日本製鉄 広島 呉の製鉄所で全設備停止 72年の歴史に幕

日本製鉄は、広島県呉市にある製鉄所で14日、すべての設備を停止し、72年にわたる鉄鋼製造の歴史に幕を閉じました。

日本製鉄によりますと、呉市にある「瀬戸内製鉄所呉地区」で14日午後、最後の製品の出荷作業を終え、すべての設備を実質的に停止しました。

この製鉄所は1951年に旧日本海軍の工場「呉海軍工廠」の跡地に建設され、建材向けの製品を中心に製造してきましたが、国内需要が減少傾向にある中、ほかの製鉄所に比べて規模が小さく、生産コストが高いことから、3年前の2月に閉鎖が発表され、おととし9月には高炉での鉄の生産を終えていました。

そして14日、72年にわたる鉄鋼製造の歴史に幕を閉じました。

この製鉄所では3年前に閉鎖が発表された時点で、協力会社を含めて合わせて3300人ほどが働いていました。

会社は配置転換などで雇用を維持するとしている一方、広島県の推計によりますと、離職した人はおよそ1100人いて、このうち9割が再就職を決めたとみられるということです。

会社では製鉄所がある海沿いに面したおよそ130ヘクタールについて、今後、10年ほどかけて設備の解体作業を行うことにしていますが、今後の活用方法は決まっていません。

日本製鉄は「跡地活用の検討にあたっては行政とも連携しながら検討していく」としています。

戦後の復興から地域経済支える

日本製鉄の瀬戸内製鉄所呉地区は1951年に旧日本海軍の工場「呉海軍工廠」の跡地に、建設されました。

呉市の基幹産業として戦後の復興から地域経済を支えてきました。

1959年に「日亜製鋼」が「日本鉄板」と合併して「日新製鋼」となり、地元では「日新」の名で長年、親しまれました。

1962年には中国地方で初めてとなる高炉が完成し、その後、設備を拡充し、鉄鉱石を溶かして鉄を薄く延ばす工程まで行って、建材向けの製品を中心に製造してきました。

そして、2020年4月に日本製鉄に合併されました。

“商店街にも影響”

日本製鉄が広島県呉市の製鉄所で14日、すべての設備を停止したことについて、呉市の中心部で話を聞きました。

76歳の女性は「高度経済成長の時代は、夜でも赤い煙がもくもくと上がっていてすごい会社だと思っていました。働いていた人たちが、仕事が終わって商店街に食事に来ていたことを思い出します」と話していました。

78歳の男性は「作業員の人たちが呉を盛り上げてきたので、いなくなるということは町の商店街にも影響があると思います。跡地には、雇用をしっかりしてくれる企業がくることを願っています」と話していました。