大相撲 豊昇龍 大関に昇進 “気魄一閃の精神で努力”

大相撲の豊昇龍が26日大関に昇進し、伝達式の口上で「大関の名を汚さぬよう気魄一閃(きはくいっせん)の精神で努力いたします」と決意を述べました。新大関が誕生するのは、ことし5月の夏場所後に昇進した霧島以来です。

記事後半では大関への昇進が決まった豊昇龍と、師匠の立浪親方の記者会見での主な一問一答をお伝えしています。

大関昇進決定

豊昇龍はいずれも関脇で迎えた、ことし3月の春場所で10勝、続く夏場所で11勝、今月23日まで行われた名古屋場所では12勝を上げ、優勝決定戦を制して初優勝を果たし、三役で臨んだ直近の3場所の勝ち星の合計を大関昇進の目安「33」としていました。

優勝決定戦を制して初優勝

日本相撲協会は26日、次の秋場所に向けた番付編成会議と臨時の理事会を開き、豊昇龍の大関昇進を正式に決めました。

豊昇龍の大関昇進が正式に決まったあと協会の使者2人が豊昇龍と師匠の立浪親方が待つ名古屋市内の立浪部屋の宿舎へ赴き伝達式で昇進を伝えました。

大関昇進 伝達式

これを受けて豊昇龍は口上で「大関の名を汚さぬよう気魄一閃の精神で努力いたします」と決意を述べました。

このあと豊昇龍は記者会見し「すごくうれしい。優勝の喜びはすごかったが大関昇進もだ。今週はうれしいことばかりでもっと頑張らないと、という気持ちだ」と満面の笑顔で話しました。

使者を待つ間の心境については「人生で1回しかないので緊張した。口上を練習していてもうまく言えなくて、待っていた時間も練習したが、部屋の若い衆に笑われたり関取衆に『大丈夫だよ』と言われたりした」と振り返りました。

口上で述べた「気魄一閃」ということばについては「どんなことがあっても力強く立ち向かうという気持ちを込めた。親方と話をしていいと思って決めた」と説明しました。

その上で「応援してくれている方々にちょっとでもお礼ができたのかなと思う。番付は大関で終わりではない。次に向けて一生懸命、頑張って行きたい」と今後の抱負を述べました。

師匠・立浪親方「うれしいのひと言だ」

会見する立浪親方と豊昇龍

豊昇龍の師匠で元小結・旭豊の立浪親方は「うれしいのひと言だ。使者を迎えることができることになったうれしさとか、いい弟子を持ったとかいろいろと考えた」と喜びを話しました。

そして、初優勝を決めた名古屋場所の千秋楽を振り返り「千秋楽は安心していた。自信がある顔をしていたのでいけるのではないかと思っていた」と話しました。

大関昇進を果たすことができた要因については「努力と負けん気の強さだ」と説明し、豊昇龍のおじで元横綱の朝青龍とともに「豊昇龍は大関、横綱になると確信していた。オーラがあるのではないか」と入門時に話していたことを明かしました。

その上で「今回の優勝で大関は通過点だというのを確信した。まだ上に行ってくれる」と述べて、さらなる期待をかけていました。

八角理事長「上を目指して」

日本相撲協会の八角理事長は「大変な重圧の中、最後まで冷静に立派な相撲を取り切ってくれた。強い気持ちを持って努力を続けてきたからこそ、ここまで上り詰める事が出来たと思う。これからも自分らしく思い切りのいい相撲を取り続けて、安定した力を発揮してくれる事を期待している。自分を信じてさらに上を目指してもらいたい」とコメントしています。

