高校野球 4年ぶりに“甲子園の土”の持ち帰り認める

8月に開かれる夏の全国高校野球で、選手たちが試合後に甲子園球場のグラウンドの土を集めて持ち帰ることが、4年ぶりに認められることになりました。

甲子園球場で行われる高校野球の全国大会で、選手たちが試合後にグラウンドの土を集めて持ち帰ることについては、新型コロナウイルスの感染拡大以降、チームの入れ替えを接触を避ける形で速やかに行う必要があるなどとして各校に控えるよう呼びかけられていました。

高野連=日本高校野球連盟などは、28日に大阪市で大会の運営委員会を開き、今回の大会から土の持ち帰りを認めることを決めました。

甲子園では、敗れたチームの選手たちがグラウンドの土を集める姿が印象的なシーンとなっていて、4年ぶりにその光景が戻ってくることになります。

また、運営委員会では、ことしのWBC=ワールド・ベースボール・クラシックで、日本代表の監督として優勝に導いた栗山英樹さんが、開幕試合の始球式を務めることなども決まりました。

また、高野連などによりますと、開会式の入場行進は、去年、代表校の選手に新型コロナの感染が相次ぎ、プラカードに続いてキャプテンのみが入場行進する形式に変更されましたが、夏の大会では4年ぶりに代表校のすべての選手が参加して行われる方針だということです。

“甲子園の土”

センバツ高校野球や、夏の全国高野球で、敗れたチームの選手たちが涙を流しながらグラウンドの土を集めて袋に入れて持ち帰る姿は、大会の印象的なシーンとなってきました。

甲子園球場の土には、火山灰を含む鹿児島の黒土や、水はけのよい京都の砂などが混ぜられていて、夏の全国高校野球の期間中は、日々、黒土や砂が補充されています。

最初に持ち帰った人は諸説あり、このうち、1937年(昭和12年)の23回大会で、熊本工業のエースとして出場した川上哲治さんは、決勝で敗れたあと甲子園の土を持ち帰り、学校のグラウンドにまきました。

また、1949年(昭和24年)の31回大会で、福岡の小倉北高校のエースだった福嶋一雄さんは、準々決勝で敗れ、3連覇を果たせなかったあとに、ユニホームのポケットに土を入れて持ち帰りました。

また、1958年(昭和33年)の40回大会では、首里高校の選手たちが、沖縄の学校として初めて甲子園に出場しましたが、当時はアメリカの統治下にあったため、甲子園の土は那覇港で検疫を理由に海に捨てられてしまいました。

一方で、土の持ち帰りがいつごろから慣例となったのかは、はっきりしていません。

新型コロナウイルスの感染が拡大してからも、甲子園の土は、球児たちにとって大切な存在であり続けました。

3年前の2020年に夏の全国高校野球が中止になったときには、プロ野球、阪神の選手などが、およそ400キロ分の甲子園の土を集めて、キーホルダーに入れて、全国の硬式と軟式の野球部に所属する高校3年生およそ5万人に贈りました。

また、この年は、中止になったセンバツ高校野球に出場を決めていた32校を招待して交流試合が行われましたが、この交流試合から、ことしのセンバツ高校野球までは、試合後にグラウンドの土を集めて持ち帰るのは控えるように呼びかけられました。

ベンチの消毒を行ったり、接触を避ける形でチームを速やかに入れ替えたりする必要があるという理由で、大会に出場したチームの選手たちには、代わりに甲子園の土が贈られました。