“福田村事件”から100年 犠牲者を追悼する式典 千葉 野田市

関東大震災直後の千葉県野田市で行商に訪れていた一行が地元の自警団に襲われ、9人が殺害された「福田村事件」から100年となる6日、犠牲者を追悼する式典が千葉県野田市で開かれ地元の人たちや被害者の遺族らが黙とうをささげました。

関東大震災の直後の1923年9月、現在の千葉県野田市、当時の福田村で香川県から訪れていた薬の行商の一行が、当時、迫害を受けていた朝鮮人と疑われたことなどをきっかけに地元の自警団から暴行を受け、9人が殺害されました。

この事件から100年となる6日、犠牲者を追悼する式典が現場近くに設けられた慰霊碑で開かれ、地元の人たちや被害者の遺族、それに香川県の行政関係者などおよそ80人が参加しました。

参加した人たちは、それぞれが花を手向け、黙とうを捧げていました。

慰霊碑は、事件の調査や語り継ぐ活動を行ってきた香川県と千葉県の市民グループが2003年に建立したもので、追悼式や事件についての勉強会などを行う拠点となってきました。

千葉県の市民グループ「福田村事件追悼慰霊碑保存会」の市川正廣 代表は「多くの方に足を運んでもらってよい式となりました。しかし、事件の背景にある差別問題は今も続いています。差別のない社会を作るため改めて事件を知ってもらいたい」と話していました。

また、遺族の代表は「初めて慰霊碑の前に立ち、怖かっただろうな、香川に帰りたかっただろうなという被害者の思いが伝わってきました。事件を風化させないためにも千葉の人たちにも事件を知ってもらいたい」と話していました。

生存者が当時の様子を証言した音声データ 残される

この事件では、被害にあった行商の一行のうち、1人の生存者が戦後に行われた市民グループの調査に対して、当時の様子を証言した音声データが残されていました。

一行が、朝鮮人と疑われた時の状況については「これは朝鮮に間違いないからやってしまえ、やってしまえと。来る人来る人が、確認もしないで、どれが朝鮮人や、やってしまえ、やってしまえと言うばかりでした」と振り返っています。

9人が殺害された時の様子については「銃の音が2発聞こえました。ああ、これはやられたんだなと覚えています。殴ったり突いたりして、半死半生にして、息のある人間は全部利根川へ放り込まれた」と証言しました。

事件については「酷なというんか、残酷というんかね、人間のすることではありません」と語っていました。