武力衝突から3か月 日本のスーダン人家族 平和への願い

武力衝突から3か月 日本のスーダン人家族 平和への願い
「これまで平和に生活してきたスーダンで戦闘が起こるなんて、考えたこともありませんでした」

スーダン人の母親と2人の子どもは、軍と準軍事組織の武力衝突によって、穏やかだった生活が一変したと話します。

スーダンから4日間かけて夫・イザットさんのいる日本に避難。今は4人で平和に過ごしていますが、祖国で危険と隣り合わせの両親や友人らの無事を祈り続ける毎日です。

突然の戦闘から3か月。「争いからは何も生まれない」というイザットさんらの苦しい胸の内や、平和への思いを取材しました。(鳥取放送局 記者 土方薫)

祖国の状況に胸を痛める毎日

イザットさん
「スーダンに残った両親や親戚は今は無事ですが、あした彼らの身に何があるかわかりません。いつもスーダンでは何かしらの事件が起こっています」
鳥取大学乾燥地研究センターの客員教授 イザット・タヒルさん(57)は、思い悩んだ様子でこう話しました。

5月末に日本に避難してきた妻ウメイマさん(54)、息子アハムドさん(20)、娘アーヤさん(19)らと、SNSや親戚との電話で日々のスーダンの状況を知っては胸を痛めています。

小麦の栽培技術を学ぶため来日

イザットさんは2001年、鳥取大学に留学生としてやって来ました。

スーダンはアフリカの北東部に位置し、日本の約5倍の国土に4500万人余りが暮らしています。近年は人口増加で主食のパンの需要が高まっていますが、暑さや乾燥から小麦の増産は限られていました。
スーダンの過酷な環境に耐えられる小麦を開発し、食糧難を解消させるのがイザットさんの目的でした。

教授から指導を受けながら栽培方法を研究し、スーダンに帰国してそれを実践していきました。2005年には鳥取大学で博士号も取得しました。
昨年秋、再び日本にやってきて研究を続ける中、年が変わった4月15日に大きなニュースが祖国から飛び込んできました。

軍と準軍事組織の武力衝突です。

首都を中心に戦闘広がる

首都ハルツームを中心に戦闘が広がっていて、280万人以上が国内外での避難生活を余儀なくされるなど、周辺国を巻き込んだ人道危機が深刻化しています。
祖国の武力衝突のニュースを知ったイザットさんは、すぐに妻ウメイマさんや2人の子どもと連絡を取って無事を確認しました。

しかし、翌日からは連絡が取りづらくなったといいます。
イザットさん
「家族や親戚が住んでいる地域で何かが起こっているのに、連絡を取ろうとしても取れない。現地の厳しい状況をたくさん耳にするのに、自分は家族を守るためのことが何もできず無力なのは、本当につらかったです」

戦闘の渦中で過ごした4日間

イザットさん一家の自宅は、首都ハルツームから180キロほど離れた街にあります。

ウメイマさんたち3人は衝突が起きた日、たまたまハルツームの親戚の家を訪れていて戦闘を目撃していました。一生忘れられない経験だったと振り返ります。
息子・アハムドさん
「朝6時か7時くらいだったと思います。大きな爆発がしたような音がしました。銃声もしました」
妻・ウメイマさん
「これまでずっと平和に生活してきたハルツームで衝突が起こるなんて、誰も考えたことがありませんでした。本当の戦闘が起きて怖かったです。ベッドの下に隠れたり、何かにくるまったりして乗り切ろうとしました」
4日後、3人は運良くハルツームから逃れて、自宅に戻ることができました。

出国を決意 空港まで緊迫の16時間

その後も衝突は収まる兆しが見えないことから、3人はイザットさんのいる日本に避難することを決意します。

しかし、常に危険とは隣り合わせ。

自宅のある街から、ポートスーダンの空港まで16時間のバスでの移動も過酷なものでした。
妻・ウメイマさん
「16時間が60時間のように感じられました。とてもつらく、長い道のりでした」
ほとんど停車することなく、険しい道のりを走り続けたバス。

