「6分」だけでも花火を…花火大会本格化の陰で苦渋の決断も

「6分」だけでも花火を…花火大会本格化の陰で苦渋の決断も
コロナ前は1500発、1時間を超える花火大会でした。

それが規模の縮小で1回の打ち上げは75発、時間にして「6分」に。4日間、毎日打ち上げても規模はコロナ前の4分の1です。

「それでもやらないよりはいい。小さくても住民には大切な行事ですから」

4年ぶりに各地で本格化する花火大会。実はその陰で、中止・縮小せざるをえない地域が相次いでいます。

中止の決断、背景は

「開催中止」という苦渋の決断をしたのは、福岡県那珂川市で開かれてきた夏祭り「祭りなかがわ」です。
コロナ前までは毎年8月に開催、4000発ほどの花火も打ち上げられ、市の人口に匹敵する5万人ほどの人出がありました。

祭りの実行委員会「祭りなかがわ振興会」によりますと、ことしは4年ぶりの開催に向けて準備を進めてきましたが、5月に中止の決断をしたということです。
背景にあるのは「経費の増加」と「人手の不足」です。

予想を超えた金額

「経費」で大きかったのは、「警備費」がコロナ前の約2倍の450万円ほどかかることが分かったことでした。

それに加えて、花火や会場設営にかかる費用も軒並み上がっていたのです。

振興会の貞方伸彦会長は見積もりを繰り返し、なんとか開催できないかと何度も打ち合わせを重ねて対応を模索しました。
貞方伸彦会長
「上がってくる数字が毎回のように予想を超えた金額でした。警備費はなんとか350万くらいにまで抑えて、4000発の花火は3000発に縮小して、ステージもことしはなくしてと…」
それでもどうしても費用をまかないきれず、悩む日々が続きました。

コロナ禍3年の間に…

もうひとつ、「人手不足」の問題もありました。

もともと祭りは行政が開くものではなく、基本的には市民がボランティアで運営を担う仕組みです。
しかし、コロナ禍で開催できなかった3年間にノウハウを引き継ぐことができず、運営にあたる人の数も足りなくなってしまったということです。
貞方伸彦会長
「もうぎりぎりなんとか、本当にぎりぎりまで道がないかと、なんとかできないかとやっていたんですが、ことし無理に開催しても来年も同じ課題になっていくなということで、切り替えようとなりました。小さいころから『夏は花火はあがるものだ』と思っていましたが、開催できず残念です」

49件の花火大会が中止に

那珂川市と同じような決断を迫られた地域は、どのくらいあるのでしょうか。

観光やイベント情報などをとりまとめ、発信しているWEBメディア「ウォーカープラス」によりますと、ことしの夏、全国各地で開かれる予定だった花火大会は882件あり、そのうち中止を決めた大会は49件あったということです(8月8日時点)。

中止の理由としては、一部に台風など悪天候によるものも含まれるものの、費用確保の問題、警備員などの人手不足などが多くあげられていたということです。

また、中止を決めた49件は北海道から九州まで各地に点在していて、開催場所の自治体の人口規模をみると、全体の7割程度は人口5万人以下の市町村が占めていました。

人口規模の小さい町 ”資金不足”

このうち、人口7000人あまりの千葉県御宿町の「おんじゅく花火大会」も4年ぶりの開催を目指していましたが、資金不足を理由として中止が決まりました。
運営費用は、例年、地元の企業などからの寄付でまかなってきましたが、人件費などが高騰する一方で地域経済が新型コロナの影響から回復しておらず、資金を集めることは難しいと判断したということです。

地元の観光協会は「春ごろまでは4年ぶりの開催を目指していたが、人口規模も小さい町では新型コロナによる経済への影響は続いていて、中止を決断せざるをえなかった」としています。

花火「1時間」→「6分」でも開催へ

一方、規模を縮小することで、なんとか開催しようとする地域もあります。

千葉県勝浦市(人口約1万5000人)で今月12日から開かれる「かつうら若潮花火」です。
コロナ前は1500発、1時間を超える花火大会でした。

縮小によって打ち上げ回数は計300発あまりとなり、75発を4日間に分けて打ち上げることに。

1日あたりの打ち上げ時間は5、6分と短くなりました。

打ち上げ場所も警備などの手間が少ない場所に見直し、屋台などの出店も見合わせるということです。

「花火大会」から「大会」削除も

縮小に伴って名称も変更しました。
「かつうら若潮花火大会」から「かつうら若潮花火」へ。

かつてのような多くの人を呼ぶ催しではなくなったことから、「大会」を削ることにしたということです。

以前は企業や市民から広く寄付金を募っていましたが、「今の状況ではなかなか厳しい」として、負担を抑えるために市民からの寄付を取りやめました。

縮小しての開催は去年から行われ、ことしも同じ規模で開かれる予定です。

「本当はこれまで通りの規模で」

縮小を経て、市民の反応はどうだったのでしょうか。

市内で話を聞いてみると、地元の77歳の女性は「やはり花火があると人も集まれるので、あった方が絶対にいいです」と話したうえで、時間が短くなったことについては「本当はこれまで通りの規模でやってほしいですが…」と話していました。

実行委員会の委員長を務める勝浦市観光協会の渡邉嘉男会長は「短かったね」とか、「もっと長ければいいね」という声もあったと話す一方で、次のように話しています。
渡邉嘉男会長
「昔のような規模でやってほしいという声もあるが、なかなか難しいです。花火は5~6分で終わってしまっても、お盆の時期にやることに意義があると感じています。寄付金と補助金で成り立ってますから費用は抑え込まないといけないですが、それで中止にしてしまうのはなんとも寂しい限りですし、お盆で帰省した人も地元の人も浴衣を来て一緒に花火を見て、市民の人たちに楽しんでもらえれば嬉しいです」

