途切れた日記 ~奪われた“あした”~

途切れた日記 ~奪われた“あした”~
「あしたはもっと楽しくなるといいです」

4年前(2019年)の5月4日。
小学4年生の男の子は日記にこう記しました。

しかし、男の子に“あした”は来ませんでした。

翌日の未明、男の子が乗った車に道を逆走してきた飲酒運転の車が衝突。
男の子は亡くなりました。

飲酒運転によって“あした”を奪われた男の子。
それでも両親は、もう誰にも同じ思いをしてほしくないと、新たな一歩を踏み出しています。

(大津放送局 記者 丸茂寛太)

家族の中心だった心誠くん

富山県砺波市で生まれ育った心誠(しんせい)くん。

3人きょうだいの末っ子で、料理や食器洗いなどをよく手伝う優しい男の子でした。
明るい性格でいつも家族の中心にいたといいます。
母親
「いつも明るくて、きょうだいでケンカが始まっても、明るいひと言でみんなを笑わせて、その場を収めることができる不思議な力を持っていました。そこにいるだけでみんなが心誠の笑顔につられていました」

成長を記録した日記

心誠くんは4年生になると毎日、日記を書くようになりました。
日々の出来事をことばにすることで、成長につながるのではと母親が提案しました。

心誠くんは学校から帰宅すると、その日あった出来事を母親に話しながら日記を書き、担任の先生に見てもらいました。
最初はことばをつむぎだすのに時間がかかりましたが、次第に表現が豊かになっていったといいます。

先生も大きな“花まる”をくれました。
小学3年生の誕生日
「ぼくが大すきなみかんだけをケーキにはさんでもらいました。上にマカロンがのせてありました。ケーキはみんなでわけて食べました。うれしくて楽しいたん生日でした。九才はべん強をたくさんします」
スイミングに行った日
「きょうスイミングでクイックターンのれんしゅうをしました。はじめはさかだちみたいになってうまく回れませんでした。でもコーチが『ひざを見て回るとうまくいくよ』と教えてくれました。やってみるとうまくできました」
そして、4年前(2019)の年5月4日。
福井県にある祖父母の家に遊びに出かけていた心誠くんは、いとこたちと楽しく遊んだ1日を振り返っていました。
2019年5月4日の日記
「今日福いのおじいちゃんとおばあちゃんの家にいきました。福いのおじいちゃんおばあちゃんのペットの犬と遊びました。次に宿題をお父さんとやりました。終わるころに、いとこが来ました。カードゲームをしました。次にゲームをした後にいとことドッジボールをしました」
日記の最後はこう締めくくられていました。

「あしたはもっと楽しくなるといいです」

突然 奪われた“あした”

その日の夜。

心誠くんは両親や姉とともに、1人暮らしをしていた大学生の兄に会いに行くため、車で京都へと向かいました。

日付が変わった5日、午前1時ごろ。

大津市の国道を走行中、突然、対向車が道を逆走してきました。
車を運転していた父親がブレーキを踏みながらとっさにハンドルを切りましたが、よけきれません。

対向車は心誠くんの乗っていた運転席側の後部座席に突っ込んできました。
助手席で仮眠していた母親は、強い衝撃と大きな音で目が覚めました。
母親
「車の中は割れたガラスでいっぱいで、事故にあったのは分かったんですけれども、何が起きたか分かりませんでした。息子の様子を見て何とかしなければと思ったのですが、呼びかけることしかできなかったです。ここがどこかも分からない、本当に途方に暮れました」
後部座席に座っていた心誠くんは頭を強く打って病院に運ばれましたが、まもなく死亡が確認されました。

心誠くんの“あした”は奪われました。

“酒を飲んでいました”

事故から4日後。

父親の携帯電話が鳴りました。
電話をかけてきたのは、逆走してきた車のドライバー。
そこで、耳を疑うようなことを告げられました。

「酒を飲んでいました」
事故が起きた夜。

ドライバーは、勤務する会社の社長と一緒に酒を飲んでいました。
そして、社長を車で京都市内に送り、その帰りに事故を起こしていました。
父親
「飲酒運転だったと聞いた時は、もう許せないという思いでした。子どもである心誠がシートベルトをして、しっかりルールを守っていた。それなのに法律を守らない、いいかげんな大人に命を奪われ、激しい怒りの気持ちでいっぱいでした」
検察は、アルコールの影響で正常な運転が困難な状態に陥って事故を起こしたとして、相手のドライバーを危険運転致死の罪で起訴しました。

争われた“危険運転致死罪”

事故からおよそ1年。

裁判が始まりました。
量刑がより重い危険運転致死罪が成立するかが争点となりました。
ドライバーは、事故直後の警察の聴取ではビールとウイスキーをそれぞれ3杯ずつ飲んだと供述していました。

