社会

広島 原爆投下78年 犠牲者を追悼 核兵器ない世界へ発信続く

広島に原爆が投下されてから6日で78年です。
世界で核の脅威が高まる中、広島市の松井市長は平和宣言で「核抑止論は破綻していることを直視する必要がある」と世界の指導者に呼びかけました。被爆地・広島では、犠牲者を追悼し、核兵器のない世界の実現に向けた訴えを国内外に発信する1日が続いています。

広島市の平和公園では、夜明け前から被爆者や遺族が祈りをささげました。

午前8時から行われた平和記念式典には、被爆者や遺族の代表をはじめ、岸田総理大臣のほか、過去最多となる111の国の代表が参列し、ことしの参列者は、新型コロナウイルスの感染が拡大する前と同じ規模のおよそ5万人となりました。

式典では、この1年に亡くなった人や死亡が確認された人、あわせて5320人の名前が書き加えられた33万9227人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められました。

そして、原爆が投下された午前8時15分に、参列者全員が黙とうをささげました。世界では、ロシアが核による威嚇を続ける中核軍縮の議論が停滞し、核抑止力への依存を強める動きも見られます。

広島市の松井市長は、平和宣言で「世界の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取り組みを早急に始める必要があるのではないか。平和な世界の実現に向け、為政者に核抑止論から脱却を促すことがますます重要になっている」と訴えました。

その上で、各国の為政者に対して、核による威嚇を直ちに停止し、対話を通じた信頼関係に基づく安全保障体制の構築に向けて一歩を踏み出すことを強く求めました。

そして、日本政府には一刻も早く核兵器禁止条約の締約国になることや、まずはことし11月の締約国会議にオブザーバーとして参加することを要望しました。

続いて、地元の小学生2人が「平和への誓い」として、「被爆者の思いを自分事として受け止め、自分のことばで伝えていきます。誰もが平和だと思える未来を、広島に生きる私たちがつくっていきます」と述べました。

岸田首相「核兵器ない世界実現へ国際的な機運を呼び戻す」

また、岸田総理大臣はあいさつの中で、「核兵器によってもたらされた広島、長崎の惨禍は決して繰り返してはならない。わが国は引き続き非核三原則を堅持しながら唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた努力をたゆまず続ける」と述べました。

その上で「現在、核軍縮をめぐる国際社会の分断の深まりやロシアによる核の威嚇などにより、その道のりはいっそう厳しいものになっている。しかし、このような状況だからこそ『核兵器のない世界』の実現に向け、国際的な機運をいま一度呼び戻すことが重要だ」と強調しました。

さらに、ことし5月のG7広島サミットに触れ「世界のリーダーたちに被爆者の声を聞いていただき、被爆の実相や平和を願う人々の思いに直接触れてもらった。すでに始まっている『国際賢人会議』の議論も踏まえながら『核兵器のない世界』の実現に向け引き続き積極的に取り組んでいく」と訴えました。

そして「被爆者の方々に対しては、原爆症の認定についてできる限り迅速な審査を行う」と述べ、高齢化が進む被爆者に寄り添いながら総合的な援護施策を推進していく考えを強調しました。

被爆者の平均年齢は85歳超に

原爆投下から78年がたち、被爆者の平均年齢は85歳を超えました。

平和公園では6日、被爆者が自身の悲惨な体験を証言して平和を訴えたり、高校生が紙芝居を通じて、長年続く原爆による放射線の影響の恐ろしさを伝えたりする姿がありました。

被爆者たちの体験や核兵器廃絶の願いをどのように引き継いで未来に伝え続けていくのか。

核の脅威が高まる今こそ、問われています。

被爆地・広島では、犠牲者を追悼し、核兵器のない世界の実現に向けた訴えを国内外に発信する1日が続いています。

立民 泉代表「締約国会議にオブザーバー参加すべき」

立憲民主党の泉代表は、広島市で開かれた平和記念式典に出席したあと、記者団に対し「ウクライナで戦争が起き、核による威嚇が行われた。核軍縮・核廃絶に日本をはじめ世界中が取り組まなければならない。日本は唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約にコミットする必要があり、政府は11月に行われる締約国会議にオブザーバー参加すべきだと強く訴えていきたい」と述べました。

一方、日本維新の会の馬場代表が「核共有」の議論をアメリカと進めるべきだという考えを示したことについて「とんでもないことだ。『核共有』は、周辺地域の核の脅威を高めてしまう可能性がある」と指摘しました。

