“インフラ人材”が足りない

“インフラ人材”が足りない
すでに39度を超える危険な暑さが相次いでいることしの夏。

暑さをしのぐエアコンが手放せない日々が続いています。

しかしいま、その設置を担う「電気工事士」という技術者が足りていません。

2030年には、3万人以上が不足すると推計されているのです。

いま私たちの暮らしを支える技術者、“インフラ人材”の不足が静かに広がっています。

(社会部記者 山下哲平 大西由夏 紙野武広)

深刻化する“インフラ人材”不足

“インフラ人材”とは、どんな人たちなのか?

例えば、水道のメンテナンスを行う「水道技術者」

鉄道の線路や架線を点検する「保線従事員」

さまざまな車の整備を担う「自動車整備士」

いずれも専門の資格や技能をもった技術者たち。
そして、電気やガスの安定供給、鉄道やバス、飛行機の運航や、橋や道路のメンテナンスなど、私たちの社会を維持するのに欠かせないインフラを支える人たちのことを専門家の中には、“インフラ人材”と呼ぶ人もいます。

こうした技術者たちの不足が深刻化し、今後、私たちの暮らしを脅かしかねないと懸念されています。

日常から非日常まで支える“電気主任技術者”

その実態を知ろうと、私たちが取材したのが、電気設備の保守点検を行う「電気主任技術者」。

一般にはあまり耳なじみのないこの職種も、私たちの暮らしには欠かせません。

国内の病院や学校、商業ビルにいたるまで、主に高圧の電気を受けている施設で、定期的に電気設備の点検を行い、異常がないか確認します。

事業者は「電気主任技術者」を必ず配置しなければならないと法律で義務づけられています。

その活躍が注目されたことがありました。

2019年の台風15号のときです。
このときは、千葉県内で大規模な停電が発生し多くの「電気主任技術者」が千葉県に結集。

24時間体制で、数週間にわたって復旧作業にあたったのです。

現場で働いているのは…

しかし、「電気主任技術者」の免許の取得者はこの20年を比較すると、5000人以上減少。

経済への影響が出かねない事態になっています。
大きな危機感を持っているのが、関東電気保安協会です。

関東を中心に9万か所の施設に、およそ1300人の「電気主任技術者」を派遣。

国内で最も多くの技術者を抱えています。

取材で同行した群馬県高崎市では、自治体が運営する老人福祉施設の定期点検が行われていました。
施設では卓球場の照明やカラオケの機材などさまざまなところで電気が使われています。

電気主任技術者の山川治美さんは施設の隣に設置されている変電設備を専用の機器を使うなどして、異常が無いか確認していました。
山川さん
「変電設備の開口部に小動物が入ったり、ネズミが入ったりすると、この施設だけでなく、地域一帯が停電しかねません。試験に受かるだけでなく実務経験も必要な仕事なんです」
でも実は、山川さんはふだん現場で働く職員ではありません。

見せてもらった名刺には広報部の部長という肩書きが書かれていました。

本部の管理職でありながら、人手不足のため急きょ現場に派遣されていたのです。
応援期間は1か月間。

広報の業務をこなしながら東京の自宅から新幹線に乗って現場まで通う生活です。

現場での仕事は10年ぶりですが、人手不足に苦しむ現場の力に少しでもなりたいと引き受けました。
山川さん
「通常は群馬の事業本部内で人繰りを調整しているのですが、それでも足りない場合はどうしても本部から応援にいかないといけなくなります。施設の安全はもちろん、職員みんなの健康面も心配ですので、微力ながら少しでもお役に立てればと思って作業にあたっています」

管理職が次々と現場に

東京の本部には、現場の事業所から技術者が足りないという悲鳴が毎月のように寄せられています。
人繰りを調整する会議を定期的に行っていますが、応援者のリストには事業所長や保安部の部長などの管理職の名前がずらり。

これまでは同じ地域内で応援の職員を出し合ってやりくりしてきましたが、ここ数年は山川さんのように現場から離れた本部の管理職まで応援に出さなければ業務が回らないことが多くなっているということです。

すでに保守点検の新たな依頼も断らざるを得ない事態も起き始めています。

今後、電気主任技術者が足りないため、施設を建設できなかったりする可能性も懸念され、私たちの暮らしや経済にも影響を及ぼしかねないと危機感を強めています。
関東電気保安協会 榛葉淳也 人事部長
「お客様の設備の需要とこちらの供給側のバランスがかなり崩れている状況です。電気主任技術者の不足が経済自体を止めてしまいかねないという懸念があります」

“インフラ人材”不足の背景は

なぜ、こうした「インフラ人材」の不足は深刻化しているのでしょうか?

