南阿蘇鉄道 あす7年ぶり全線で運転再開 観光客増加など期待

熊本地震で大きな被害を受け、一部の区間で運休が続いていた南阿蘇鉄道は、15日、7年ぶりに全線で運転を再開します。
地震のあと利用者数が落ち込んでいた鉄道は、熊本の都市圏とも結ばれることになり、住民の利便性向上や観光客の増加が期待されています。

熊本県高森町の高森駅と南阿蘇村の立野駅を結ぶ南阿蘇鉄道は、7年前の熊本地震で線路が崩れるなど大きな被害を受けて、一時全線で運休し、これまで一部の区間での運転が続いていました。

運休していたのは全線のおよそ6割にあたる南阿蘇村の中松駅と立野駅のおよそ10.6キロの区間で、ことし3月までに復旧工事が終わり、訓練運転などの準備を経て、15日、7年3か月ぶりに全線で運転が再開されます。

これに合わせて、南阿蘇村に隣接する大津町にある、JRの肥後大津駅への乗り入れも始まり、JR豊肥本線への乗り換えで熊本駅へのアクセスが改善されます。

南阿蘇鉄道は地震後、年間の利用者の数が地震の前の1割から3割程度にまで落ち込んでいますが、熊本の都市圏とも結ばれることになり、沿線の住民の利便性向上や観光客の増加も期待されています。

南阿蘇鉄道は「地震発生当初からいただいた、たくさんの応援のおかげで、全線での運転再開を迎えることができました。心待ちにしていた地元の人や学生、外国人観光客など、多くの人に足を運んでもらいたいです」と話しています。

15日の始発は、高森駅で午前6時、立野駅で午前7時20分に、それぞれ出発する予定です。

運転士の男性「たくさんの応援あったからこそ」

南阿蘇鉄道の運転士、山本英明さん(28)は、熊本地震が起きる前の年の2015年、阿蘇地域の自然豊かな環境に魅力を感じて入社しました。

翌2016年3月に運転士としての仕事を始めましたが、そのやさきの4月に熊本地震が起き、3か月余り、全線で運休が続きました。

山本さんは「衝撃でした。地震の直後は事務や掃除をするしかなく、軽トラックで各駅を回って駅周辺の掃除をしていました。お客さんが乗せられないという状況が何よりきつかったです」と振り返りました。

山本さんは地震のあと、SNSに会社の公式アカウントを設け、南阿蘇鉄道の魅力や関連するイベントの情報を発信してきたほか、季節ごとには特別列車を運行し、乗客を呼び戻す取り組みにも力を注いできました。

地震のときは若手だった山本さんですが、今は先輩となり、後輩への指導や広報、運転再開に向けた事務など重要な仕事を担ってきました。

7年3か月ぶりに全線での運転再開となる15日は、高森町の高森駅で乗客を出迎える「駅長」を担当する予定です。

山本さんは「たくさんの応援があったからこそ、全線での運転再開にこぎつけたと思います。うれしく思いますし『ようやく』ということで、お待たせしたと思います。地域の人がいてこその南阿蘇鉄道なので、地域の人に楽しんでいただけるというのを大事にしたいです。『阿蘇』という観光地で仕事をする上では、お客様に満足していただけるようにしていきたいです」と話していました。

地震後の南阿蘇鉄道

南阿蘇鉄道は、熊本県高森町の高森駅と南阿蘇村の立野駅の17.7キロを結ぶ鉄道で、昭和61年に国鉄から第三セクターとして引き継ぎ、開業しました。

開業後まもなく、観光トロッコ列車の運行も始まり、地域の人たちの移動手段としてだけでなく、観光資源としての役割も担ってきました。

7年前の4月16日に起きた熊本地震の本震によって、線路が流失したほか、トンネルの内壁が崩落し、鉄橋が損傷するなど大きな被害を受け、全線で運休しました。

3か月後の7月には、大きな被害がなかった高森駅と中松駅の7.1キロの区間で、部分的に運転を再開しました。

しかし、運行本数は地震前のおよそ4分の1と大幅に減った上、熊本市方面との接続も断たれたことなどから、地震が起きた2016年度の利用者の数は、前の年度に比べ8割以上落ち込みました。

利用者の数はその後も、地震が起きる前の1割から3割程度の水準が続いています。

全線の復旧に向けては、南阿蘇村の長陽駅と立野駅との間にある「第一白川橋梁」の架け替え工事や、2つのトンネルの工事が必要となり、費用は合わせて67億1000万円余りにのぼりました。

このうち97.5%を国が、残りを地元の自治体が負担する形で、ことしの3月までおよそ5年間かけて、すべての工事が完了しました。