両親「息子を誇りに思う」

両親と喜び

豊昇龍の父親のドルゴルスレン・スガラグチャーさんは「育ててくれた親方に感謝している。息子を誇りに思う」と話していました。

また、母親のナルマンダフさんは「とてもうれしいし、息子を誇りに思う。親方の指導のもとこれからも頑張ってほしい」と話していました。

豊昇龍と立浪親方 会見【主な一問一答】

《豊昇龍》
Q. 大関になって気持ちはどうですか?
A. すごくうれしいです。

Q. 使者を待つ間はどんな気持ちでしたか?
A. すごく緊張していました。相撲を取るより緊張していました。

Q. 口上のことばは、どのように選びましたか?
A. 親方とよく話をして、このことばがいいかなということで決めました。

Q. どんな気持ちを込めたのですか?
A. どんなことがあっても力強く立ち向かうという、そういう意味で使いました。

Q. 口上は練習しましたか?
A. すごく緊張して練習していても、うまく言えなくて。
さっきも待っていた時間で練習したのですけど、部屋の若い衆に笑われたり、関取衆に「もう大丈夫だよ」みたいなことを言われた。きょうの日は人生で1回しかないので、すごく緊張しました。

Q. 決めた時の気持ちはどうでしたか?
A. うれしかったです。
どんなことにも立ち向かっていくというのは、自分の中でもすごくいいなと感じて、それでめちゃくちゃうれしかったです。

Q. 大関とよばれてどんな気持ちですか?
A. ちょっと慣れないですね、慣れないとね。

Q. 優勝の喜びと大関昇進の喜びは違いますか?
A. 優勝の喜びはすごかったですけど、大関の喜びも同じくすごくうれしいです。
今週はうれしいことばかり起きているので、もっと頑張らないとなという気持ちで、あすから頑張っていきたいと思います。

Q. 次の番付に向けてという気持ちはありますか?
A. もう次に向けなくちゃいけないのではないですか、今は。

Q. 入門から5年半、33場所という時間はどうですか?
A. 自分の中では意識してなかったですけど、いいのではないですかね。

初優勝を果たし目頭抑える

Q. 優勝は、けががなければ、もう少し早かったのではと話していました。
A. 確か自分は何場所も場所中でもけがしていた。その時、本当にけががなかったらなと思う時もあったのですけど、今はもう優勝しているし、大関にも上がっているので、それがいい勉強になったと思っています。

Q. どんなことを学びましたか?
A. 何をやっちゃいけないとか、自分には何が足りなかったとか、いろいろ考えました。

Q. けがは優勝のきっかけにもなりましたか?
A. そうですね。やはり、けががなかったら、自分が危ない相撲とかを取っていたと思いますけど。けがでいろいろ考えて、やっぱりだめだったかとか、いろいろ勉強になったと思います。

Q. そこから稽古や相撲の取り方に変化はありましたか?
A. どうですかね。自分の意識は変わったのではないかと思うのですけど。
見ている皆様がたぶんよく分かっていると思います。

Q. 気持ちの変化はありましたか?
A. 気持ちの部分も、すごくお世話になっている方々からメンタルトレーナーをつけてもらって、気持ちを強くするためにいろいろやってきました。

Q. 気持ちを強くするために心がけていることなんですか?
A. 部屋でいちばん番付が上だったし、自分がやらないと、みんな自分の背中を見ているので、引っ張っていかなくちゃなという気持ちでやりました。

Q. 大関のイメージはどんなものですか?
A. 自分は最初から言っていましたけど、大関は夢のところだったので、入門したときに。今は、そこまで来ているのですごくうれしいです。けど、ここで終わるわけじゃないので、次に向けて頑張りたいです。

Q. ご家族と喜びを分かち合えた気持ちはどうですか?
A. 親が来てくれて、親に報告したとき、もう泣いちゃいましたね。すごくうれしいです。

Q. モンゴルに帰った時に朝青龍さんと何を話しましたか?
A. モンゴルに行った時は「頼むから今場所で決めてくれ」と言われて。「お前が優勝したら俺は泣くからな」みたいなことを言われていたんですよ。その時は「はい」って言っちゃったんですけど。「えっ、どうしよう」って、なっていたんですけど、心の中では。