“通常通り開催”でも深刻な影響が

ここまで中止や縮小の現場と、その背景にある「費用」と「人手不足」を見てきました。

一方、ことし4年ぶりに通常通りに開催されている各地の夏祭りの中にも、参加者の高齢化に伴う担い手不足の問題が深刻なかたちで現れた祭りがあります。

先月22・23日に開催された、和歌山県串本町と古座川町の「河内祭」です。
2つの町を流れる川を舞台に行われる地域の夏の風物詩です。

祭りの運営を担う「裏方」の仕事の担い手は60代以上の高齢者が多く、コロナ禍の3年を経ての開催に、参加を辞退する人も出たということです。
「裏方」が担う会場の設営は力仕事も多く、高齢者たちにはこたえる作業でした。

そこで、ことしの祭りは「助っ人」を頼むことになりました。

祭りの「助っ人」とは

それが地元に駐屯している航空自衛隊の若い隊員らおよそ15人。
舟の運搬など、力仕事をサポートする任務にボランティアであたりました。

その1人、航空自衛隊串本分屯基地の谷本謙吾二等空曹は「地域行事に参加できることはすごく光栄。こういう機会を設けていただいたことを大事にしていきたい」と話していました。

会場設営をした地元の参加者は「派遣がなかったら祭りができていたかどうかわからない。本当にありがたいです」などと感謝していました。

歌い手13人→4人に とった策は

また、祭りの呼び物にも厳しい現実が突き付けられていました。

「河内祭」の呼び物の1つ、川を渡る「御舟」で歌われる舟歌の「歌い手」が、コロナ前の4年前の13人から、4人にまで減っていたのです。
コロナ禍で練習や披露の機会がないまま年を重ね、引退する人が相次いだということです。

しかし、簡単に代役を立てることはできません。
そこで祭りでは、録音した歌を一部で使うことになりました。

2隻の「御舟」のうち1隻で、スピーカーから歌が流されたのです。

本来ならば“禁じ手”ですが、背に腹は代えられない中での苦肉の策でした。

「あと3、4年したら祭りができるか…」

このままでは、いずれ祭りが維持できなくなるのではないか。

ことしの祭りはなんとか終えましたが、担い手の問題の厳しさがあらためて浮き彫りになりました。
古座川河内祭保存会 杉本喜秋会長
「みんなだんだん年を取っていって、前と全然違います。あと3年か4年したら、もう祭りができるかなという段階になってきました。なんとかこの祭りを続けていきたいから、大変だけど頑張っていかないといけない」

「来年こそは」

「1度中止してしまうと、もう一度腰をあげるのは2倍、3倍の力がいる…」

さて、この記事の終わりに、冒頭で紹介した福岡県那珂川市の「祭りなかがわ」の貞方さんのことばに戻ろうと思います。

ことしは想像以上の壁に直面し、苦渋の決断で祭りを中止にせざるをえませんでしたが、実はもう来年の開催に向けた話し合いを始めているそうです。

ことしの中止を案内する際の文面にも、すでに「来年度以降、開催できるよう検討を進める」と明記しました。

現在は、「5年ぶり」となる来年の開催へ向けて、費用面と人手の確保に向けて具体的な検討を始めています。
貞方伸彦会長
「今までのやり方を見直して、多くの方に企画から協力していただいて、もう一度作り上げていきたいと思っています。一般の方もボランティアで活動できる場にもなれば、当日は夏の花火を楽しむのに加えて活性化にもつながる。商工会や企業の協力も得ながら来年こそは祭りの開催を目指していきたい」

「思い出がたくさんある祭り」

「祭りなかがわ」のフェイスブックを見ると、過去の祭りの映像や写真とともに、市民が祭りを支えてきた歴史が随所に伺えます。

コロナ禍前の2019年の祭りの会場のにぎわいの様子や、現在の市制に移行する前の「那珂川町」として最後となった2018年の祭りを応援する市民や出身者からのメッセージも。
「那珂川町の出身です。市になっても続くように、遠い長野県からご成功をお祈りしております」
「小さい頃からの思い出がたくさんある大事なお祭りです。存続できますように」
「那珂川町に残したいもの。市になっても変わらずあってほしいもの。ほどよい田舎と「祭りなかがわ」。応援しています」
貞方さんは、こうした人たちの思いに応える祭りとして復活させるべく、1年後を見据えています。

取材の最後、「もう来年の日程、決まっているんですか」とたずねると、答えは間髪入れず返ってきました。
「はい、8月の第3土曜日なので、17日ですね」
和歌山放送局 南紀新宮支局記者 
藤田真由香
2020年入局 警察・司法担当を経て現所属
「小さい頃から夏祭りが楽しみでした。今回、一人ひとりが祭りを支えていく大事さを実感しました」
ネットワーク報道部 記者
岡谷宏基
2013年入局 熊本局・経済部を経て現所属
「ことし3歳の娘と初めての花火の予定」
ネットワーク報道部 記者
鈴木彩里
2009年入局 スポーツニュース部を経て現所属
「今夏は3歳の娘と隅田川花火へ。規模の大小に関わらず祭りは大切な夏の記憶になると感じました」
おはよう日本 記者
本多ひろみ
2009年入局 岡山局・社会部を経て現所属
「今夏すでに夏祭りに2回行きました」