2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件では、ハイジャックされた4機の旅客機が、ニューヨークの世界貿易センタービルや首都ワシントン郊外の国防総省などに激突し、日本人24人を含むおよそ3000人が犠牲となりました。
事件から22年となった11日、テロで崩壊した世界貿易センタービルの跡地では追悼式典が行われ、多くの遺族が出席しました。
跡地には犠牲者全員の名前が刻まれた碑が建てられていて、朝早くから遺族が訪れ、家族の名前に手をあてて祈ったり、花を手向けたりしていました。
式典が始まると、旅客機がビルなどに激突した時刻にあわせて黙とうがささげられ、犠牲になった一人ひとりの名前が読み上げられました。
現場を訪れた遺族からは人々の記憶が薄れていくことを心配する声もあがっていました。
事件で夫を亡くしたという女性は「22年がたち、事件のことを知らない世代が増えたのは悲しいですが、私たちがいるかぎり、事件で亡くなった人たちのことを次の世代に伝えていきます」と話していました。
米同時多発テロ事件から22年 ビル跡地で追悼式典 遺族が祈り
2001年のアメリカ同時多発テロ事件から22年となった11日、ニューヨークの世界貿易センタービルの跡地では追悼式典が行われ、出席した遺族たちが事件の発生した時刻にあわせて祈りをささげました。


長男失った遺族「来られてよかった」コロナで4年ぶりに出席

住山一貞さん(86)は、同時多発テロ事件で、銀行員として世界貿易センタービルで勤務していた、当時34歳だった長男の杉山陽一さんを失いました。
住山さんは、事件の直後から毎年、現地を訪問してきましたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響でここ3年間は訪れることができませんでした。
かつて世界貿易センタービルが並んでたっていた場所には犠牲になった一人ひとりの名前が刻まれた碑が設けられていて、その周辺には木々が植えられています。
4年ぶりに追悼式典に出席した住山さんは「ずいぶん木が茂って立派になって、りすまでいて、いいところになったなと思いました」と話していました。
また、86歳になり、歩くのに杖を使うようになっても現地を訪れた理由について「これ以上遅らせると体力も弱ってくるので、来られなくなるのではないかと思いました。ことしも無理かなと思いましたが、行けばなんとかなると思って来ました」とその思いを口にしました。
そして「名前が読み上げられるのは毎年のことですが、来られてよかったです。来年も来たいですが、もう無理かもしれません」と話していました。