維新 馬場代表「核兵器禁止条約の締約国会議に参加すべき」

日本維新の会の馬場代表は、広島市で開かれた平和記念式典に出席したあと、記者団に対し「原子爆弾の投下から78年になり、世界中から核を無くそうという声はあがるが、実際にアクションが進んでいる状況ではない。日本としても、ことし11月に開かれる核兵器禁止条約の締約国会議にオブザーバーとして参加すべきだ」と述べました。

一方で馬場氏は、日本の安全保障をめぐる環境を踏まえ「現状、日本が最悪な緊急事態を迎えた場合に、アメリカの核で守られることは動かしようのない事実だ。アメリカの核兵器を同盟国で共有して運用する『核シェアリング=核共有』の議論をアメリカと進めることは非常に重要だ」と指摘しました。

公明 山口代表「橋渡しの役割をいっそう進めるべき」

公明党の山口代表は、広島市で開かれた平和記念式典に出席したあと、記者会見し「G7広島サミットの機運を生かし『核兵器のない世界』を目指して、さまざまな人と連帯していきたいと誓った。日本は、核保有国と非保有国の橋渡しの役割をいっそう進めるべきだ」と述べました。

また、ことし11月に開かれる核兵器禁止条約の締約国会議にオブザーバーとして参加すべきだという考えを重ねて示したうえで「岸田総理大臣は条約を全否定しているわけではなく、いわばゴールという評価をしている。ゴールに近づくための努力がオブザーバー参加であり、意義のあることだ」と指摘しました。

共産 志位委員長「岸田首相のあいさつ 中身がなかった」

共産党の志位委員長は、広島市で開かれた平和記念式典などに出席したあと、記者団に対し「式典での岸田総理大臣のあいさつは、率直に言ってあまりにも中身がなかった。核兵器禁止条約やNPT=核拡散防止条約は、核兵器のない世界に進むためのいわば車の両輪だが、両方とも言及がなく、あまりにも空疎で本当に恥ずかしいことだ」と述べました。

その上で「日本はたくさんの知見を持っているので、世界中の核兵器による被害者の支援で貢献することが大事だ」と述べました。

国民 玉木代表「核廃絶の意義よりいっそう高まっている」

国民民主党の玉木代表は、広島市で開かれた平和記念式典に出席したあと、記者団に対し「キューバ危機以降、最も核兵器の使用や威嚇の脅威が高まっている時であり、5月にG7広島サミットが開かれたからこそ、式典で核廃絶に向けた力強いメッセージを出し続ける意義は、よりいっそう高まっている」と述べました。

そして「世界の現実は厳しく、核保有国と非保有国の間だけでなく、核保有国での分断も進んでいる。橋渡し役をまさに日本が果たすべきで、11月の核兵器禁止条約の締約国会議には、日本はオブザーバー参加すべきだ」と述べました。

東広島の大学生「二度と繰り返してはならない」

平和記念式典に参列していた東広島市に住む21歳の大学生は「就職して広島を離れる前に一度は来なければならないという思いがあって今回初めて参列しました。『平和への誓い』の中で川に死体が浮かんでいたことなど原爆投下直後の様子が語られていたのがとても印象に残りました。ロシアによるウクライナ侵攻も続いている中で、二度と核による被害を繰り返してはならないと改めて考えました」と話していました。

長野 小諸の女性「子どもたちがしっかり考えている」

平和記念式典に参列していた長野県小諸市の71歳の女性は「参列してみて子どもたちが平和のことをしっかり考えているのがわかりとてもうれしかったです。ロシアによるウクライナ侵攻が続き、核兵器が使用される懸念もある中で被爆国である日本の対応が求められていると思います」と話していました。

また、一緒に参列した孫の小学6年生の女の子は「平和の大切さについて改めて考えていく必要があると感じました」と話していました。

インド人の夫婦「涙が流れるのを抑えられなかった」

平和記念式典に参加したインド人の30代の夫婦は「インドも核兵器を保有しているが、世界中で核を廃絶すべきだし、軍縮を進めるべきだと考え、きょうの式典に参加した。8時15分に黙とうした時、被爆した人たちのことを思い浮かべると、涙が流れるのを抑えられなかった」と話しました。

その上で、「G7広島サミットは大きな出来事だったが、重要なのは世界中のひとたちが被爆者の話を聞くことだと思う。ことしインドでG20も開かれるが、核や戦争の問題についてしっかり話し合ってもらいたい」と話しました。

