タイ タクシン元首相15年ぶり帰国 新政権発足確実で帰国決断か

2006年の軍事クーデターで政権を追われ、その後、国外で事実上の亡命生活を送っていたタイのタクシン元首相が22日午前、15年ぶりに帰国しました。タクシン氏は、汚職の罪などで実刑判決が確定しているためそのまま収監されました。

タクシン元首相は、日本時間の22日午前11時ごろ、プライベートジェット機でタイの首都バンコクにある空港に到着しました。

タクシン氏は、出迎えた家族とともに空港に詰めかけた大勢の支持者の前に姿を現すと、国王夫妻の肖像の前でひざまずいて手を合わせたあと、笑顔で手を振っていました。

タクシン氏は、2006年の軍事クーデターで政権を追われ、ドバイなどで事実上の亡命生活を送っていて、帰国は2008年以来15年ぶりとなります。

タクシン氏は、汚職の罪などで禁錮10年の実刑判決が確定していましたが、地元メディアによりますと刑期が一部重複しているとして裁判所の判断で禁錮8年に短縮され、バンコクの刑務所に収監されたということです。

タイでは22日、議会で首相指名の投票が行われ、タクシン元首相派のタイ貢献党から首相が選出される可能性が高くなっています。

タクシン氏は、タイ貢献党が主導する新政権の発足が確実になったと判断したことから帰国を決断したものとみられ、すでに恩赦に関する交渉がまとまっているのではないかという臆測も広がっていて、今後の処遇が注目されています。

空港での様子は

タクシン元首相は、到着したドンムアン空港の建物から姿をあらわし、まず玄関前に設けられた国王夫妻の肖像に花をささげてひざまずき、王室への敬意を示しました。

そして待ち受けていたおよそ250人の支持者たちに近づき、笑顔であいさつを交わしたり、手を取り合ったりしていました。

その後、関係者に囲まれて空港の建物の中に戻っていきました。

ドンムアン空港では、少し離れた場所にも朝早くからタクシン派を意味するそろいの赤いシャツを着た多くの支持者たちが集まり、口々に「タクシン大好き」などと声をかけていました。

62歳の男性は「タクシン元首相が戻ってきてくれてうれしい。彼を歓迎したい気持ちでここにきました」と話していました。

また地方から来た42歳の女性は、「740キロを移動してバンコクまでやってきました。タクシン元首相が帰国したのをみて、この国が和解を迎えたと実感しました」と話していました。

空港から最高裁判所 刑務所へ

タクシン元首相はドンムアン空港から車で最高裁判所に移送されました。

裁判所でおよそ40分滞在し、司法手続きが行われたあと、再び車に乗り込みました。

そして、現地時間の午前11時半前、日本時間の午後1時半前、市内にある刑務所に車で入っていきました。

多くの警察官が警備する中、沿道にはタクシン氏の支持者たちが集まり、移送される様子を見守っていました。

収監後の予定は

タイの法務省によりますと刑務所に収監されたタクシン氏はこれから10日かけて新型コロナウイルスへの感染の有無を確認するため、隔離されるということです。

収監前に医師が診断したところ、高血圧などはあるものの健康はおおむね良好だということですが、74歳という年齢に配慮して医師による観察を24時間体制で行うとしています。

また、食事についてはほかの受刑者と同じものを出すとしていて、収監後に水と菓子パンが出されたほか、夕食はごはんと野菜炒めが出されるということです。

タクシン氏の刑期をめぐっては3件の汚職の罪で3年と2年、そして5年とあわせて10年の有罪判決が言い渡されていますが、法務省はこのうち3年と2年の刑については、同時に務めることができるため、全体で禁錮8年になると説明しています。

タクシン派と反タクシン派 国を二分する対立続く

タクシン元首相は、タイ北部チェンマイ出身の74歳。

警察官僚や通信事業の実業家を経て、政界に進出しました。

所得の再分配政策を掲げて、北部や東北部を中心とした農村部や低所得層などから支持を集め、2001年の総選挙で勝利して首相に就任しました。

2005年の総選挙では圧勝し、首相として2期目に入りましたが、親族による株の不正取り引きの疑いが明るみに出たことをきっかけに、退陣を求めるデモが相次ぎ、2006年に軍によるクーデターで失脚しました。

その後もタイの政治で強い影響力を保ってきましたが、首相在職中の汚職の罪などで合わせて10年の実刑判決を受けていて、公判中に国外に出たまま、ドバイなどで事実上の亡命生活を送っていました。

国を追われてからもタクシン元首相の人気は根強く、2011年の選挙ではタクシン派が勝利して、タクシン元首相の妹のインラック氏が首相に就任します。

ところが、タクシン元首相の帰国に道を開く恩赦法案を成立させようとしたことをきっかけに、反タクシン派による反政府デモが拡大しました。

事態を収拾させるためだとして、軍は2014年に再びクーデターをおこし、以来、軍の影響力が強い政権が続いています。

タクシン元首相をめぐっては、強力なリーダーシップや農村部や低所得層への手厚い政策を支持する人がいる一方、トップダウンによる意思決定や、手法が強引だとして反発する人もいて、タクシン派と反タクシン派が国を二分する対立を続けてきました。