日航ジャンボ機墜落事故から38年 遺族ら慰霊登山 群馬 上野村

520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から12日で38年です。墜落現場の群馬県上野村では、午前中から遺族や関係者が慰霊の登山を行っています。

昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。

事故から12日で38年となり、遺族などは墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して慰霊の登山に訪れています。

遺族たちは、亡くなった人の墓標に到着すると花を手向けたり、線香を供えたりしていました。

また、尾根にある慰霊碑の「昇魂之碑」の前でも手を合わせるなどして、犠牲者を悼んでいました。

慰霊の登山については、11日からの3日間、登れる人を遺族や関係者などに限っていますが、ことしは墜落現場の山の尾根などに、衛星を使った通信網が整備されていて、訪れることができない人もビデオ通話などで慰霊の様子を確認できるようになっています。

また、夕方から、ふもとで行われる追悼慰霊式は、ことし、4年ぶりに遺族が参加して行われ、墜落時刻の午後6時56分にあわせて黙とうをささげます。

父親を亡くした女性は

事故で父親の榊原勝さん(当時52)を亡くした横浜市の宮沢淳子さん(64)は、夫と子ども2人、そして、孫と一緒に父親の墓標に線香を供え、手を合わせました。

宮沢さんは「父親は子どもが好きだったので、孫やひ孫の顔が見せられなかったのが悔やまれます。子どもや孫も1年に1度ここに来て父親に会いに登り続けてほしい」と話していました。

弟を亡くした男性は

新潟県から妻と3人の孫とともに訪れた豊島暁正さん(75)は、事故で弟の富美男さんを亡くしました。

豊島さんは、これまでも慰霊登山に訪れてきましたが、高齢になったことや、新型コロナの影響などで6年前から登山を断念していました。

ことしは孫の圭吾さん(21)の強い誘いを受け、訪れることを決めたということです。

弟の墓標に手を合わせたあと、豊島さんは、「私もがんを患い、あと何度来られるかわからないので、ことしは頑張りました。弟も『よくここまで来てくれたな』と言ってくれている気がします」と話していました。

また、孫の圭吾さんは、「おじいちゃんが毎年、慰霊登山をしたいと話していたので誘いました。残されたおじいちゃんもつらい思いをしたと思うので、もうこうした事故は2度と起きてほしくないし、自分も次の世代に伝えていきたい」と話していました。

弟を亡くした女性は

事故で、弟の加藤博幸さん(当時21)を亡くした、さいたま市の小林由美子さん(64)は家族とともに弟の墓標を訪れました。

小林さんは墓標をきれいにして花を飾ると、手を合わせて「また来るね」と伝えていました。

小林さんは「弟にもう一度、会って話をしたいという思いが強いです。38年間いっぱい話ができたはずなのにできなかったのが悔しくて、時間が戻ってきてほしい。弟は人を笑顔にさせるために芸人を目指していました。『365日いつも笑っていて』と口癖のように話していましたが、ここに来ると涙が出てしまったので、『また明日から笑顔で頑張るよ』と伝えました」と話していました。