そこには、こうした技術職の多くが抱える特有の問題があります。

まず、仕事に就くには一定の技能や資格が必要なこと、そして屋外での作業や、深夜早朝など不規則な働き方が求められる傾向があることがあります。
このため、人材の供給源となっていた工業高校や専門学校などの若い人たちが、インフラ業界を避け、ITや情報など別の分野を目指す傾向が強まっているといいます。

その結果、業界では、人材の高齢化が進み、すでにいる若手や中堅の負担が増加。

業界を去る人も出てきて、さらなる働き手不足、すなわち“働き手クライシス”に陥っているというのです。

“インフラ人材”不足はすでに暮らしや経済に…

インフラ人材の“働き手クライシス”の影響は、公共交通機関にも及んでいます。

その現場の1つが空港です。
大分空港では、ことし6月に韓国の格安航空会社が韓国を結ぶ国際線の運航をはじめました。

大分空港としてはおよそ4年ぶりとなる国際線の運航で、インバウンド需要の回復に期待を寄せる地元念願の就航でした。

しかし、この路線は半年前から就航が検討されていたものの、ある“インフラ人材”の不足で実現できずにいたのです。

それが、「グランドハンドリング」と呼ばれる仕事です。
空港で機体から手荷物をコンテナに載せ、運搬しているのを見たことがある人も多いかも知れません。

グランドハンドリングはこうした業務のほか、航空機の誘導やけん引、燃料の給油など航空機の運航に関わる幅広い仕事を担っています。

専門の資格が必要で、航空機を安全かつ時間どおりに運航するために欠かせない仕事です。

グランドハンドリングは2割減少

しかし、いま、グランドハンドリングは、全国で新型コロナ流行前の2019年3月末からことし4月までに1割減少。

大分空港で業務にあたるこの会社でも新型コロナを経て31人から24人と2割減少しました。
グランドハンドリングは天候を問わず屋外での業務となるほか、早朝や夜間の勤務もある労働環境にある一方、賃金水準は仕事に見合っていないと指摘されています。

これに加え新型コロナに伴う航空需要の激減によって離職者が相次ぎ、全国的に深刻な「働き手クライシス」に直面しているのです。
大分航空ターミナル 総務人事課 小野洋平さん
「人を集める難しさを感じていますし、技術を習得するにも時間がかかるので人繰りは非常に厳しいです。いまは国内線だけでもなんとか回しているような状況です」

ライバル会社と協力 異例の対策

そうした中で持ち上がった国際線の復活。

会社では、前例のない対策に乗り出すことにしました。

それが、ライバル会社に応援を求めることでした。
多くの地方空港では、グランドハンドリングは、航空会社から委託を受けた地元のバス会社や空港ターミナル会社などが担っています。

今回、委託を受けた全日空の委託先の企業は、ライバル会社の日本航空の委託先の別の企業に4人の派遣を求めたのです。
6月の初めての就航日。

駐機場では、日本航空のマークが入った制服の上に、全日空のマークが入ったベストを着るグランドハンドリングの姿が見られました。

さらに、ふだんは事務所で勤務する職員も加わって、なんとか航空機を送り出すことができました。

しかし、この応援態勢を長期的に継続させるのは簡単ではありません。

会社は、このままでは別の海外路線を受け入れることは難しいとしています。

国もこの問題について有識者などによる検討会を立ち上げ対策に乗り出していますが、会社では、グランドハンドリングの新たな確保が急務だと感じています。
小野洋平さん
「この態勢のままではどこかで無理が生じるのは間違いないと思いますし、ましてや国際線を増やすのは難しいと感じています。公共交通の要になるという仕事の魅力をきちんと伝えながら採用を進めていきたいです」

社会の基盤が揺らぐ危機

インフラ業界が直面する“働き手クライシス”。

どの現場からも人材確保に悩む声は深刻でした。

業界では、最新のAI技術などを導入し業務の効率化を進めています。

さらに若者に仕事の魅力をアピールしようと高校への出前授業を積極的に行うなど、大きな危機感をもって取り組んでいます。

こうした現状について、国の検討会で委員を務める専門家は次のように指摘しています。
立教大学 首藤若菜教授
「インフラ技術者は、社会の基盤を支える重要な仕事。技術者が確保できない今は、“生活や社会の根幹が揺らいでいる危機的な状態”だと言っていい」

解決への2つの処方箋

では、解決への道筋をどう見いだせばいいのか。

首藤教授は、2つのポイントをあげています。
1 仕事の価値の発信を

「国の支援も得て、賃金水準や労働環境の一層の向上を図ること、そして、それぞれの業界の存在意義やキャリアアップの道筋などを示し『仕事の価値の高さ』を積極的に発信していくことが大事」
2 技術者になるための学び直しの機会を

「6月政府が決定した『骨太の方針』で、リスキリング=学び直しの支援が示されていますが、その対象はIT人材が中心です。

インフラ技術者になるための学び直しの機会を強化し、ほかの業界からの転職につなげることが重要」
「電気工事士」「電気主任技術者」「グランドハンドリング」。

取材を通じて、いずれも私たちの身近で社会をしっかりと支える極めて重要な仕事だと改めて実感しました。

将来にわたって“インフラ人材”を確保し続けることは、社会を維持していくためには、欠かせません。

いまこそこうした技術者の働き手不足の問題に社会がきちんと目を向け、取り組まなければならないと感じました。

「働き手クライシス」では、皆様からの情報やご意見をもとに、引き続き取材を続けていきます。こちらからお寄せ下さい。
社会部記者
山下哲平
2013年入局
北九州局、成田支局を経て社会部で航空取材を担当
社会部記者
大西由夏
2011年入局
松山局を経て、警視庁や厚生労働分野を担当、現在は労働問題などを取材
社会部記者
紙野武広
2012年入局
釧路局、沖縄局、国際部を経て、現在は労働問題や在留外国人などを取材