』と言っていました。その言葉を胸に、祖父のような見た人の記憶に残る俳優になれるよう精進してまいります」などと投稿しました。