鹿児島「8・6水害」から30年 体験を語り継ぎ次への備えが課題

記録的な大雨で鹿児島市を中心に土砂災害や川の氾濫が相次ぎ、死者、行方不明者が49人にのぼった「8・6水害」から6日で30年となります。NHKが行ったアンケート調査で、鹿児島県内に住む7割近くの若者が水害について明確に知らない実態が明らかになっていて、体験をいかに語り継ぎ次の備えにつなげていくか課題となっています。

九州南部で「梅雨明けが特定できない」という異例の年だった1993年の8月6日、停滞する前線の活動が活発になり、鹿児島市では局地的に猛烈な雨が降り続く、記録的大雨となりました。

土砂災害が同時多発的に起きるなどして48人が死亡、1人が行方不明となり、地元では「8・6水害」と呼ばれています。

市の中心部を流れる甲突川などで氾濫も相次ぎ、繁華街、天文館を含む広い範囲に水が流れこみ、1万棟を超える建物が浸水しました。

停電や断水なども長期間続き、市民生活が混乱を極める事態にもなりました。

6日でこの「8・6水害」から30年となり、市内の寺では犠牲者を追悼する法要が営まれ、パネル写真などを使って当時の記憶を語り継ぐ催しも開かれる予定です。

ただ、NHKがことし5月、鹿児島県内に住む10代と20代の若者、100人を対象に行ったアンケート調査では「8・6水害」について、「知らない」もしくは、「詳しく知らない」と答えた人が全体の7割近くに上りました。

当時を知らない世代が年とともに増える中で、30年前の大災害の体験をいかに語り継ぎ、次の備えにつなげていくか課題となっています。

水害が起きないよう祈願する神事も

鹿児島市の松原神社では、水害が起きないよう祈願する神事「八六水神祭」が行われました。

地元の人ら9人が集まり、おはらいのあと祝詞が読み上げられ、順番に玉串をささげて犠牲になった人たちを弔いました。

そのあと、岩切祐次郎宮司が「自然災害は人間の思うように行かないものですので、何とぞ無病息災にご健勝にお過ごしください」とあいさつしました。

この水神祭は「8・6水害」の翌年から毎年行われています。

主催した天文館連絡協議会の牧野田栄一会長は、「あの日のことはきのうのように覚えています。今後も水害に強い町を作っていきたいということを考えながら参列した」と話していました。