道中、窓ガラスが割れる事故にも見舞われました。

それ以外に何回も兵士に身分証明を求められるなど、緊張の時間が続きました。
飛行機を乗り継ぎ、3人が鳥取にいるイザットさんに再会したのは、スーダンを出発してから4日後のことでした。
イザットさん
「再会したときはいろいろな気持ちが入り交じっていました。やっと会えて嬉しいという気持ちがある一方、この困難な状況の中でこれまで家族に寄り添えなかったことへの申し訳なさを感じました」
再会にいったん胸をなで下ろしたイザットさん。片や気がかりなこともありました。
イザットさん
「4人の家族としては、こうやって安全な場所で今一緒に過ごせています。でも母親、父親、兄弟姉妹、みんながスーダンにいるんです。大切な人の身に何があってもおかしくないと思うと心配でなりません」

家族の無事を祈るほかの留学生たち

鳥取大学で家族の無事を祈りながら不安な日々を過ごしているのは、イザットさんたちだけではありません。

大学には9人のスーダン人の研究者や留学生が在籍していますが、みな同じ心境だといいます。

鳥取市内で妻と2人で暮らすアミールさん。家族は首都ハルツームの西にあるダルフール地方に住んでいます。ここでも激しい戦闘が起こるなどしています。
アミールさん
「自分の今の感情を表現するのは難しいです。毎日毎日電話をかけ続けて、家族の無事を祈っています」

拠り所はスーダン人コミュニティー

イザットさんやアミ―ルさんたちの心の拠り所になっているのは、大学のスーダン人コミュニティーです。

これまでも研究の合間に集まって話したり、お互いの家を行き来したりして異国の地で支え合ってきました。
アミールさんの妻の親戚が亡くなったとき、夫妻を支える大きな力になったのもこのコミュニティーでした。
アミールさん
「仕事のあと、みんなが家に来てしばらく一緒にいてくれました。妻にとっても大きな支えになったと思います。『あなたはひとりではない、一緒にいるよ』と言ってくれて心強かったです」
イザットさん
「誰かが問題を抱えているとき、こうやって集まって少しでも気持ちが和らぐようにしています。お互いに気持ちを分かち合うことが大切だと思います」

停戦後はリーダーとして

イザットさんらにとって、大学の人たちの存在も大きいと言います。
鳥取大学乾燥地研究センターでイザットさんとともに研究を進める辻本壽教授(分子育種学)らは、国際協力機構(JICA)から入るスーダンの情報をイザットさんらに伝えています。

また、5月下旬にイザットさんの家族がスーダンから日本に避難する際には、航空券を手配するなどサポートしました。

不安を抱える彼らを少しでも励ましたいと、地元のお祭りにも誘いました。
「こんな時に声をかけていいものか」と悩んだという辻本教授ですが、参加者は時折笑顔を見せるなど、貴重な息抜きになったといいます。
鳥取大学乾燥地研究センター 辻本壽教授
「今は大変な状況ですが、ここで研究している食料分野はスーダンではとても重要な産業です。このような分野のリーダーとして、スーダン停戦後の復興に努めてほしいと思っています」

国の再建に尽くしたい

現在、イザットさん家族は、もともとイザットさんが暮らしていたマンションに身を寄せています。

イザットさん以外は車の運転ができず、平日の外出は難しいといいます。

子どもたちは武力衝突前はスーダンの大学に通っていましたが、今は基本的に自宅で過ごしています。
娘・アーヤさん
「スーダンを去って友達と離れ離れになるのはとてもつらいことです。でも、この状況をどうすることもできません。状況がよくなるようにただただ祈り続けています」
妻・ウメイマさん
「スーダンの家族のことをとても心配しています。何もないことを祈って早く状況がよくなることを願うばかりです」
研究を続けるイザットさんは、国の再建に向けて決意を強くしています。
イザットさん
「朝起きたら衝突が終わっていたらといつも思います。争いからは何も生まれません。まずは平和な生活を取り戻して、そこから国を立て直していきたいです。自分のできる限りの力で、再建に尽くしたいと思っています」
鳥取放送局記者
土方薫
令和4年入局
今年4月に鳥取局赴任
事件・事故の取材を主に担当