関東大震災 米の支援に対し感謝伝える手紙 調査で明らかに

100年前の関東大震災のあと、世界各地から支援が行われ、当時、日本と緊張関係にあったアメリカからも大規模な支援が行われていました。そうした中、日本の学生たちからアメリカに対し支援への感謝を伝える手紙およそ750通が送られていたことが東北大学の研究チームの調査でわかりました。調査を行った専門家は、手紙を通してアメリカに友好的なメッセージを送ることで緊張していた日米関係を改善させようとした可能性があると指摘しています。

この手紙は関東大震災が起きた時、アメリカの大統領だったカルビン・クーリッジの子孫が保管していたもので、東北大学の研究チームが先月、現地で調査を行いました。

これまでの調査の結果、大学生など日本の学生が英語で書いた手紙が744通見つかったほか「The JapanStudentsAssociation」という団体が発生直後に全国の大学などに呼びかけて、震災から8か月後の1924年5月にアメリカ政府に送っていたということです。

関東大震災のあと、世界各地から支援が行われ、国内で日本人移民を排斥する動きが出るなど、緊張関係にあったアメリカからも物資や義援金など大規模な支援が行われていました。

手紙では「人道的な支援に感謝しできるかぎり子孫に伝えていく」とか「町は破壊されたが東京を復興させていく」などとつづっています。

調査を行った研究チームは、アメリカに支援への感謝を伝え、友好的なメッセージを送ることで関係の改善を図ろうとした可能性があると指摘しています。

チームのリーダーで東北大学災害科学国際研究所の小野裕一副研究所長は「当時は日米関係がギクシャクしていたので、その関係に配慮した外交的なもくろみもあったと思う。社会情勢や国と国との関係を超えた普遍的なつながりが、平和を築く上では重要で、こうした手紙が送られていたことは非常に興味深い発見だ」としています。

手紙の内容は

日本からアメリカに送られた手紙はすべてが英文で、筆記体で書かれています。

このうち、東京の学校に通う女子生徒が書いたとみられる手紙には「日本の人たちのためにたくさんの物資を送ってくださり本当にありがとうございます。あなた方の助けがなかったら私たちは寒さと飢えで命を落としていたかもしれません。あなた方の親切さに対する感謝の気持ちを受け取ってください」と、アメリカの支援に対する感謝の気持ちがつづられていました。

さらに「私は倒壊した家の下敷きになりましたが、救助されました。震災直後、米や肉はありませんでしたが、芋や野菜はありました」など、震災直後の様子が書かれていました。

さらに別の女子生徒の手紙には感謝の気持ちとともに「私たちの校舎は火災の被害からは免れましたが地震で大きく壊れ、今はバラックで授業を受けています」など、当時の苦しい状況を記していました。

研究チーム 川内准教授「“災害外交”という意図」

関東大震災が発生した、1923年。

日本が国際社会で存在感を高めていく中、アメリカでは、日本からの移民を排斥する動きが活発化するなど、日米は緊張関係にありました。

研究チームの東北大学災害科学国際研究所の川内淳史准教授は、このような時期に送られた今回の手紙について、市民レベルでアメリカへの好意を示そうとしたのではないかと指摘しています。

手紙は「The JapanStudentsAssociation」という団体が全国に呼びかけ、駐米大使を通して、クーリッジ元大統領に送られたものとみられています。

手紙を書いたのは、慶應義塾大学や上智大学などの大学生、それに、今の高校にあたる旧制中学校などの生徒たちでした。

手紙は印刷して、全米の図書館に配布される計画だったことも今回の調査でわかりました。

実際には、配布されませんでしたが、川内准教授は、感謝の手紙を多くのアメリカ人に読んでもらい「日本人はアメリカのことを好意的に思っている」というメッセージを伝えることで日米関係を改善しようとするねらいがあったのではないかと指摘しています。

川内准教授は「今回の手紙は、国と国という関係を超えて、いわゆる国民どうしの友好関係を“災害外交”で作っていこうという意図が込められている。国民感情レベルにおいて、当時の日米関係を好転しようという努力が関東大震災に際してなされているというのは大変おもしろい事実で、最悪の局面であるいわゆる日米戦争といった方向に持っていかないよう努力していた1つの表れだと感じる」と話しています。

