“船乗り”になる陸上自衛官

“船乗り”になる陸上自衛官
迷彩服に身を包んだ男は、扱い慣れたトラックのハンドルの代わりに大型船のかじを握っていた。島民の憩いの場には自衛隊の車両が展開し、大量の物資が運び込まれた。今、自衛隊の現場と南西の島でかつては見られなかった光景が広がっている。

(社会部記者 須田唯嗣 鹿児島局記者 西崎奈央)

陸曹は“船乗り”に

7月、オーストラリア東方の太平洋を航行する海上自衛隊の大型輸送艦「しもきた」。艦橋で整然と配置につく青の作業服姿の海上自衛官のなかに、緑の迷彩服の陸上自衛官がいた。

和田拓也1等陸曹。その手に握っていたのは、海上自衛隊で4番目に大きい全長およそ180メートルの艦艇を操る黒色のかじだ。
和田陸曹が陸上自衛隊に入隊したのは1999年。職種は「輸送科」で、自衛官人生の大半は、輸送部隊の大型トラックやトレーラーの運転手として任務についてきた。

“船乗り”を目指すことになったのは4年前。陸上自衛隊で輸送船の運航要員を育成する計画が持ち上がっていることを知り、1期生の募集に手を挙げた。

それから3年余り、陸上自衛官初の航海員として「しもきた」に配属され、見習いとして乗り組んだり、学校で必要な知識を学んだりして、ことし初めて多国間訓練に参加した。
和田拓也 1等陸曹
「およそ20年間陸上自衛隊で勤務をしてきたが、自分への新たな挑戦というところで希望した。船に乗る経験がほぼゼロに近い状態でここに勤務したのですごく戸惑いはあったが、最初に比べると技術、知識的には結構上がったと感じる」

“陸による陸のための”海上部隊

自衛隊は今、陸上自衛官の“船乗り”の育成を急いでいる。

目的は陸上自衛隊を中心とする海上輸送部隊「海上輸送群」の新設。これにより部隊をいち早く移動させる「機動展開力」を強化しようとしている。
防衛省・自衛隊では、中国を念頭に南西地域の防衛態勢の強化を進め、有事が迫った場合には、全国から隊員や装備、物資を送り込む計画を立てている。

これに適しているのが大型の輸送船だが、海上自衛隊の輸送艦には限りがあり、増やそうにも人的な余力がない。そこで、人員の多い陸上自衛隊に輸送船を運用できる能力を持たせようというのだ。
広島県の江田島。旧海軍の時代から教育施設が置かれている海上自衛隊の“聖地”では、今、海上自衛官に交ざっておよそ30人の陸上自衛官が教育を受けている。

部隊を指揮する幹部、現場を担う隊員の多くは「輸送科」の出身だが、地上での戦闘などを担う「普通科」や火砲を扱う「特科」、戦車を操る「機甲科」の出身者もいる。

自衛隊では、向こう1、2年で100人程度の要員を養成し、2025年3月末までに「海上輸送群」を発足させる予定だ。
中型の輸送船1隻の運用に必要な隊員は40人ほど。自衛隊は、2027年度末には海上輸送群に10隻の輸送船を配備し、それまでに数百人規模の“船乗り”を育てる計画だ。
「船乗りの世界は10年乗って1人前の世界」(海上自衛官)とも言われる。それでも陸上自衛隊トップの森下泰臣陸上幕僚長は、安全保障環境は厳しさを増しているとして、計画の実現を急ぐと強調する。
森下泰臣 陸上幕僚長
「陸上自衛隊の特性として鈍重であることが挙げられる。なかなか機動展開が難しいということを補うためにも、この海上輸送群というのが、非常に重要な役割を果たす。人の育成は非常に難しいものだと思っているが、海上自衛隊のノウハウをしっかりと受け継いで、丁寧に育成を手がけていきたい」

