阪神の選手らが横田慎太郎さん悼み 甲子園球場で黙とう

プロ野球、阪神の元選手、横田慎太郎さんが亡くなったことを悼んで、阪神の選手たちは19日、甲子園球場で黙とうをささげました。

阪神によりますと、横田さんは18日、脳腫瘍のため28歳で亡くなりました。

甲子園球場では19日、半旗が掲げられ、阪神の1軍の選手たちが午後から練習を行いました。

選手たちは練習の前に、横田さんが現役時代に守っていたセンター付近に集まり、横田さんを指導した平田勝男ヘッドコーチや同期入団の岩貞祐太投手などが黙とうをささげました。

このうち平田ヘッドコーチは何度も涙を拭う様子がうかがえ、横田さんとの別れを惜しんでいました。

甲子園球場 ファンからも悼む声

また、甲子園球場の周辺を訪れていたファンからも横田さんが亡くなったことを悼む声が聞かれました。

大阪の40代男性は「2軍で練習している時から見ていたので悲しいです。何事もはつらつと全力で取り組む姿勢を見習いたいと思っています。天国でも野球してほしいし、僕たちも絶対忘れません」と話していました。

野球をしているという中学3年の男子生徒は「『奇跡のバックホーム』が印象に残っています。病気と闘う中でのプレーに勇気づけられました」と話していました。

地元兵庫の50代の男性は「横田さんのプレーから、今を一生懸命生きていこうという思いを感じました。少し遠いところに逝ってしまいましたが、チームに優勝してもらって一緒にビールかけしたいので、見守っていてほしいです」と話していました。

鹿児島実業高校 指導した監督やチームメートは

横田慎太郎さんを高校時代に指導した鹿児島実業高校の宮下正一監督は、「『奇跡のバックホーム』のときも、あれだけ1軍選手が集まってくれて最後、引退試合ができたことも奇跡。人との付き合い方、接し方が皆さんに評価されていたのだと思います」と振り返りました。

宮下監督は5月中旬に横田さんの父、真之さんから、「最長2週間かもしれない」と言われて、神戸市内の療養施設に行って会ったのが、教え子との最後となったということです。

その時のことについて宮下監督は「酸素マスクもしていたので、話ができる状況になかったです。慎太郎の顔を見ていたらどうしても涙が止まらずに泣いてしまい、『復活しろ』という気持ちは伝えてきたつもりでした」と話しました。

鹿児島実業の同学年で、横田さんと一緒に甲子園を目指した福永泰志さんは「きのう夕方、亡くなったと聞いてすごく鳥肌が立ち、ことばが出なかったです。去年12月に講演をしている横田に最後に会った時は元気な姿だったのでびっくりしています」と話しました。

福永さんは高校時代は横田さんと同じくピッチャーと外野手でした。打順も3番と4番で競い合ったライバルだったということで、「負けたくない気持ちを高校3年間、ずっと持ち続けていました。一緒に野球ができたのは、すごくうれしかったですし、思い出です」と当時を振り返りました。

そのうえで、「本当に早すぎると思いますが、闘病生活は最後の最後まで苦しみながら頑張っていたと思うので、今はゆっくり休んでねという思いです」と話していました。

横田さんの母校の鹿児島実業は夏の甲子園出場を目指して、21日に神村学園との全国高校野球鹿児島大会の準決勝に臨みます。

宮下監督は「慎太郎、お疲れさま、本当にありがとう。感動をいただきましたと伝えたいです。今、大会中で、後輩たちも頑張っているので、天国の慎太郎にいい報告ができるように頑張っていきたい」と話していました。