関東大震災 記録映像をよみがえらせる カラー化で見えた新事実

関東大震災 記録映像をよみがえらせる カラー化で見えた新事実
1923年9月1日に発生し、10万5000人あまりが亡くなるなど、大きな被害を出した関東大震災。その実態を今に伝えるのが、震災直後に撮影されたモノクロフィルムの映像です。しかし、震災時の混乱で、多くの映像の撮影時刻や場所が分からないままです。

そこで私たちは、白黒フィルムを最先端の映像技術で8K高精細化し、研究者の協力のもと、撮影時刻と場所の特定を行いました。さらに映像をカラー化し、地震や火災に直面した人々の表情や動きを浮かび上がらせました。

その結果、「関東大震災は遠い歴史上の出来事ではなく、今の世界と地続きの災害だ」とリアリティーをもってもらうことが可能になりました。

(NHKスペシャル「映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間」取材班)

奇跡的に残されたモノクロフィルム

関東大震災が起きた100年前は、まだテレビもラジオもない時代でしたが、数人のカメラマンが決死の覚悟でモノクロフィルムの映像を撮影していました。

そうしたフィルムを数多く保管しているのが、「国立映画アーカイブ」(東京都中央区)です。
震災に関する記録映画が20本あまり残されており、その多くはホームページでも見ることができます。

当時のフィルムは燃えやすい素材で作られていて、火災のリスクもある中、これほどの本数のフィルムが残っているのは異例なことです。
ただし、これまで私たちが見ることができたのは、“不鮮明なモノクロ映像”でした。

撮影時刻や場所を記したキャプションは不十分で、いつ、どこで撮られたものなのか、不明な映像が多くあります。
国立映画アーカイブ とちぎあきら客員研究員
「この時代の記録映画は、記録性に対する認識が希薄だったということかも知れません。いつ、どの場所で、誰が撮ったのかという情報が、見ているだけでは分からなくなっています。フィルムからどれだけの情報をくみ取れるかが重要だということは、間違いありません」

「最先端の技術」と「地道な手作業」

記録映画は主に「35ミリフィルム」で記録されています。フィルムに“4K以上”と言われる高解像度の情報があるため、最新の8Kスキャナーで高精細化すると、これまで不鮮明で読み取れなかった情報を引き出すことができます。

そこで、国立映画アーカイブの全面協力のもと、私たちは35ミリのモノクロフィルムを8Kダイレクトスキャンして高精細化しました。
続いて、8K化した高精細映像をもとにカラー化の作業を行いました。AI技術を駆使することで、比較的短い時間で色付けが可能になりましたが、細かい色を入れるのは手作業になります。

さらに、画面に映る建物や服装などが正しいと言える色なのかどうか、当時の絵葉書や服装図鑑など可能な限りの資料と照らし合わせるという時代考証を重ねました。
色に関する資料が手に入らない場合は、「素材」から推定するというアプローチも試みました。例えば、震災前の東京を空から撮影した飛行船の映像があるのですが、この飛行船の色合いについて明確に示した資料は入手できませんでした。

そこで、専門家の協力を得て飛行船の「仕様書」の情報を入手したところ、空気が入る「気嚢(きのう)」はアルミニウム塗料でコーティングされたゴムでできており、それに吊り下がるゴンドラは木の枠組みであることが分かりました。
こうした情報も駆使しながら、「こうであった可能性が高い」と言える色を、ひとつひとつのカットに付けていきました。

その結果、高精細・カラー化映像として、関東大震災を“よみがえらせる”ことができたのです。

場所特定の決め手 電話番号帳

高精細・カラー化の次は、撮影時刻や場所の特定です。

協力を依頼したのは、長年にわたり東京の町並みを調べている田中傑博士(京都大学防災研究所)です。田中さんは驚くほど細かな作業で、それらを突き止めていきました。

例えば、記録映画で「蔵前」という字幕とともに紹介されている映像があります。
商店街の一部が崩れ、火災の煙が押し寄せてくる様子が捉えられています。
従来の白黒映像から読み取れる文字は「洋食」と書かれた看板程度ですが、高精細・カラー化すると、それ以外の看板の細かい文字が浮かび上がってきました。

田中さんが注目したのは、手前に映り込む商店の看板に記載された屋号です。
高精細・カラー化の映像を拡大してみると、「鳥國」と書かれていることが分かります。
田中傑博士(京都大学防災研究所)
「高精細カラーになると、今まで白黒でぼんやりした文字がはっきり読めます。昔の電話帳などを1ページ、1ページ調べていくということをやりました。読めた文字が必ずしも電話帳に出てくるかというと、そうとは限らないですが、何かヒントにつながっていくことが多いのです」
田中さんは、「東京中央電話局 電話番号簿 1922年版」を参照し、「鳥國」という屋号の商店がないか調べてみました。