スペイン人の男性「平和への祈りの力強さを感じた」

平和記念式典に参列したスペイン人の40代の男性は「日本にとって大切な日の式典なので、機会があれば参加したいと思っていた。特に印象に残ったのが、黙とうの時の静けさで、平和への祈りの力強さを感じた。今後、人類の歴史のなかで、核兵器が使われないことを願っている」と話していました。

サーロー節子さん8年ぶりに平和記念式典に参列

13歳のときに広島で被爆し、半世紀以上にわたって、核兵器の廃絶を訴え続けてきたカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(91)が6日、8年ぶりに平和記念式典に参列しました。

このあと、広島市中区で市民グループなどが開いた記者会見に出席したサーローさんは「非常に威厳のある立派な式典で、参加できて感謝しています。私としては核の記憶を再び思い出すことは大変でしたが、平和のために働いている多くの広島の人たちに囲まれて式典の時間を過ごせたのはありがたかったです。ただ、式典の中で被爆者が登壇して話す機会がなかったのは疑問があります。多くの被爆者が亡くなっていく中で、心の底から訴えたいことがあると思うので、そういう機会をつくってほしいと思います」と話していました。

その上で、式典の中での岸田総理大臣のあいさつについて「非核三原則を堅持するなど、まともなことを言ったと思うが、もっと強く核兵器廃絶やそれに向かっていく具体的な行動や計画を聞きたかった。被爆者たちが70年以上、求めていることに対しての言及がなく、少し物足りないと思います」と話していました。

広島市内では各地の小学校で平和学習

原爆投下から78年となる6日、広島市内では各地の小学校で平和学習が行われました。

このうち広島市東区の中山小学校では、児童たちが教室のスクリーンで平和記念式典の様子を見守り、原爆が投下された午前8時15分になると目を閉じて黙とうをささげました。

この小学校では6年3組の児童のひとりが式典で読み上げられた「平和への誓い」の作成に携わったということで、クラスのみんなで誓いのことばに耳を傾けていました。

このあと学校の体育館では全校での平和学習が行われ、作文を読み上げた6年生の児童の代表は「もし僕が友達の立場を考えたり、思いやりを持てたりしたらけんかにならないかもしれません。そうやって子どもも大人も協力して平和な世界を作りませんか」と平和への思いを伝えました。

また、クラスごとに考えた平和のために行う「誓い」も発表され、このうち3年3組は「自分と違う意見も大切にし、ぽかぽかことばで話し合おう」と呼びかけていました。

6年生の男子児童は「核兵器がなくなり、広島や長崎、それに世界が平和になればいいと思いました。暴言や暴力をなくし、みんなが平和に、笑顔になってほしい」と話していました。

7歳の女の子 原爆ドームの絵を描く

広島に原爆が投下されて78年となる6日、多くの人が原爆ドームを訪れ犠牲者を追悼しています。

このうち、原爆ドームの近くにかかる元安橋の下では、広島県海田町に住む小学2年生の7歳の女の子が、原爆ドームの絵を描いていました。

女の子は、目の前の原爆ドームを観察しながら、真剣な表情で色鉛筆を動かしていました。

絵を描き上げた女の子は、描いているときの思いについて「亡くなった人がかわいそうという気持ち」と話していました。

また、女の子の母親は「世界で、同じ年の子が戦争の犠牲になっているということを感じてほしい。成長していく過程で、自分のこととして、どうすれば平和になるのかを考えながらいろんな人と関わってほしい」と話していました。

高校生ら「原爆の子の像」モデルの紙芝居披露

広島市の平和公園では、高校生らが「原爆の子の像」のモデルとなった少女を題材にした紙芝居を披露しました。

広島市の平和公園にある「原爆の子の像」のモデルの佐々木禎子さんは2歳のころに被爆し、そのあと、白血病を患って12歳で亡くなりました。

広島県府中町の安芸府中高校は、禎子さんについて描かれた紙芝居の読み聞かせに取り組んでいて、6日は平和公園で、町内の小中学生とともに日本語と英語で披露しました。

公園にセミの鳴き声が響く中生徒たちは、禎子さんが病床で折り鶴を作り続けたエピソードなどを大きな声で伝え、多くの家族連れや海外からの旅行者などが聞き入っていました。

英語の紙芝居を聞いていたドイツからの旅行者は「禎子さんの紙芝居に心を動かされました。若い生徒たちが取り組んでいるのもすばらしいです」と話していました。

紙芝居を披露した安芸府中高校3年生の女子生徒は「私たち若い世代が原爆について理解し、一人ひとりが少しでも平和を伝えていけたらいいと思います」と話していました。

原爆資料館 G7各国首脳ら記帳の芳名録を展示

広島市中区の広島国際会議場で開かれている「G7広島サミット回顧展」では、ことし5月に行われたG7広島サミットで原爆資料館を視察した各国の首脳らが記帳した芳名録や、アメリカのバイデン大統領が記帳した際に机に置いていた折り鶴など61点が展示されています。