しかし、裁判でドライバー側は「ビールは1杯あまり、ウイスキーは1杯程度でアルコールによる運転への影響はない。事故の原因は居眠りで、危険運転致死ではなく、過失運転致死と道路交通法違反にあたる」と主張しました。

事故の原因はアルコールか居眠りか。

両親も被害者参加制度を使って法廷で意見を述べました。
母親の意見陳述
「何度祈っても、願っても心誠は戻ってこない。時がたつほどその現実を突きつけられるばかりです。5月4日、心誠が人生の最後に書いた日記には、『たくさん遊んで楽しい1日だった』と書いてありました。最後は、『あしたはもっと楽しくなるといいです』と締めくくられていました。心誠にあしたは来なかった。かわいい心誠。骨になってしまった」
父親の意見陳述
「ドライバーが飲酒運転さえしなければ事故は発生せず、心誠の未来が奪われることはなかった」
2021年12月21日。

大津地方裁判所は危険運転致死罪の成立を認め、懲役4年の実刑判決を言い渡しました。

判決のあと裁判長はドライバーに対して次のように語りかけました。

「自分の大切な人を事故で失ったらどう思うのかを考え、その立場に立って向き合い、本当の意味で反省を深め謝罪してほしい」

悲しみ続けるだけはいや 飲酒運転撲滅のために

1年半余りかかった裁判のあと、両親は心誠くんのきょうだいたちの心のケアに専念し、事故について話すことはほとんどありませんでした。

しかし、ほかの交通事故の遺族と交流するなかで、「飲酒運転を撲滅したい」という思いを、取り締まりの現場にいる警察官や多くの人に届けたいと考えるようになりました。

そして、事故から4年余りたった、ことし6月。

両親は裁判のあと、初めて大津を訪れました。
事故当時、捜査を担当した大津北警察署で、自分たちの思いを伝えることにしたのです。
この様子は県警察本部や県内すべての警察署にもライブ配信され、多くの警察官が聴講しました。
母親は、墓参りに来ていた心誠くんの友人と会ったときのことを語りました。
母親
「ことしの5月5日。お墓の前で心誠の大親友と会いました。双子のように並んでゲームをしていた1メートル30センチぐらいの身長は、1メートル65センチになって私を追い越していました。本当なら心誠は今ごろ何センチになっていたのだろうか。答えのない問いかけを毎日繰り返し、悲しみは降り積もるばかりです。子どもを失った悲しみに薬などないのだと、時間がたつたびに突きつけられる思いです」
その上で、もう誰も同じ思いをしないでいいように、飲酒運転を撲滅してほしいと訴えました。
母親
「でも、悲しみ続けるだけなのはもういやなのです。私は事故現場で皆様の働きをこの目で見ました。皆様ならきっと、きっと飲酒運転を撲滅できると私は信じています。皆様の本気を滋賀県の方に知らしめてほしい。そして全国へその思いを伝ぱさせてほしい。心誠の日記には、あしたはもっと楽しくなるといいですと書いてありました。滋賀県民のあしたが守られますように。滋賀県民が安全に暮らせますように。どうか皆様よろしくお願いします」
父親
「皆さんにも大切な人がいると思います。大切な人がこの世から突然いなくなるという想像をすることは難しいです。実際にいなくならないとこの苦痛は理解できません。もう平穏な精神状態には戻れません。こんなひどい目に遭う人がこれ以上出てほしくありません。これ以上、被害者をうまないためにも、引き続き飲酒運転の取り締まり強化をお願いします」
初めての講演を終えた両親は、今後も自分たちの体験を伝えていくと話しました。
両親
「私たちはあの事故で死んでいたかもしれない。息子が残した“あしたはもっと”ということばのためにも、何でもやらなくてはいけない。埋もれさせてはいけない」

“あなたのことを想っている”

飲酒運転によって途切れた心誠くんの日記。
最後のページには、担任の先生が心誠くんにあてたメッセージを書き込んでいました。
担任の先生のメッセージ
「ぼくもほんとは、あなたの元気な顔が見たいです。それはみんな一緒。みんなあなたのことを想っているからね。今までもこれからもずっとずっと大好きだよ」
誰かの“あした”を奪う可能性のある車の運転。
コロナ禍前のように飲酒の機会が増えつつある今、「飲酒運転はしない、させない」ことを徹底する必要があると改めて感じました。
大津放送局 記者
丸茂寛太
2021年入局 警察・司法担当
2年前、心誠くんのご両親と出会いました
飲酒運転のない社会を目指し、これからも取材を続けます