4年の変化

自衛隊が重視する南西地域への「機動展開力」。その向上をはかる上で、輸送力とともに力を入れているのが、本土と南西諸島を結ぶ輸送補給ラインの構築だ。

鹿児島県の奄美大島。本土とを結ぶフェリーや貨物船が発着する島の玄関口の名瀬港に9月、アメリカ軍の揚陸艇が接岸した。
積まれていたのは、陸上自衛隊の車両とコンテナ。沖縄に駐留するアメリカ軍の後方支援部隊が輸送力を提供し、自衛隊の装備や補給品を奄美大島に運び込むという訓練だった。

陸揚げされたコンテナを載せたトレーラーは、港から市街地を抜けて2キロほど進む。到着したのは高台にある名瀬運動公園。島民の憩いの地だ。
先に到着していた隊員たちが駐車場の一角に展開し、一般の人たちの立ち入りを制限していた。そこに運び込まれたコンテナの扉を隊員が開ける。出てきたのは深緑色の6つの円筒を束ねたような長方形の物体。側面に「擬製弾」と記されている。自衛隊の模擬のロケット弾だ。その様子を通りがかった島民たちが見守る。
50代男性
「子供の大会の応援で来たんですけど、何も知らなかったのでびっくりした」

80代女性
「怖いですね。何が起こるのかしらと思って」
奄美大島でこうした訓練が始まったのは4年前。その後、毎年のように実施されるようになった訓練の展開場所は、民間の港や空港、公園に広がっている。

大きな目的は補給品の輸送、そして後方拠点の構築。去年11月には、日米の装備や燃料などを島に運び込んで集積して拠点を設営する訓練が初めて実施され、島の観光施設に陸上自衛隊の「12式地対艦誘導弾」が運び込まれた。

「12式地対艦誘導弾」は射程を伸ばす改良型の開発が計画され、将来、遠方を攻撃できる「反撃能力」の一角を担う可能性がある。

そして新しい港が

島にはこうした訓練の開始と同じ4年前に、自衛隊の駐屯地と分屯地が新設され、ミサイル部隊が配備された。

これに加え今、新たな施設の整備が計画されている。場所は島の南部、大島海峡に面した古仁屋港近く。
目的は「輸送や補給の基盤整備」で、完成すれば、大型艦の使用も想定され、自衛隊の新たな輸送の拠点になる。

陸上自衛隊が「機動展開力」の要とする「海上輸送群」の一大拠点になる可能性もあると防衛省関係者は明かす。整備に向けたボーリング調査は10月下旬にも始まる予定だ。

“理解が追いつかない”

急速に進む南西諸島の防衛態勢の強化。一方でこれにともなう変化にさらされる島の人たちは、どう受け止めているのだろうか。
70代男性
「国際情勢から見れば好むとか好まないとか嫌だとか反対だとかという話ではなくて、備えはしなければならない」

80代男性
「旧日本軍の基地が置かれて戦時中に空襲を受けたので、有事が起きた時、再び標的にならないか心配だ。説明はしてほしい」
賛否、不安、戸惑い。さまざまな声のなかで共通していたのが、計画そのものを「よく知らない」という点だ。瀬戸内町の町長は「まだ詳しい説明を受けていない」と話す。
瀬戸内町 鎌田愛人町長
「接岸して、燃料やいろんな物資を補給するということしかまだ聞いていませんので。具体的に説明できる時期が来ましたら、きちんと丁寧に我々にも当然ですし、町民の皆様方にもきちんとした説明をしてほしいと思います」
政府の防衛力の抜本的な強化という大方針のもと、かつてない速度で変化を迫られる自衛隊と南西の島々。しかし、その速さに地域の住民、そして国民の理解が追いついているとはいえない。

防衛省・自衛隊では、今後、全国各地でさらなる施設や部隊の配備を計画している。それが地域に、人々に何をもたらすのか。政府にはより丁寧な説明が求められている。
鹿児島放送局記者
西崎奈央
令和元年入局
警察担当・薩摩川内支局を経て
現在、安全保障・宇宙開発担当
社会部記者
須田唯嗣
平成26年入局
松江局を経て現所属
令和4年から防衛省・自衛隊を担当