日銀 異次元緩和導入時の議事録を公開 「2年」の根拠言及なし

日銀は、2013年の4月上旬に当時の黒田総裁のもとでいわゆる異次元緩和を導入した金融政策決定会合の議事録を公開しました。

この会合では、黒田総裁をはじめ政策委員の多くが2%の物価目標を2年程度で実現することへの意気込みを示しましたが、実現の難しさを指摘する声が相次いでいたことがわかりました。

金融政策決定会合 2013年4月4日

議事録によりますと、就任後初めて会合に臨んだ黒田総裁は異次元緩和の導入にあたって「戦力の逐次投入は避け、2%の物価目標をできるだけ早期に実現することを目指すべきだ。具体的な期間として私自身は2年程度の期間を念頭に置いている」と発言しました。

当時の岩田規久男副総裁も「15年も続くデフレから脱却するには2年程度で2%のインフレ目標を達成し、その後も安定的に維持するという約束が必要だ」と主張しました。

また、当時の佐藤健裕審議委員は「2年でけりをつけるくらいの気持ちでやっていくことが重要だ。2%の物価目標の達成は容易なものとは考えていない。ギャンブル性の高い政策となることは覚悟すべきだ」と指摘しました。

さらに、当時の石田浩二審議委員は、政策手段として大量に国債を買い入れることについて「われわれは2年間でやり遂げるということで出発すべきだ。万が一、手応えがなければ見直しについて発言することを留保させてもらう」と発言しました。

このように、多くの政策委員が2%の物価目標を2年程度で実現することへの意気込みを示しましたが、実現の難しさを指摘する声や2年で実現できなかった場合に政策を見直すべきだという意見が相次ぎました。

また「2年」とした根拠についてはどの委員からも言及がありませんでした。

この会合から10年余りとなりますが、日銀が掲げる2%の物価目標は依然、実現できていません。

議論の経緯 具体的なイメージ示されないまま

異次元緩和の導入が決まった2013年4月上旬の会合では、具体的な政策メニューについて議論したあと当時の黒田総裁が「こうした金融緩和策の継続期間について議論をしたい」と呼びかけました。

これについて、当時の木内登英審議委員は「2年程度を集中対応期間と位置づけて政策を導入するというように期限を区切るのがよいと思う。政策の評価もして効果があまりないということであれば別の政策を考えるということにすべきだ」と提言しました。

これに対し当時の宮尾龍蔵審議委員は「私も2年間集中して行うという意識がある一方で、事前には期間を明示しないことでもたらされ得る政策効果の波及ルートを強化して人々の景気回復期待を高めるという側面もあるので両方のバランスを追求するのがこの政策の枠組みだ」と発言しました。

また、当時の中曽宏副総裁は「2年ということを文章上区切ってしまうと期待形成がスムーズにいかないのではないか。何とか2年でやり遂げるという気持ちを共有した上で文章的には、2%の物価安定目標の実現を目指し、これを安定的に持続するまでに必要な時点まで継続するということでよいのではないか」と発言しました。

このほか石田浩二審議委員から「1年たったところでよく見て、それからまたやっていくところで中締めをして、その中で本音の議論をしていけばよいと思う」という指摘もありました。

採決の結果、2%の物価安定目標の実現を目指し、これを安定的に持続するまでに必要な時点まで継続する方針が木内審議委員を除く8人の政策委員の賛成で決まりました。

この方針については「経済・物価情勢について上下双方向のリスク要因を点検し、必要な調整を行う」という文言も加えられています。

このように当時、政策委員からは、異次元緩和のもと2%の物価目標の実現を2年でやり遂げるという思いが相次いで示されましたが、異例の政策をいつまで続けるのかについては具体的なイメージが示されないまま、必要な時点まで続けるという形でまとめられた経緯が議事録から明らかになりました。

「銀行券ルール」の扱いは?

2013年4月上旬の会合では、異次元の金融緩和を打ち出すのに合わせて、いわゆる「銀行券ルール」の適用を一時停止しました。

「銀行券ルール」は、日銀が保有している国債の残高を銀行券=お札の発行残高以内に抑えるという考え方で「日銀券ルール」とも呼ばれています。

日銀は、政府が発行した国債を直接引き受けるいわゆる「財政ファイナンス」を行わないという原則を掲げていますが、市場からの国債の買い入れが財政ファイナンスにあたると受け止められないよう、2001年3月に量的緩和政策を導入した際に自主的な規律として「銀行券ルール」を導入しました。