すると、東京に1軒だけ該当する商店が見つかったのです。

その場所は、字幕にある「蔵前」ではなく、蔵前から1.5kmほど離れた現在の「台東区西浅草3丁目」付近で撮影されたことが判明しました。

こうして1カットずつ、映像に映り込んだ文字や建物の形から、撮影地点を地道に調べ上げていきました。

高精細・カラー化で時間も特定

田中さんが、特に気になっていたカットがあります。火災が近づく中、人々が家財道具を運び出す姿を捉えたものです。
このカットは、ある記録映画では「丸の内 有楽町近傍」という字幕の後に登場しますが、別の映画では「隅田川より本所方面の火災を望む」という字幕の後に入っているなど、撮影場所の情報が錯そうしていました。

田中さんが唯一の手がかりと考えていたのは、中央の背景にぼんやり映る、西洋風建物の屋根のようなシルエットでした。
田中傑博士(京都大学防災研究所)
「ぼんやりした映像でも、大きな西洋風の屋根ということは分かっていました。これまで一致するようなものが見つかりませんでしたが、今回、高精細ではっきりした映像をみて、警視庁かなとピンときました。そこで警視庁の昔の写真を探してみたら、竣工当時の写真が出てきました」
映像の屋根は、警視庁の屋根の形と一致しました。

さらに田中さんは当時の地図も入手し、この映像がどの地点からどういう角度で撮影されたかの特定も行いました。その結果、有楽町駅近くの「有楽町一丁目」から、カメラを北西に向けて撮影していたことが判明しました。
これほどピンポイントで撮影地点とカメラの向きがわかると、撮影時刻を明らかにすることも可能だと田中さんは言います。
田中傑博士(京都大学防災研究所)
「足を見てみると影がほぼ真横ですよね。この路地に対して、ほぼ真横から日がさしているとなると、太陽が南からちょっと西に動いたくらいの位置からさしている。つまり昼に近い午後かなと時間を絞っていくことができます。その時間帯、火災は東京のあちこちで起きていましたけど、まだまだ燃えている範囲が小さかったんじゃないかと思います」
田中さんが時間を特定する手がかりにしていたのは、人物や建物の「影」でした。

各カットの時間と場所が次々と明らかになったことで、いつ、どこで、何が起きていたのか、関東大震災の全体像が浮かび上がっていきました。

今に伝える「地震火災の恐ろしさ」

高精細・カラー化した映像は、防災面からも価値があると指摘する専門家もいます。災害時の避難行動に詳しい廣井悠教授(東京大学)です。
東京大学 廣井悠教授
「何よりもまず驚いたのが、リアリティーです。白黒だとすごく昔の出来事だと思ってしまうのですが、高解像度でカラー化すると、避難する人たちの表情や状況が非常にリアリティーを持って受け止めることができます。地震火災はまれな現象なので、教訓がなかなか伝わりづらく、『昔のことでしょ』と思いがちです。ですが、我が国の大都市は地震火災のリスクが少なくない。こういう映像を多くの方に見てもらうことで、地震火災の恐ろしさを知っていただけるのではないかと思います」
高精細・カラー化した映像には、背後に火災が迫っているにも関わらず逃げる気配がなく、微笑みを浮かべる人の姿もあります。
表情から一概に心理を読み解くのは難しいとしつつも、廣井さんは次のように分析します。
東京大学 廣井悠教授
「(人々は火災の様子を)遠巻きに不安そうに見つめていますが、一部笑っている人がいたりして、『すぐに逃げないといけない』『生きるか死ぬか』という状況ではないことが分かります。この段階ではおそらく、“一火点”しか認識していなかったのではないかと思います。我々は“鳥の目”は持っていませんので、近くの一火点しか見られない。危険が迫ってきたら逃げようとは思っているのでしょうが、火災が同時多発して逃げ道が失われるという現象を、少なくともこの時点で想定している人は少ないように見えます」
当時、速報性のあるラジオの放送はまだ始まっていませんでした。情報がない中、火災は目の前でしか起こっていないと多くの人々が思い込んでいたようです。
火災が近づいてきたら、反対方向に逃げればいいと多くの人が考えていましたが、このとき東京では134か所の地点で火災が同時多発していました。

さらにこの日の東京は、台風の影響で強い風が吹いていたため、火災はたちまち広範囲に拡大し、当時の東京市のおよそ4割を焼失させました。
東京都防災会議の報告書によれば、今後30年以内にマグニチュード7を超える首都直下地震が起こる確率はおよそ70%とされています。また、火災による死者は、全体の4割にのぼるとされています。

100年前の映像は、私たちに「震災で何が起きるのか」を語りかけるとともに、正しい情報を得て、適切に避難することの大切さを問いかけています。
NHKエンタープライズ ディレクター
後藤遷也
2010年入社、これまで主に「映像の世紀」シリーズを担当。
今回の制作を通して、自宅が火災リスクの高い地域にあることを知った
第2制作センター チーフ・プロデューサー
木村春奈
2002年入局、これまで主に科学番組を担当。
東日本大震災や関東大震災90年、水害など災害に関する番組を多く制作。番組で1人でも多くの命を救いたい