なぜ“群集”は暴走するのか 関東大震災100年 ある事件の問い

なぜ“群集”は暴走するのか 関東大震災100年 ある事件の問い
ドキュメンタリー作品を数多く手がけてきた森達也監督が初めて手がけた劇映画「福田村事件」(9月1日 全国公開)。

題材となったのは、100年前の関東大震災の混乱のさなかに、千葉県の福田村(現・野田市)で起きた事件です。

内閣府中央防災会議の専門調査会の報告書によると、当時、関東地方各地では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「火をつけた」などの流言(デマ)が広がり、多くの朝鮮人や中国人が民衆や軍、警察によって殺傷されました。

福田村では、香川県から来ていた薬売りの行商の一行が、地元の自警団に朝鮮人と疑われたことをきっかけに襲われ、幼い子どもや妊婦を含む9人が命を落としたのです。

映画では、実際に起きたこの事件を基に、混乱のなかで善良な村人たちが過激化していく様子が描かれています。

なぜ、彼らは根拠のない情報を信じ、人を殺してしまったのか-。

今回、村人たちを止めようとする夫婦役を演じた主演の井浦新さんと田中麗奈さんに、何を感じたのかを聞きました。
Q.森監督初の劇映画ということですが、いかがでしたか?
田中
「森監督の作品に出演したい」という思いの強い方がたくさん集まっていたので、その森監督が撮る福田村事件というのはどういうものだろうという興味や、そこに自分も挑んでみたいという共通の思いがありました。

本当に現場で、部署を超えてみんなで助け合いながら協力してつくりあげた作品で、ものすごく入ってよかったと思っています。
井浦
僕たちファンとしては、森監督の初めての劇映画に俳優部として関わることができるというのは本当に光栄でした。

森監督がどのように劇映画を撮るのかまだ誰も知らないわけですから。

どのように掛け声をかけてオッケーを出すのか、どう演出をするのか、初めて僕らがその場所にいられるというのは本当にラッキーですし、楽しみでもありました。

あとは監督の人柄ですね。

すごくすてきなのは、監督の「こうでなければいけない」という考えを各部署に押しつけないんですよ。

それより、各部署がこのシーンはこういう光をつくりたいとか、こういうふうに撮りたいとか、こういうふうに演じてみたいということをちゃんと受け止めてくれるんです。

受け止めて、微調整をしてくれて、今はこういうシーンが撮れたから、違うお芝居をしてみたらこのシーンはいったいどうなるんだろうという、そういう実験をしてみたり、そういうやりとりが現場ではありました。
Q.皆さんの熱い思いが詰まった今回の映画、どんなところが重要なテーマだと考えていますか?
井浦
いくつも重なり合っているので、一つというのはなかなか難しいですし、見る人がどこに着目するかでもだいぶ感じ方が変わってくると思います。

そのうえで、僕は震災や差別などいろんなことが重なり合っていくその大本には「戦争」というものがあると思っています。

戦争を経て震災が起きて、社会の情勢が不安定になっていって、自分が生きていくため、大切な人を守るためという思いから、閉鎖的な村のなかで人々の思考が停止してしまったり、考え方がキュッと変わってしまったり、生々しい人間の姿が映っているんですよね。

なので、戦争というものがいったい人間をどうしてしまうのか、戦争は何を生んでしまうのかということが、この作品を通して見えてくるのではないのかなと思っています。
Q.事件に至るまでの村人の日常が丁寧に描かれていますが、こだわりがあったのでしょうか?
井浦
僕らが演じた夫婦は、村人ではあるけど朝鮮から久々に故郷へと帰ってきたという設定なので、また少し立ち位置が違うんですが、森監督は村人の日常を描くことにものすごいこだわられていたんですよね。

もちろん虐殺される行商団というのは、この物語のとても大きな存在ですけど、でも善良な市民がほんの何かのきっかけによって、一気に人としての判断が壊れていってしまうというか、そこをしっかり描くためにも森監督は村人たちの日常の生活をしっかりと描きたかったんだろうなと思うんですね。

見方を変えると、その村人は僕らでもあるんだなというふうにも思いましたし、何かが起きたときに、いつでも僕らは福田村事件の村人のようになってもおかしくないんだなと。

そうなったときに自分はどうするんだろうかと突きつけられました。
Q.地震発生以降、善良な村人たちが、パニックのなか「群集」となって、子どもや妊婦までをも殺してしまう様子が描かれています。村人の心理についてはどんなことを感じながら演じていましたか?
田中
福田村事件もそうですし、それ以外の虐殺も含めて、書籍などで関わった人びとの言葉を読むと「朝鮮人が襲ってくるから自分たちは殺したんだ」とか「国にいわれたから」「国に褒められるから」とか、自分たちが正義で、正しいと思ってやったんだということが書かれていて、その感覚に驚きました。

