谷保恵美さん “最後”は持ち越しに ロッテ場内アナひと筋33年

「また今シーズン中に、この球場にいらしていただけることを願っております」
ホーム最終戦で敗れた試合のあと、涙をこらえながらのアナウンス。その思いは通じました。

「サブローーー」「佐々木 ろーきー」

プロ野球 ロッテの本拠地、ZOZOマリンスタジアムの選手紹介で、高く爽やかに球場に響き渡る声。プロ野球ファンなら一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

ロッテの場内アナウンスを33年間務めた谷保恵美さんが、今シーズン限りで引退を決めました。独特なそのアナウンスは、ロッテファンのみならず広く野球ファンから愛され、数々の名勝負を“声”で支えてきました。

レギュラーシーズン最後のアナウンスに密着すると、33年という長い時間をチームに捧げ続けた思いが見えてきました。
(首都圏局 押尾駿吾・スポーツニュース部 本間祥生)

レギュラーシーズン ホーム最終戦に密着

10月7日、ZOZOマリンスタジアムで行われたロッテのレギュラーシーズンのホーム最終戦。私たちは、今シーズンを最後にマイクを置くことを決めていた谷保さんに密着しました。

いつも試合開始の6時間以上前には球場入りするという谷保さん。デーゲームのこの日は朝の7時半の出勤でした。

海辺のスタジアムらしく少し強い海風が吹く中、最後になるかもしれない1日を前に、谷保さんは清々しさとさみしさの入り混じった表情でした。

谷保恵美さん
「ナイターからのデーゲームはきついんですけど、よく眠れました。いつも通りと思っていますが、33年を思い出しますね。最後マリーンズが勝てるようにしっかり応援してアナウンスします!」

「野球が大好き」で上京 駆け抜けた33年間

北海道出身の谷保さんは平成2年に上京し、当時のロッテオリオンズに入社。金田正一監督が12年ぶりに復帰し、長年ロッテを支えた小宮山悟さんが入団した年でもあります。

当時のホームは川崎球場でした

平成3年に、希望していた場内アナウンスを2軍の試合でスタートし、平成4年に本拠地が現在のZOZOマリンスタジアムに移ってからは、33年間1日も休むことなくマイクの前に座り続けました。

「野球が好き、野球に携わる仕事がしたいと思い、地元北海道から出てきました。上京してからは色々な球場に通いましたね。仕事が終わると神宮球場、東京ドーム、横浜スタジアムへ行き、こうやってアナウンスするんだと、“聴いて”勉強していました

谷保さんの場内アナウンスは、こうした地道な努力、そして時には風速10メートルを超える風が吹く“球場の特徴”を考慮してできあがっていきます。完成したのは、多くの選手やファンに愛された、高く伸びやかなアナウンスでした。

「移転前の川崎球場に比べて広い球場で、風も強く、かき消されてしまうなという感じがあって、はっきり元気にしゃべろうというのを30年以上意識して続けてきました。自分が作ったというより、球場に作られた感じです」

《ファンの声》
「語尾を伸ばす独特のアナウンスが大好きでした。サブロー選手が印象的ですね」

「ZOZOマリンでしかあの声は聞けないですね」

《選手でロッテひと筋26年 福浦和也 1軍コーチ》
「ネクストから打席に行くまでに谷保さんの声にたくさん勇気をもらいました」

《2シーズンの育成選手へて支配下へ 和田康士朗選手》
「(2軍出場のみの)育成から入って、1軍で谷保さんに名前をコールされるのが目標でした。初スタメンのとき、初めて名前が呼ばれたときはすごく嬉しかったです」

谷保さんが33年間で担当した1軍の公式戦は2100試合。場内アナウンスの際に書き続けてきたスコアブックは約50冊にも上り、すべて放送室で大切に保管されていました。懐かしそうにページをめくりながら、33年分の記録を見せてくれました。

Q.印象に残っている試合は?
A.「新人の頃、2、3年目ですかね。当時のエース小宮山投手が、近鉄のエース野茂投手と投げ合った試合で、ずっとゼロゼロだったのかな。最後に初芝選手が野茂投手からサヨナラホームランをバックスクリーンに打って、そのシーンは思い出しますね。プロ野球ってすごいなって感動したのが記憶にあります。それと記憶に新しいですが、佐々木朗希投手の完全試合。球場中が歓喜したのは思い出深いし、私たちもいい経験をさせてもらいました」

次の夢へ “引退”を決意

まさに「レジェンド」の谷保さん。引退を決意したのは去年、きっかけは7月17日のソフトバンク戦の2000試合達成でした。

「すごくほど遠い数だと思っていたんですけど、2000試合も担当させて頂いて、自分を褒めたい気持ちでしたね。本当に一つの区切りというか、長い人生ですので次の夢にもチャレンジしたいなと」