この「銀行券ルール」について、黒田総裁は、就任直後の2013年3月下旬、衆議院の財務金融委員会で「撤廃も含めて検討の対象としたい」という考えを示していましたが翌月・4月の会合で、撤廃ではなく、一時停止と決まった経緯が今回公開された議事録で明らかになりました。

4月の会合では、「銀行券ルール」の扱いについて、当時の宮尾龍蔵審議委員が、「考え方自体、基本スタンスとして維持されるべきものであり、破棄する必要はない」と述べたほか、当時の白井さゆり審議委員が「ノーマルなときに戻れば元に戻していくというやり方に沿うべきだ」と発言しました。

このように多くの審議委員から廃止ではなく一時停止とすべきだという意見が出たことを受けて、黒田総裁は、「ノーマルなときに戻れば銀行券ルールの範囲内、成長通貨の供給がそういったことを目途にして行われるということはもっともなことであり、そのようにしたい」と述べ、銀行券ルールを廃止せず、一時的に適用を停止することが決まりました。

白川総裁が退任する前の金融政策決定会合の議事録も公開

当時の白川総裁のもとで最後の会合となった、2012年3月の金融政策決定会合の議事録も、今回公開されました。

当時、外国為替市場では、第2次安倍内閣が打ち出したアベノミクスのもとで日銀がさらなる金融緩和に踏み切るという見方から、円安が加速していました。

こうした状況について白川総裁は、3月の会合の終盤に「意見は控えようと思っていたが、感じたことを述べたい」と断った上で、意見を述べました。

この中で白川総裁は、「マーケットで円安が進んできた背景を考えると、当局者が禁じ手である具体的な為替の水準に言及したことと、もう1つは、中央銀行の独立性が阻害されるのではないかというとらえ方が広がったことが、背後にあったと思う。その原因が申し上げたようなことであれば、非常に危険なことだ」と指摘しました。

その上で、財政が悪化する中で中央銀行の金融緩和が突出すれば、フィスカル・ドミナンス=財政従属に陥るという経済学の議論を踏まえ、「フィスカル・ドミナンスの議論は、中央銀行の気合いの問題ではなく、そういう状況になったら中央銀行がそうせざるをえない状況に追い込まれるのではないかという議論だ。それはある日突然来るのではなく、中央銀行の行動、中央銀行が発するメッセージが最終的にそのような状況になってしまうことを、皆が懸念している」と述べました。

白川総裁は、さらに続けて「金融緩和政策の効果の本質は、将来の需要を現在に前倒しし、繰り上げていくことにある。日本はこの政策を15年やっているが、あすがきょうになり、しあさってもきょうになってきている。金融緩和政策を工夫していくことは必要で今後も努力が必要であるが、大きなピクチャーを忘れずにやっていく必要がある」と述べたあと、「演説するつもりは全くなかったのだが、ついつい言ってしまった」と締めくくりました。

白川総裁はこの会合の12日後に退任しましたが、日銀が後任の総裁のもとでより積極的な金融緩和に転換すると見込まれる中、最後の決定会合の場で中央銀行の政策や役割が変質することへの懸念を表明した形です。

門間エグゼクティブエコノミスト インタ

今回公表された2013年4月上旬の金融政策決定会合の議事録について当時、日銀の理事として会合に出席していたみずほリサーチ&テクノロジーズの門間一夫エグゼクティブエコノミストに話を聞きました。

2%の物価目標を実現する期間を「2年程度」とした理由について門間氏は「同じ年の1月に日銀と政府が決めた共同声明には期限は明確には書いていない。ただ、世の中の論調や政府の意見などを踏まえると、やはり2年程度を念頭に置くということをひと言入れておいた方が、日銀としてできることは全部やるんだということ、そしてそのために強い決意を持っているんだということが世の中に伝わりやすかったというのはある」と指摘しています。

その後、10年たった今でも2%の物価目標は達成できていませんが、門間氏は「今40年ぶりの物価上昇が起き賃金もことしの春は30年ぶりの賃上げができた。今ちょうど2%物価目標が達成できるのかできないのかわからない状況になってきている。一方で2024年、2025年とまた元の低インフレに戻ってしまうという可能性も十分にある。そうなってくると、2013年から12年、13年にわたって異次元緩和を続けても、結局、目標達成できないということになってしまうので、そうなった場合は2%物価目標の意味合いをもう1回改めて考え直す時期になってくると思う」と述べ、物価が上昇し、賃上げの動きが広がる中でもなお、目標の達成ができなければ目標そのものの意味を改めて考え直すべきだと指摘しました。