憎くて人を殺している感情ではなくて、上に言われたからとか、みんながやっていたからとか、自分の責任ではない感覚。

相手が子どもであっても、女性であっても、妊婦さんであったとしても関係なくなってしまう、人間のなかにある野生、動物的な部分にぞっとしてしまったんですよね。

集団になると物事の重大さが小さくなってしまう感覚を人間は持ち合わせているんだという事実に、本当にぞっとしました。
井浦
ぞっとするよね。

それは本当に「集団心理」だと思うんだけど、実はそういうことは、今でもニュースで流れてくる。

さまざまな事件とやっぱり全然つながってくるし、本当に今でも変わらない問題なんだなというふうに感じますよね。
Q.凄惨な事件を演じるうえで、戸惑いはありましたか?
田中
子どもが殺されるシーンは撮影だとわかってはいても胸が苦しくなるといいますか、見るのが苦しいというか。

これは撮影だ、撮影だというふうに意識をあえて離さないと、入り込んでしまって本当に身動きが取れなくなってしまうような気持ちにさせられますね。
井浦
虐殺のシーンが近づいてくればくるほど、だんだん呼吸をするのもきつくなってくるようなそんな感覚がありましたよね。
田中
そうですね。

ただ本当に『福田村事件』に入ったぞというみんなの緊張と興奮を感じたことも鮮明に覚えています。
井浦
虐殺のシーンの撮影はものすごい人数がいる撮影だったんですけど、みんながそれぞれ何かを思いながら現場にいる姿が印象的でした。

僕らはそれを客観的なところから見ながら、そこに巻き込まれていくという夫婦だったんですけど、本当に魂を削って演じている俳優部の姿というのはものすごく印象に残っています。

アプローチのしかたはきっとそれぞれにあったと思うんですけどね。
Q.事件現場では、何人かの村人が「この人たちは日本人だから殺しちゃいけない」と止める側に回っています。それに対する行商の親方のせりふも印象的ですが、このシーンは演じていてどう感じましたか?
井浦
そのシーンは見る方たちに問いかける大事なシーンだと思うんです。

もちろん「日本人だから殺しちゃいけない」というのはものすごく引っかかる言葉ですよね。

あのセリフをなぜ2人が、あるいは他に止めようとしていた人たちが言ったのか。

あの状態で「この人は人間だから殺しちゃ駄目なんだ」という言葉が通じるのか。

普通じゃない、冷静ではいられない状態になっている人たちに対して、いったいなんの言葉が耳に入っていくのか。

そういうことも考えさせられるセリフ、シーンですよね。
Q.この事件も含め、関東大震災直後に多くの人が殺された歴史を、映画を通して伝えることの意味についてはどう考えますか?
田中
『福田村事件』を知ることで、これまでこういうところで自分も差別をしていたのかもしれないとか、感じることがきっと何かしらあると思うんですね。

映画を通して100年前の事件を伝えられる、知ってもらえる、その映画の力をすごく今回は感じています。

やっぱり映画はいいなと。

知らなかったことを知らせてくれたり、事実を映像で表すことによって人に見せられたりする。

映画の可能性を感じる作品で、そこもすごくうれしかったです。
井浦
僕も作品を通して、戦争や差別というものがやっぱり愚かなことなんだなということをよりいっそう強く、深く、あらためて感じることができました。

どの時代でも必ず争いや差別というものが起きていて、いつの時代になればそれを変えていくことができるんだろう?と考えさせられましたし、未来の人たちに、戦争や差別のない状況をパスしていけたらすてきだろうなとか、そういう気持ちになりました。

今回、お仕事をいただいて初めて福田村事件というものを知ったんですが、この先生きていくうえで、この歴史を知らないでいるよりも、知っている方がきっと意味があると思うんです。

もちろん、苦しい気持ちになったりもしますけど、ちゃんと知るからこそ、未来がちゃんと見えるんじゃないのかなと。

この映画が見る方たちにとって、どんなきっかけをもたらすのか、とても興味があります。
Q.100年前のこの事件を、現代の私たちが見る意味は-?
井浦
やりを持って人をあやめてしまったりとか、差別やいじめ、村八分があったりとかするんですけど、実はそれらは100年後の今も根本的には何も変わっていなくて。

戦争だってまだ起きていますし、今はスマートフォンで、いわゆるネットでの暴力がどんどん広がってしまっている。

当時村で起きていたようないじめや差別も、学校や会社というより小さなコミュニティーのなかで起きています。

映画としては100年前の時代劇なのに、僕らが体験して感じたことというのは、今、僕らが生きているこの社会で起きていること、感じることとまったく変わっていないという印象があります。
田中
私も現代と重なり合う部分はたくさんあると感じていて、これから日々過ごすなかで、何か自分の人間形成や、日常の何気ない行動などにも影響があると思うので、すごく出会えてよかった作品だと思います。