会場には平和記念式典に参列した人たちなどが集まり、入り口には一時、長い列ができていました。訪れた人たちは、芳名録の写真を撮ったり、首脳がつづった平和を願う直筆のメッセージなどをじっくり見たりしていました。

被爆者の母親がことし亡くなったという男性は、「各国の首脳たちは力強いことばを書いていた。原爆資料館で見たことを自分の国に持ち帰り、世界に広めてもらって、平和な世界を実現してほしい」と話していました。

この展示は今月末まで行われますが、劣化を防ぐため芳名録の実物の展示は7日までで、8日以降はレプリカになるということです。

中学生が英語で平和のメッセージ

会場の広島市内のホテルには、地元の中学生35人が集まり、オランダやイスラエルなど各国の駐日大使や、大使館の関係者などおよそ40人と向き合って座るとそれぞれが準備してきた平和のメッセージを読み上げました。

広島市西区の己斐中学校3年の江口実良さんは「ともに平和の意味を考え、国籍に関係なくたくさんの人と接し、お互いを認め合いましょう。平和に向けて小さいけれど重要なステップになると思います」などと伝えていました。

参加した大使らは中学生の話に耳を傾け、メッセージが終わると生徒たちと握手をしたり写真を撮ったりしていました。

江口さんは「自分の伝えたいことをことばにできてうれしかったです。若い世代から見た平和を発信できる機会は大切だと感じました」と話していました。

メッセージを聞いたルーマニアのドランガ・オヴィディウ駐日大使は「人類が直面している複雑な問題について中学生に意見を書いてもらうことはとてもよいアイデアだと思いました。生徒たちは外国の人との交流がとても上手だと思います」と話していました。

帰国を前にウクライナ人の姉妹が平和の祈り

ウクライナのキーウで暮らしていたファジリエ・ボロジナさん(20)は、妹のマリアさん(19)とともに民間の支援プロジェクトを通じて去年9月、広島市に避難してきました。2人の故郷はウクライナ南部のクリミア半島で、2014年のロシアによる一方的な併合のあとキーウに移り住んだものの、去年の侵攻で再び避難を余儀なくされました。

広島に来てからは、支援者の紹介で市内の食品メーカーに就職し暮らしてきましたが、大学進学などのため、来月、2人ともウクライナに帰国することを決めたということです。戦争を思い出したくないと、原爆のことに積極的には触れてこなかったファジリエさんですが、広島に来てから初めての原爆の日に、妹とともに平和公園を訪れました。

ファジリエさんたちは慰霊碑に花を手向けたあと、広島や祖国の戦争の犠牲者を悼むとともに平和を願って静かに祈りをささげていました。

ファジリエさんは「広島とウクライナの平和を願って祈りをささげました。ウクライナでは今も戦争で多くの人が亡くなっていて、平和が何よりも大切だということを強く感じます。帰国後は広島の原爆の悲劇をまわりの人に伝え、広島で学んだことをウクライナの復興に役立てたい」と話していました。

小倉桂子さんが英語で被爆体験語る

G7広島サミットで各国の首脳に被爆体験を証言した小倉桂子さんなどの被爆者が、外国の人たちに英語で自らの体験を語りました。

8歳で被爆し、G7広島サミットで各国の首脳に証言した小倉桂子さん(86)は「原爆が投下されたあと、体の皮膚がむけた人たちが列になって自分がいる場所に向かってきました。みんな次々と亡くなっていきました」と当時、目撃した状況を振り返りました。そして「世界平和のためには人々はまず歴史を知った上で何ができるのかを話し合って見つけていくことが大切だ」と訴えました。

市内にある広島国際会議場の会場には外国から訪れた人を中心におよそ200人が集まり、参加者たちは壮絶な体験を語る小倉さんに真剣なまなざしを向けていました。

このあと、参加者で輪になって核問題などを話し合い「平和のために何十年活動しても進歩がほとんどないことに危機感を覚える」などと考えを述べていました。

静岡に住む20代のイギリス人男性は「話を聞いて多くの人がやけどを負った悲惨な様子が目に浮かびました。実際に被爆した人が生きている間に直接話を聞けたことはとても貴重なことだと思う」と話していました。

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