Q. 約束を果たせましたね。
A. そうですね、約束を果たせた場所だったですね。

Q. 師匠の話をどう聞いていましたか?
A. 12日目に負けて、13日目と14日目は勝って帰ってきた時は、親方の喜んでいる顔を見て、「うわ、頑張らないとな」と、その気持ちはありましたね。
千秋楽の時、親方が来てお守りをくれて。そのあとに「どうやっていくの」って言われて、自分は「もう決まったことをやります」と言ったので、決まったことをやったんですけど。いろいろ応援してくれている、手伝ってくれている方々に、この優勝と大関昇進でちょっとでも恩返しができたのかなと思っています。そのために頑張っていました。
あと番付は大関で終わるわけじゃないので、次に向けて一生懸命頑張っていきたいなと、そんな気持ちが今は出ています。

Q. お守りを持ってきてくれた時の師匠の表情はどうでしたか?
A. ちょっと心配してくれている表情だったので、「親方心配してくれているな」と自分も思ったんですけど。付け人にお守りを渡して、「親方からもらったんだ」と言ったら、付け人から「まじですか」と言われて。

Q. なかなかなことだったのでしょうか?
A. 自分は初めてだったので。

Q. 横綱になるために必要なものは何だと思いますか?
A. やっぱり稽古です。しっかり稽古して人の倍、稽古をしないといけないなという気持ちが、今はあります。

Q. 大関としてどんな姿を見てもらいたいですか?
A. 自分は自分のいいところだけ見せたいです。力強く、絶対勝つとかそういうことじゃなくて、ファンの皆様が喜ぶ相撲をしていきたいです。

Q. 口上は何点でしたか?
A. 満点っていうしかないじゃないですか(笑)
自分ではしっかりできたのかなと思っていますけど、どうですかね、逆に。どうでしたか?

Q. 伝達式に臨むにあたって、朝青龍さんから何か言われましたか?
A. やることをしっかりやったんだから、楽しめと言われました。

Q. しっかりできましたか?
A. できたんじゃないかな、分からないですけど。

Q. ここまで5年半で最もきつかったのはいつですか?
A. 正直に言いますけど、大変なことはありました。けど、楽なことってないじゃないですか。どんな大変なことでも立ち向かって頑張っていかなければ結果はでないので。こうやって考えると、逆にやってきてよかったと思っています。

Q. 師匠からもらったお守りはこれからも持っていきますか?
A. そうですね、ずっと明荷の中に入れておこうって思って。

Q. 大変だったことで思い出すことは?
A. 大変なことは、やっぱりけがしたときがいちばん。相撲取りは、けがとともに戦っていかなくちゃいけないので。大けがもあったし小さいけがもあったので。けがをしたときは次どうしようと。早く治さないと、稽古できないじゃないですか。どうしようと。それがいちばん大変でしたね。やっぱりけががいちばん大変だった。

相撲を始めたころの豊昇龍

Q. おじさん(元横綱 朝青龍)の存在があって、いろいろ言われてきたと思うが大関になってどう感じますか?
A. おじさんの名前が自分についていたし、自分が勝たなければ、おじさんの名前が下がるじゃないですか。だからもっともっと頑張っていこうというのもあったんですけど、諦めるところはちょっとあったんですけど。ここで諦めちゃいけないなという気持ちでやりました。今はやっていてよかったと思います。

Q. おじさんの名前が大きくて、たどりつけないと思った時期はありますか?
A. それは今でもありますよ。超えるとか、そういうことはできないかもしれないですけど、ちょっとでも近づきたいですよね、その気持ちで。

Q. 日本に来た時はレスリングをすると言っていたのに、相撲をやりたいとなった理由は?
A. 最初は絶対相撲はやらないって、おじさんに言っていたんですよ。
「相撲をやるか」って言われて、「いや、相撲は無理です」と言っていたんですけど、日本にきて相撲のことを知るための授業があったんですよ。アスリートコースの生徒たち全員で5月場所を見に行ったんですけど。その時に、なんかいきなり「相撲やりたいな」という気持ちが出てきちゃって。その日の夜、帰って、そのままおじさんに連絡して「相撲がやりたいです」と言ったら怒られたんです。
で、「僕もこんなところで戦いたいな、相撲を取りたいな」という気持ちがめちゃくちゃ強く出たので、帰ってそのままおじさんに連絡して。「相撲やりたいです」と言って。めちゃくちゃ怒られたんですけど。次の日「いいよ」と言われたんです。それで、相撲部に入りました。