福田村事件では、関東大震災の後でみんなが混乱しているなか、新聞が届かなかったり、電話がつながらなかったりして、そのときに、口頭で「こうらしいよ」と悪いうわさを流す人たちがいて。

そのなかで「みんながこう言っていたから」と集団で間違った方向にバーッと流れていくというのは本当に怖い、恐ろしいことですけど、それもまた人間らしいというか、人間だからこそ起こり得たことだと思うんですよね。

一方で、いま私たちが生きているなかで、自然災害やコロナなど、本当に何が起きるかわからないなか、むしろ今度は情報が逆に飛び交っているんですよね。

情報がたくさんあって、不安だから見てしまうけど、なかには不確かなうわさもある。

そういう状況の中で混乱してしまうのは、それもまた自然なことだと思うんですよね。

だから少し距離を置いてみるとか、自分自身で意識を持たないとすごくその混乱の中に自分から突入してしまうのではないかと思います。

私は自分の子どもを守るので精いっぱいですけど、そういう情報があるということを意識するとか、自分にできることを日々やっていきたいと思いますね。
Q.誤った情報に流されて集団で人を傷つけるということは現代でも起きていますが、そうならないためにはどんなことが大切だと思いますか?
井浦
やっぱりその情報が真実なのか、フェイクなのかをちゃんと見極める目を個人個人が養わないといけない、そういう時代になってしまっているんだなと思います。

うのみにし過ぎると、何か大きな力に引っ張られてしまったり、巻き込まれてしまったり、結果的に福田村事件のように何かに流されてしまったりする可能性もある。

だから僕らは、ちゃんと自分で見極める力を養っていかなければいけない、そういう場に立たされてしまっているんだと思います。

そういう意味でもこの映画を1人でも多くの人に見てもらって、こういうことが100年前にあったと知ってもらうことが重要なんだと思います。

悲しいけど、人を傷つける、ダークサイドに転がるというのは、本当に簡単なことですよね。

状況によって人間は動物的にもなってしまう。

でも逆を言えば、助け合ったり、許し合ったり、認め合っていく方向にも転がっていけるはずですよね。

もともと人間にはその感覚がある。

映画だったり、ドラマだったり、本だったり、新聞だったり、何かのきっかけでポジティブな方向に広がっていく、そういうことが当たり前にできる社会になっていって欲しいなと思います。
Q.最後に、改めて今回の映画の見どころを教えてください。
田中
森達也監督の初めての劇映画ということも一つの見どころだと思いますし、出演者の皆さんも本当にいろんな思いを持って集まって、森監督の下で映画を作りたいと思った方が集まっている作品です。

本当に仕事として来たという方は一人もいないような、皆さん一人一人が強い気持ちを持って一つの場所に集まった、そんな作品なので、ぜひ見届けていただきたいです。
井浦
スタッフさんはもちろんだけど、俳優部もなかなか見たことのない顔ぶれが集まっていますからね。

この人とこの人はどんな芝居をするんだろうとか、どんな共演のしかたをするんだろうと、僕は最初にキャストを見たときにすごい猛者たちが集まったなと思いました。

俳優たちの生きざまが現れたような、そんなお芝居のぶつかり合いというのも見どころの一つじゃないのかなと思います。

作品を通して、答えを提示するのではなくて、誰かの何かのきっかけになれば僕らは仕事のかいがありますし、何かを感じてもらったりとか、反面教師にしてもらったりとか、それこそ心が傷ついたりとか喜んだりとか、そのために僕らはこういう作品をつくっている。

自分たちの主義や思想とかそういったものじゃなくて、こういう映像作品を通してみんなで考えるきっかけをつくっていければいいなと思います。
二人が「現代にも通ずる問題」と語った福田村事件。

私たちはこの歴史から何を教訓にすべきなのか、社会心理学が専門の東京女子大学・橋元良明教授に聞きました。
「災害などの混乱のなかでは、人は自分の解釈に合う情報に飛びつき、それを他者に伝えることで不安や緊張をなくそうとします。この心理は過去も現在も変わらないものです。流れてくる情報が本当に信頼できるものなのか、情報に対する批判能力を養うことが必要です。

また、集団になることで加害側に陥るというのは、誰にでも起こりうることです。関東大震災後のような直接的な暴力でなくとも、現代ではネット上の集中バッシングによって命を落とすケースもあります。その背景にあるのは、社会にはびこる差別意識や他者に対する敵対感情です。社会全体としてそうした状況を改善していくことが求められると思います」
おはよう日本ディレクター
渡邊覚人
2015年入局
横浜局、福岡局などを経て2021年から現所属
ヘイトスピーチや人種差別、環境問題などを取材