高まるバスケ熱 “バスケ不毛の地”に初のプロチーム

高まるバスケ熱 “バスケ不毛の地”に初のプロチーム
10月6日、開幕戦の会場は、バスケファンで埋め尽くされた。

17年ぶりのワールドカップ勝利、そして48年ぶりとなる自力でのオリンピック出場権獲得。
この夏、バスケットボール男子日本代表が成し遂げた歴史的快挙を追い風に8年目のBリーグが開幕した。かつてないほど高まる熱気は、長らく“バスケ不毛の地”だった地方都市に誕生したクラブのもとで、今、花開こうとしている。
(徳島放送局記者 平安大祐)

代表活躍の背景にBリーグの成長も

この夏、沖縄県などで行われたバスケットボール男子のワールドカップで日本はアジア勢トップの3勝をあげ、1976年のモントリオール大会以来、48年ぶりに自力でのオリンピック出場を決めた。

歴史的快挙の背景には、NBAプレーヤーの渡邊雄太選手だけでなく、攻撃をけん引した若き司令塔の河村勇輝選手や、勝負所で爆発的な得点力を見せた比江島慎選手ら、国内のBリーグでプレーする選手の活躍がある。
Bリーグは2016年の創設以来、各地で企業の参入とクラブ設立が相次ぎ、B1とB2で計38クラブへと拡大した。

全クラブの営業収入も初年度(2016-17シーズン)の約150億円から、6年目の2021-22シーズンには約300億円へと倍増している。

B1・B2とは別の社団法人が運営するB3も含めると、クラブ数は実に41都道府県で56クラブに上る。

Bリーグ “今が最大のチャンス”

Bリーグ成長の背景には、バスケットボールがほかのプロスポーツと比べて比較的参入しやすい条件を備えていることがある。

野球やサッカーと比べるとコートでのプレーヤーが5人と少なく、選手の年俸を含めたクラブの人件費は小規模で済む。

自治体の協力をとりつければ公共の体育館を借りて試合ができるうえ、ミニバスケットボールや学校の部活動などで競技人口も多い。

秋田ノーザンハピネッツの広報出身で現在はBリーグ執行役員の櫻井うららさんは、男子日本代表の活躍を多くの人が目にした今が、バスケ人気を定着させる最大のチャンスと意気込む。
Bリーグ執行役員 櫻井うららさん
「(Bリーグができた)2016年当時からは想像できないような成長速度と売り上げになってきている。過去に類を見ない盛り上がりで、このワールドカップからの勢いを一過性のものにしないためには、今シーズンが非常に重要になる。リーグ一丸となって全国のファン、そしてバスケットボールを初めて見る人に会場に行くとワクワクすると思ってもらいたい」

“バスケ不毛の地”にプロチーム誕生

「最大のチャンス」を予期していたかのように、徳島県と福井県から新たに2つのクラブがB3に参入し、10月からの新たなシーズンをスタートさせた。
このうち徳島県はピンクに染めた髪で「リアル桜木花道」と親しまれた川真田紘也選手や、ガードの一員としてチームを支えた西田優大選手を今回のワールドカップ代表として輩出しながら、野球やサッカー人気に押されて長らくプロチームがない“バスケ不毛の地”だった。
しかし電子書籍取り次ぎ大手を経営する徳島県出身の起業家、藤田恭嗣さんが去年、徳島初のプロバスケットボールチーム「徳島ガンバロウズ」の創設を発表した。

徳島にゆかりのある企業23社が集まって運営会社を作り、ことし4月にB3参入が許可されたのだ。
藤田さんがプロチーム構想を発表してからわずか1年あまりというスピード決着には、地域活性化を期待する徳島県や、ホームタウンを買って出た徳島市の後押しも大きい。
国内外での指導経験が豊富で昨シーズンはB3の横浜エクセレンスでコーチを務めたデマーカス・ベリー氏をヘッドコーチに迎えるなど、チームの陣容を整えた。

知られざるプロチーム誕生の功労者

一方、短期間でチームが誕生した裏側に、長らく徳島でプロチームを夢見てきた人たちの存在があることはあまり知られていない。

会社員のかたわら、ボランティアで子どもたちにバスケットボールを指導してきた若松直樹さんだ。

日本代表の川真田紘也選手が中学生のときに指導したこともある。

若松さんは徳島でバスケットボールを続けられる受け皿を作ろうと、2019年からプロチームを作るための活動を始め、2021年には社会人チームを立ち上げてプロ化を目指してきた。
若松直樹さん
「その土地にプロチームがあるかどうかは、バスケを地域で広げていく上でとても重要な要素だと思う。徳島県内で高校まで熱心に指導して大学に送り出しても、その後、徳島に戻ってくる選択肢はあまりなかった。帰ってきて企業チームに入っても練習時間が確保できず国体でも勝てない。その結果、注目度もどんどん薄れてしまっていた」