Q. その時に決めてよかったという気持ちですか?
A. 今はそう思っています。本当によかったと思います。

大関昇進の伝達式を終え

《立浪親方》
Q. 大関が誕生した喜びはどうですか?
A. うれしいのひと言ですね。本当に感無量です。

Q. 使者を待つ間の気持ちを。
A. 使者を迎えるこのシーンをですね、こういうことができることになったうれしさ、いい弟子を持ったとかいろいろ考えて。このシーンは、きょうしかありませんので。昔、お手伝いしたこととか、いろいろなことを思い出して、そういえばこういう風だったなと思いながら、いろいろ考えていました。

Q. いざ現実になってどうでしたか?
A. 九州場所の時はそこまで考えていませんでしたけど、今場所中は、豊昇龍が負けると大関って大変だなと。なんか遠ざかるというか、一歩後退したり、またチャンスが来たりってありましたよね、今場所は。本当に大変だなと、大関は大変だなと思いましたね。

Q. 終盤5日あたりが特に思いましたか?
A. 最後の3日間ぐらいですかね。

Q. 優勝の準備、昇進の準備はどうしていましたか?
A. 周りの後援会の方とかが、いろいろ準備してくれていましたけど。寸前では間に合わないので、終わってからではね。でもあまり見られなかったので、相撲も。ちょっと心配で見られないところがあったんですけど。千秋楽は結構安心していたところもあるんですよね。なんかいけるんじゃないかなという気持ちがあったので。
本人の顔を見たりしていると自信があったような顔をしていたので、これはいけるんじゃないかなというのは思っていましたね。

Q. 千秋楽の朝は声はかけなかったのですか?
A. 支度部屋で取る前に少しだけ。

Q. どんなことばをかけましたか?
A. 知り合いがゲンのいいお守りを持ってきてくれたので、これだけは渡さないとなと思って。僕が持っていたら意味がなくなってしまうので、それだけちょっと渡して。で、「どうやっていくんだ」と、それだけ聞いて。
「もう決めています」って言ったので、安心しましたね、そこで。もう大丈夫だろうと思って。そこで迷いがあったら結果は分からないですけど、自信のある返事をもらったので、よしと思って。でもテレビはちょっと見られなかったです。
会場に残っておこうかどうか迷ったんですけどね、やっぱりホテルに行って携帯で見ようかなと。

初優勝しパレード

Q. 優勝の一報は何で知りましたか?
A. 現場で見ている人のほうが早いから、電話がかかってくるんですよね。だからちゃんと映像を見られていなかったんですけど。でも、「勝ったよ」という電話で教えてもらったので、みんなで大騒ぎしました。

Q. この地位までたどりついた要因は何だと思いますか?
A. それはもう努力と負けん気の強さ。あとは入る時におじさんと、朝青龍と「この子は大関、横綱になる器だから」と2人で確信していたところもあるし。この優勝によって大関は通過点だなと確信したというか。たぶん、さらに上にいってくれるんじゃないかなと。
本当に優勝するまではどうかなというところもあったんですけど、この優勝で通過点だと思いましたね。

