私は生きる価値がないですか?

私は生きる価値がないですか?
「重度障害者には生きる価値がない」

7年前、知的障害者施設で暮らす19人の命が、差別的な考えによって奪われました。

大切な仲間を殺され、生きる価値がないと決めつけられた入所者の女性。

この考えは絶対に間違っていると、改めて私に教えてくれました。

(横浜放送局 記者 古賀さくら)

19人殺害の元職員「障害者は生きる価値がない」

2016年7月26日、相模原市にある神奈川県の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、元職員の男が入所者ら19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた事件が起きました。
元職員の「障害者は不幸をつくる」とか「生きる価値がない」といったことばは、社会に衝撃を与えました。

生き残った入所者

事件当時、相模原市の隣にある厚木支局に勤務していた私は、何が起きたのかわからないまま現場に駆けつけました。

それから7年、取材を続けています。

事件後に取り壊されたやまゆり園が、おととし再建されたあとも、定期的に通っています。
そんな中で出会ったのが、奥津ゆかりさん(54)でした。

奥津さんには知的障害があり、10年以上前から園で暮らしています。
事件があった日も、現場となった建物で生活していました。

奥津さん自身は被害を受けませんでしたが、同じ建物内で多くの入所者が亡くなりました。

事件後は別の施設で暮らしていましたが、園の再建を受けて戻ってきたのです。
いつも「こんにちは」と大きな声であいさつしてくれる奥津さん。
とにかく明るくて前向きというのが、最初の印象でした。

人の顔や名前を覚えるのが得意で、私のこともすぐに覚えてくれました。

どんなことにも一生懸命で、いつも「頑張ります」と口癖のように話しています。
ことし2月、園内で影絵の体験教室が開かれた際も、一生懸命練習を重ねていました。

「事件」について聞けなかった

奥津さんと知り合ってから1年、私は事件のことを話題にしたことはありませんでした。

施設の元職員という最も身近な人間が起こした事件と、その後の発言について、当事者としてどう考えているのか、聞いてみたいという思いはずっとありました。

一方でつらい思いをさせてしまうのではないか、話すことで精神的に悪い影響が出てしまうのではないかと思い、踏み出せなかったのです。
しかし園に通ううちに、奥津さんが亡くなった19人を悼んで、折り鶴をつくり続けていることを聞きました。

亡くなった人たちのことをずっと思い続けている事を知り、事件から7年を前に、思い切って尋ねてみることにしたのです。

殺される夢を見る

事件当時のことを恐る恐る尋ねると、奥津さんはきのうのことのように話してくれました。

当時、やまゆり園では重い知的障害があるおよそ150人が、8つのホームにわかれて生活していました。
奥津さんは元職員が最初に侵入した建物の1階で暮らしていました。
「最初は寝ていて、なにか『ガタガタ』いっているなと思っていました。職員がドアを開けたから、『何ですか』って言ったら、『2階に上がって、いいから逃げて』って言われて避難しました。何が何だか分からなくて、パニック状態でした。いまも自分が亡くなった夢とか、殺された夢とか、そういった夢は何度も見ます。まさか自分が殺されるのかなと思ったり、首をやられるのかなと思ったり、いろいろ考えちゃって。ぱっと起きると夢なんです」

大好きな仲間を失った

奥津さんは引き出しの中に大切にしまってある写真を見せてくれました。
両手でピースサインをして、カメラに笑顔をむける女性。
事件で亡くなった60代の女性です。

奥津さんと特に仲がよく、一緒に作業をしたりおやつを食べたり、多くの時間をともに過ごしたといいます。

奥津さんは今も大切に思っていました。
「性格が優しくて、すごく明るくて、なんでもかんでも積極的な子でした。お話はあまりできないんですが、愛とか花とか夢とか、いろんなことばをノートに書いてくれていました。(女性は)折り紙の鶴を折れなかったんです。最初はぐちゃぐちゃだったんですよ。ところが1週間たったら、『きれいにできました』って私のところに持って来てくれて。『よく作ったね、うれしい』って言ったら泣いちゃって。私もうれしくってお互いに泣いちゃって。笑顔が一番大好きな子でした」

そんなことは絶対にありません

淡々と答えてくれていた奥津さんでしたが、元職員が「重い障害がある人は生きる価値がない」と話したことについて聞くと、大きな目を見開いて、強い口調で否定しました。
「生きる価値がないというのはおかしい。そんなことは絶対にありません。本当に私は恨みを持っています」

亡くなった仲間のために

事件のあと、19人を思って鶴を折り続けている奥津さん。
部屋の壁には、折り鶴と、亡くなった仲間にあてた手紙が貼られていました。
「悲しくて、涙が出たりしましたけど、そう思っていたら亡くなった方々に申し訳ない。これからはきっとよい日が来るという思いを込めて、鶴を折り続けています」

悲しみを越えて

おととし再建されたやまゆり園。
再出発した園の中で、奥津さんも少しずつ前を向き始めています。
ことしから園内で洗濯の仕事を始めました。
非常勤職員として週に2回、給料をもらって働いています。
手順を教わりながら、入所している60人分の服やシーツなどを仕分け、大型の洗濯機で洗います。

明るく、積極的な奥津さんは職場のムードメーカーになっていました。
一緒に働く女性
「とっても頑張っています。わからないことはきちんと聞いてくれますし、本当に一生懸命で、一緒に働いていて楽しいです」

地域の人たちと交流も

積極的に園の外に出て、地域の人たちとの交流も始めました。
6月には、園長と一緒に地元の夏祭りに参加しました。

職員から貸してもらった浴衣を着て、とてもうれしそうでした。
カラオケ大会では自分から手を上げて、お気に入りの曲を熱唱し、地元の人たちと盛り上がりました。
「カラオケもやって盛り上がってとてもうれしかったです。職員も、地域の皆さんも、みんな優しくて、とても親切にしてくれて、すごく今は幸せです」

仲間への思いを胸に

事件の日を前にした7月7日、入所者だけで行った追悼の集いで、奥津さんは祭壇に折り鶴をささげ、亡くなった19人に向かって語りかけました。

悲しみが消えることはありませんが、前をむいて生きていこうとしています。
「もしかしたら、事件で自分も死んでいたかもしれず、そうしたらこの場所にいることはできませんでした。でも私たちは今、こうして生きています。亡くなってしまった19人の分まで、これから精いっぱい頑張って生きていきたいです」

取材を終えて

恐る恐る事件について尋ねた私を、奥津さんはまっすぐに見つめて、自分の言葉で話してくれました。

奥津さんは、入所者で作る自治会の会長を務め、言葉が話せない仲間の分も、自分が声をあげていこうとしています。

いずれは園を出て、自立したいとさまざまなことにチャレンジしている奥津さん。

彼女の周りには、いつも笑顔があふれています。

事件を起こした元職員の差別的な考えを、奥津さんはことばで、行動ではっきりと否定していました。

彼女の思いが多くの人に伝わるように、取材を続けていきたいと思っています。
横浜放送局
記者 古賀さくら
事件当時は厚木支局に勤務。施設の入居者や家族の取材を継続している。