その夢のひとつは、なんとスタンドでのロッテ戦観戦だと言います。

「マリンスタジアムのスタンド観戦をしたことがないので、これが一つの夢でして。スタンドで観戦して、皆さんと一緒にグッズを買ってユニフォームを着て、球場グルメを楽しんでというのをまず叶えたいです」

引退を発表してからは、谷保さんのもとへ届く手紙やメッセージがあとを絶ちません。中には他球団のファンからのものも。

谷保さんは、特に同世代から受け取ったねぎらいのメッセージに胸を打たれたと、涙ながらに語ってくれました。

「同年代の方で、同じ時代を過ごした方が『よく頑張ったね』って言ってくれて…ちょっと涙が出てすみません…。それがうれしかったですね。本当に同年代の皆さんはお互い頑張りましたねって思いですし、私も頑張ってきたなって思いました」

当日の球場ロビーは、谷保さんへの感謝の気持ちとして届けられたたくさんの花であふれました。

何度となく名前をコールされたロッテの選手やコーチ、今はロッテを去りほかのチームでプレーする選手たち、中には西武やソフトバンクなど優勝を争ってきたライバル球団からのものも。さらにはプロ野球の記録員一同から贈られた花も見られました。

谷保さんが敵味方関わらず、広く球界全体から愛されていたことを物語っています。

選手もファンも祝福 最後のアナウンス

いよいよ谷保さんにとって、レギュラーシーズン最後の場内アナウンス。相手はすでに優勝を決めているオリックスです。ロッテは勝てばクライマックスシリーズ進出が決まるという重要な一戦でした。

大一番を前に谷保さんは、33年向かい続けたマイクの前にいつもと変わらずに座りました。

「まもなく試合開始でございます」

満員のスタンドには、引退を惜しむ数々のファンの言葉も。

試合は1点を先制されたロッテがすぐさま同点に追いつきましたが、終盤突き放され1対4で敗れ、谷保さんの花道をチームの勝利で飾ることはできませんでした。悔しさも感じる中で谷保さんは“最後の場内アナウンス”に臨みました。

「レギュラーシーズン最後となりました。また今シーズン中にこの球場にいらしていただけることを願っております。今までありがとうございました」

クライマックスシリーズや日本シリーズでのロッテのホーム戦開催への期待を込めるとともに多くの人への感謝の気持ちをシンプルにアナウンスした谷保さん。どんなときもよどみなく明るい声を届けてきましたが、最後は感情があふれ、涙をこらえるのが精一杯でした。

あくまでも自分は“いち職員”だと語る谷保さん、試合後のセレモニーなどは辞退していましたが、最後のアナウンスのあと、思いがけないサプライズが待っていました。

スタッフに促されてふだんはほとんど足を踏み入れることのないグラウンドに。

吉井監督、益田投手、中村奨吾選手から花束が渡され、これまで名前をコールし続けてきた選手たちに囲まれて最後は笑顔で記念撮影。試合終了後もビジターのオリックスファンを含め3万人近くが残った満員のスタンドから“谷保コール”が沸き起こる中、谷保さんは何度も頭を下げながら球場に別れを告げました。

「最後は泣かないでおこうって思っていたんですけど、すみません泣いちゃって…。グラウンドに出たら360度お客さんで、その中で花束を頂いて感動しました。あんなに大音量で谷保と呼んで頂いて、夢ですかね…。たくさんの素敵な試合を見せてくれた選手、監督、ファンの皆様へ“33年分のありがとうございました”を伝えたいです。次の夢は、この球場で観戦することです。マリーンズも新しい場内アナウンスが始まるので、応援しに行きたいです」

ロッテは最終戦で勝利 “最後”は持ち越しへ

そのロッテは、10日の今季最終戦で楽天に5対0で勝利し、「厘」の下の位、わずか勝率「1毛」の差でソフトバンクを上回って、2位に滑りこみました。クライマックスシリーズのファーストステージはホームのZOZOマリンスタジアムで行われ、谷保さんの「最後のアナウンス」はうれしい“持ち越し”になりました。

レギュラーシーズン最後の1日に密着して最も強く感じたのは谷保さんがいかにチーム、ファンそして野球関係者から幅広く愛されていたかということでした。それは33年間休まずに「声」で支え続けてきた谷保さんの努力や熱意、野球とチームへの愛情を多くの人が感じていたからだと思いました。

そして谷保さんが2100試合という途方もない時間を「場内アナウンス」というひとつのことに捧げることができたのは、ひとえに「野球が大好き」という気持ちを、仕事を始めた日からからこの日まで変わらず持ち続けていたからなのかもしれません。

多くの人に愛された谷保さんのアナウンス。ZOZOマリンスタジアムで観戦したファンの記憶と思い出に爽やかに刻まれ続けます。