Q. 入門当時にそういう器だと感じた理由はなんですか?
A. オーラと言うかね、あるんじゃないですかね。

Q. 稽古を見ていて、これはやはりという瞬間はありましたか?
A. 稽古場ではそんなになんか、そういうところがあるというのは感じないんですけど、やっぱり本場所ですかね、本場所の取組で思うというか。

Q. 次の番付への期待は? 身に付けてほしいことは何ですか?
A. 千秋楽の相撲を見ていると、ああいう決定戦の相撲なんか、ああいうのが合っているのではないかなと思うので、それを磨いていくというか。型がないとか言われますけど、だいぶおおまかには出来てきたと思うんですよね。だからそれを磨いていけば、近いうちにいけるのではないかなと思います。

Q. 師匠は口上を聞いていた時どんな気持ちでしたか?
A. 心配でした。ちゃんと言えるかなと。途中で止まったから思い出さないのかなと心配していました。

Q. 無事言い終わりましたね。
A. 本当にこういう瞬間を楽しませてもらっています。

Q. 名門立浪部屋から大関をというプレッシャーもあったと思いますが?
A. 立浪部屋のファンの方に、日頃思っていることは応援しがいのある部屋をつくるということなので、少しでも喜んでいただけたかなと。よかったなと思います。

Q. これからも楽しみではないですか?
A. まだまだ頑張ってもらいます。

《豊昇龍》
Q. 次の伝達式まではどれぐらいが目標ですか?
A. 自分は、それは口にしません。その時にまた会いましょう。

Q. 霧島が1場所先に大関になった悔しさはありましたか?
A. 大関と場所前、稽古していましたからね。自分より先に大関に上がりましたけど、自分のほうが関脇昇進が早かったが、大関に自分より先に上がっちゃったので、なんで僕はできないんだよって、自分にちょっとむかつくことはありましたね。自分も上がらないとというその気持ちはあったので、それで頑張れました。

Q. きょうは両親もいるが恩返しできましたか?
A. そうですね、モンゴルで子どもの時、迷惑かけてばかりな子どもだったので、これでちょっとでも恩返しできたのかなと思っています。

Q. 両親の存在は?
A. 自分だけじゃなくて、モンゴル人は両親の存在はすごい大事なことなので。

《立浪親方》
Q. 気魄一閃が浮かんだ最初のイメージはどういうものでしたか?
A. 友人と相談して、いくつかことばを打ち合わせしたんですけど、これがいいということで決めました。でも合っているんじゃないですか。
もう1つ、前に違うことばを決めたんですけど、それじゃなく結局、気魄一閃になったんですけど、これにしますと言ったんで。

Q. 気魄一閃はどこからアイデアを得たのですか?
A. 豊昇龍という人を想像してもらって、その人に。それが合うんじゃないかって、4つか5ついただいたんですけど。本人が最後は決めたんですよ、本人がこれがいいと言ったので。

【新大関 過去の口上は】

大関昇進は日本相撲協会の使者が新大関と師匠のもとを訪れて直接伝達し、新大関は受諾する意思を示すとともに大関としての決意を込めた「口上」を述べます。

過去の口上では四字熟語を用いる例が多く、平成の大横綱・貴乃花が平成5年に大関に昇進した際には「今後も不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で相撲道に精進します」と述べました。

「不撓不屈」は「どんな苦労や困難にもくじけないこと」という意味で、貴乃花が横綱昇進の際にも用いていました。

また、元横綱・白鵬が大関に昇進した際には「大関の地位を汚さぬよう全身全霊をかけて努力します」と口上を述べました。

豊昇龍の叔父で元横綱・朝青龍が大関に昇進した際には「大関の名に恥じぬよう、一生懸命頑張ります」とモンゴル出身初の大関としての決意を述べていました。

一方、4年前に貴景勝が初めて大関に昇進した際には「武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進して参ります」と述べ「武士道精神」という漢字5文字に思いを込めました。

このほか、四字熟語などを使わない口上もあり、今場所、新大関として臨んだ霧島もことし5月の伝達式で四字熟語は使わず「大関の名を汚さぬよう今まで以上に稽古して頑張ります」とわかりやすいことばでみずからの思いを表現していました。