クーリッジ元大統領のひ孫が保管

日本からアメリカに送られた手紙の存在は東北大学災害科学国際研究所の小野裕一副研究所長が関東大震災後のアメリカの支援について調査する中で、クーリッジ元大統領の子孫が保管していることを初めて把握したということです。

これを受けて、小野副研究所長の研究チームは先月、アメリカ東部・バーモント州にあるクーリッジ元大統領の生家などを調査に訪れました。

そして、クーリッジ元大統領のひ孫にあたるクリス・ジーターさんから、クーリッジ家で代々、保管してきたという日本から届いた手紙を渡されました。

手紙は数百枚ずつ束ねた上で表紙がつけられ、3冊の本のような形にとじられていました。

研究チームが確認したところ、手紙は744通にのぼるということです。

表紙には「すべてのアメリカの方々へ感謝の手紙」と英文で書かれ「The JapanStudentsAssociation」という団体が全国に呼びかけて集めたものとみられます。

すべての手紙が英文で記され、東京や埼玉、茨城など、各地の大学生や、今の高校にあたる旧制中学校の生徒たちなどが書いていました。

小野副研究所長たちは、手紙の内容を詳しく調べるため、デジタル化して保存しようと、1通1通の手紙を丁寧に撮影していました。

作業は休憩をはさみながら、およそ7時間にわたって続けられました。

手紙を確認した小野副研究所長は「封筒に入った手紙だと思っていたので、このような形でまとまっていることに驚きました。子どもたちからの手紙と聞いていたので、小学生くらいの子どもを想像していたのですが、大学生からの手紙も多く、きれいな字で書かれていて感動しました。誰が、いつ、どのような内容を書いたのか、詳しく調べたい」と話していました。

“未来に向けて学べることはたくさんある”

カルビン・クーリッジ元大統領のひ孫にあたるクリス・ジーターさん(56)は日本からの手紙の存在を、元大統領の息子にあたる祖父から聞いていたといいます。

ただ、口かずが少ないことで有名なクーリッジ元大統領と同じく、ジーターさんの祖父も多くを語らない人柄だったことから詳しく聞いたことはなかったということで、ジーターさんは「日本の子どもたちから感謝の手紙が届いたことは知っていましたが、詳しいことは知りません。これまで公開したことはありませんでした」と話していました。

日本と緊張関係にあった中で、クーリッジ元大統領が日本に対して大規模な支援を行ったことについて「大災害で日本国民が経験した損失と苦しみの大きさにとにかく何かしなくてはと感じできるかぎりの方法で助けたいと思ったのだろうと想像できる」と推測していました。

そして、100年前の手紙の意義について「日本の子どもたちが曽祖父に感謝の気持ちを示したというのは心を打ちます。この手紙が見てもらえることはすばらしいことです。過去の支援のあり方から未来に向けて学べることはたくさんあると思う」と述べました。

“災害外交の側面もあったのでは”

関東大震災のあと、世界各地から支援が行われる中、いち早く日本に支援に駆けつけたのは、クーリッジ元大統領の指示を受けたアメリカ海軍の艦隊でした。

海軍の資料によりますと、23隻の艦艇が物資の供給などのため、日本にやってきて200万ドル以上の救援物資を提供したほか、アメリカ赤十字社は総額1200万ドルの義援金を集め、アメリカは世界各国の中で最大の支援国になったということです。

海軍に詳しい歴史家のジョン・シャーウッドさんは、当時、アメリカで日本人移民を排斥する動きが出るなど、日本と緊張関係にある中で、クーリッジ元大統領が大規模な艦隊をすぐに向かわせた理由について「当時のアメリカと日本は競争相手ではあったが外交関係は維持されていた。このような規模で災害が起きたときには、アメリカは理由を問わずとにかく助けにいかねばと考えたのだろう」と述べました。

その上で「見返りを求めるためにやっているとは言わないが、過去の経験から、他国で災害が起きたときに軍が支援することで外交的に大きな影響があることがわかっていた」と述べ、災害が起きたときに支援を行い、国家間の緊張関係の緩和をねらう「災害外交」の側面もあったのではないかと指摘しました。