“最低でも7000万円”

若松さんがプロ化を目指す上で最も苦労したのがスポンサーの獲得だ。

B3参入には最低でも7000万円の資金が必要とされ、徳島県内の企業に何度も足を運び支援を頼んだ。しかし訪問するたびに企業の担当者から「絶対に無理」と断られ、応援してくれるはずのバスケットボール協会関係者からも「夢を見すぎだ」と諭されたこともあったという。

若松さんが知人の経営者や友人に頼み込んだ末に集まった資金は結局、1500万円ほどにとどまり、夢を諦めかけていたという。

情熱はあっても資金がない状況の中、藤田さんがプロチーム創設を掲げたことで事態は一気に打開、徳島県に悲願のプロチーム「徳島ガンバロウズ」が誕生したのだ。
かつてのアマチュアチームは今、徳島ガンバロウズの下部組織に形を変えて活動を続け、若松さんもスタッフの一員としてプロチームを支えている。

絵空事と笑われても夢を追い続けた若松さんは、念願だったプロチームの始まりが代表の活躍でバスケ熱が高まる時期と重なった幸運に期待を募らせている。
若松直樹さん
「徳島県のニュースで紹介されるのは、Jリーグの徳島ヴォルティスや野球の独立リーグの徳島インディゴソックス。バスケ以外の競技ばかりで、さみしい気持ちがすごく大きかった。ワールドカップの影響でバスケが盛り上がってもガンバロウズがなければ一過性の流行で終わっていた。本当にこのタイミングで徳島県にプロチームがあることがとても嬉しい」

子どもたちにバスケを

ガンバロウズの選手の中にも、徳島にプロチームができることを待ち望んでいた選手がいる。
徳島市出身の速井寛太選手(27)は中京大学卒業後、B2の愛媛オレンジバイキングスでプレーしていた。
けがで一時は引退を考えたが、プロチーム創設を信じて若松さんが作ったチームからできたガンバロウズの下部組織でプレーを続け、現在はトップチームの副キャプテンを務めている。

速井選手は自身がプレーする環境だけでなく、徳島の子どもたちにとっても日頃からプロの試合を目にすることが何より大切だと考えている。
速井寛太選手
「徳島は県外のプロチームが年に1回来てくれたらいいかという街で、身近に選手を感じることがなかった。僕が徳島でバスケをしていた頃も学生に人気はあっても、高いレベルでやるには県外に出るしかなかった。プロチームができて徳島の子どもたちにレベルの高い試合を見せることができるようになったので、これから徳島でもバスケがどんどん広がると感じている」

開幕戦で目にした“夢のような光景”

徐々に運営態勢を整えたガンバロウズは、ヘッドコーチや選手との契約が進んだ7月、初めて全体練習ができるようになり、以来、急ピッチで強化を続けた。
そして10月6日、念願の開幕戦がホームの徳島市で開かれた。

有名アーティストのライブでしか満員になることのなかった会場は、この日、3000人を超えるバスケファンで埋め尽くされた。
昨シーズンのプレーオフ3位の強敵、横浜エクセレンスを相手に序盤からリードを許したあと、要所で決めたスリーポイントシュートなどで一時逆転したが、試合は80対91で敗れた。

速井選手も途中出場ながら地元出身の選手として会場をわかせ、フェイントやパスで味方の得点を演出したが届かなかった。

それでも、初めて目にする満員の試合会場でこみ上げる思いがあったという。
速井寛太選手
「開幕戦は負けてしまったが、徳島でこんなに多くの人の前でバスケができるのは夢のようだった。みんなが声を出して僕たちを応援してくれていて、すごく“頑張ろう”という気持ちになれたし、力になった。僕たちは見に来てくれた人たちにもっと元気をあげられるようなプレーをしていきたい」
生まれたばかりのプロチームが“不毛の地”にバスケを根づかせることができるか。

スローガンの「頑張ろう」を合言葉に選手とスタッフたちは大事なシーズンを戦っていく。
徳島放送局 記者
平安大祐
2019年入局
スポーツ・防災を担当
サッカーやバスケットボール観戦が趣味