鹿児島「8・6水害」から30年で追悼 いかに語り継ぎ備えるか

記録的な大雨で鹿児島市を中心に土砂災害や川の氾濫が相次ぎ、死者、行方不明者が49人にのぼった「8・6水害」から6日で30年となりました。各地で亡くなった人たちを悼む姿が見られました。

九州南部で「梅雨明けが特定できない」という異例の年だった1993年の8月6日、停滞する前線の活動が活発になり、鹿児島市では局地的に猛烈な雨が降り続く記録的大雨となりました。

土砂災害が同時多発的に起きるなどして48人が死亡、1人が行方不明となったほか、繁華街の天文館を含む広い範囲が浸水して市民生活が長期間混乱する事態になり、地元で「8・6水害」と呼ばれています。

6日で水害から30年となり、各地で亡くなった人たちを悼む姿が見られました。

このうち土石流で15人が犠牲になった鹿児島市の竜ヶ水地区にある花倉病院の跡地では、父親の鶴田勇さんを亡くした田中美代子さんと弟の鶴田誓男さんの2人が訪れ、花や線香、それに、父親が好きだったというたばこを手向けて祈りを捧げました。

30年前の8月6日に病院の裏の斜面で発生した土石流は建物の中まで流れ込み、入院していた2人の父親の鶴田勇さんが、巻き込まれて亡くなりました。

2人は毎年、命日の前後に病院の跡地を訪れていて、6日は花や線香、それに父親が好きだったというたばこを手向けて、祈りをささげていました。

また、愛知県に住むもう一人の弟とも電話をつなぎ、きょうだい3人で父親の死を悼んでいました。

鶴田誓男さんは「毎年8月になるとこの場所で父親を引き取って家に連れて帰ったのを思い出します」と話していました。

田中さんは「30年は長いようで短くて、きのうのことのように当時を思い出します。最後まで面倒を見てもらったお医者さんや看護師さんにありがとうございますと伝えたいです。建物が残っているかぎりは毎年この場所に来ようと思います」と話していました。

本願寺鹿児島別院では追悼の法要

当時、遺体安置所となった鹿児島市の本願寺鹿児島別院では追悼の法要が行われました。

本願寺鹿児島別院の本田淳誓副輪番は「亡くなった人と再会した遺族の嗚咽が廊下にまで漏れ聞こえてきたことが思い出される。時間が過ぎるとともに、記憶や当時の思いが薄らいでいくのを感じるので、時間を設けて思い出す機会を今後も設けていきたい」と話していました。

NHKが行ったアンケート調査では鹿児島県内に住む10代と20代の若者の7割近くが「8・6水害」について明確に知らない実態が明らかになっていて、体験をいかに語り継ぎ次の備えにつなげていくか課題となっています。

メタバースで水害の怖さを体感

一方、鹿児島市では、インターネット上の仮想空間「メタバース」を使った水害の疑似体験などで防災意識を高めてもらおうというイベントが開かれました。
会場のかごしま環境未来館には、6つのブースが設けられました。

このうち、NHK鹿児島放送局が出展した「メタバース防災研究所」では、インターネット上の仮想空間に市内が再現され、自分の分身「アバター」を自由に動かしながら、30年前の「8・6水害」を疑似的に体験できます。

参加した親子たちは、繁華街の天文館が、1時間に100ミリの雨やマンホールから水が湧き出る「内水氾濫」で50センチの高さまで水につかる様子のほか、大規模な土砂崩れが発生した竜ヶ水で、大量の土砂が建物を飲み込み道路が分断される様子など、災害の怖さを体感していました。

また会場には、当時の被害や救助の様子を記録した写真も展示され、訪れた人たちが足を止めて見入っていました。

体験した7歳の男の子は「洪水で人が流されているのを見て、怖いと思いました。崩れそうな所には近づかないよう気をつけたいです」と話していました。

30代の父親は「話を聞くだけではイメージがわかなかったが、体験してみると、風景もリアルでどこまで体がつかるのか視覚的にわかりやすかった。30年前の水害が今の鹿児島市のまちづくりにも生かされているので、忘れずに大切にしていく必要があると感じました」と話していました。

水害経験のない消防隊員などに災害の教訓伝える救助訓練

鹿児島市では水害を経験していない消防隊員などに向けて災害の教訓を伝える救助訓練が行われました。

訓練には、鹿児島市消防局の消防や救助、それに救急の隊員、およそ100人が参加しました。

訓練の想定は市内で崖崩れが発生し、3棟の家が倒壊して住人の安否が確認されていないという内容で、参加者ははじめにドローンのカメラを使って、崖崩れによる被害の全体状況をモニターで確かめました。

そして、土砂の中の音を調べる機械や小さなすき間から中の様子を調べるカメラを使って、倒壊した住宅に被災者がいることを把握すると、救急隊員などが住宅に入り、被災者を搬送する流れを確認していました。

「8・6水害」当時、救助現場で活動をした鹿児島市消防局の山住勝志警防課長は「8・6水害を経験していない隊員が8割を超える中、あの時の教訓をしっかり伝えるために訓練を行った。日ごろから備えが必要だということを伝えたい」と話していました。

また、水害当時4歳だった救助隊員は「先輩たちの生きた教訓を生かして水害が起きた時に対応できるようにしたい」と話していました。