つかなかった「既読」

つかなかった「既読」
「家のほう大丈夫?」

「ひなんしたー?」


2018年7月6日の夜に、中学生の女の子が同級生に送ったメッセージです。いつまでたっても既読がつかないのは、きっと、避難先でスマホの充電がなくなってしまったからだろう。あるいは、いろんな人から連絡が来てまだ見ていないだけかもしれない。そう信じていました。
(広島放送局 記者 大石理恵)

「山から水が出ている」

広島で暮らす伊藤ゆうきさん(19)は、5年前に起きた西日本豪雨を忘れることができません。
2018年7月6日。

中学2年生だったゆうきさんが住んでいた広島県熊野町では、夕方から雨が強まりました。
母親の車で習いごとに向かったものの、母親が「山から水が出ているから危ない」と言って、すぐに山から離れた自宅に引き返しました。

山沿いの幼なじみが

午後7時40分。広島県などに大雨特別警報が出されました。

防災サイレンの音もかき消されるほど激しく雨が降る中、ふと気になったのは、山沿いに住む幼なじみの同級生2人のこと。

小学校のころ、家庭訪問をした担任の先生が「あの付近は大雨が降ったら心配だ」と言っていたのを思い出したからでした。
「家のほう大丈夫?」

「ひなんしたー?」
ゆうきさんが2人にLINEのメッセージを送ったのが午後8時から9時ごろ。

その頃、山沿いの地域では、大規模な土砂災害が発生したと見られています。

ゆうきさんが送ったメッセージは、いつまでたっても「既読」がつきませんでした。

きっと避難先でスマホの充電がなくなってしまったからだろう。あるいは、いろんな人から連絡が来て、まだ見ていないだけかもしれない。そう信じていました。
しかし、2人はその後、亡くなっていたことがわかりました。

降り始めからの雨量は473ミリに達し、町内だけで12人が犠牲になりました。

体重が7キロ減って

ゆうきさんは、被災を免れましたが、幼なじみが亡くなった現実を受け入れられず、食事がとれなくなりました。
ゆうきさん
「まだどこかで2人が生きているかもしれない、私だけごはんを食べていいのかなって」
気付けば体重は7キロも減っていました。
お通夜で、亡くなった友達のお父さんと話した時「いまはもうお父さんしかいない。本人はいない」そう実感して、悲しみが込み上げました。

周りを見渡すと、大切な家族を失った人、大切な家を失った人…。

傷ついた人たちの様子を見て、ゆうきさんは、少しでも助けになりたいと、友達とともに復旧支援のボランティア活動に手をあげました。

しかし、行方不明者の捜索が続く中で、中学生は参加することができませんでした。
ゆうきさん
「『まだ見つかっていない人もいるから、中学生はごめんね』と言われて。力にもなれないんだと、無力感でいっぱいでした」

ピアノから防災へ

災害が起きるまで、ゆうきさんは音楽の道を志していました。
4歳で始めたピアノは、全国コンクールで上位に入賞するほどの実力でした。

中学1年生のときには「ショパン国際ピアノコンクール」のアジア大会で銀賞を受賞。将来は音楽の道に進むのが自然なことだと考えていました。
ゆうきさん
「私は、あまり明るい性格ではなくて人見知りも激しいんですが、ピアノは性格とか関係なく、自分が表現したい音を奏でられる。そこが魅力でした」
しかし、犠牲になった友達のことを考えるうち、音楽への志とは別の思いが芽生え、膨らんでいきました。
ゆうきさん
「災害の被害を少しでも減らしたい。人の命を守るための仕事ができたらいいなと思うようになりました」
母親に相談すると、広島県内に防災を専門的に学べる学校があることを教えてくれました。
こうして、ゆうきさんは呉工業高等専門学校へ入学しました。

高専といえば、知っていたのはロボコンくらい。少し前までは進学先として考えたこともありませんでした。

「災害時に人の役に立てる人材になりたい」
「被害を減らしたい」

そういう思いが、音楽への夢を上回りました。

被災地の子どもに防災を

ゆうきさんは、環境都市工学科で、まちづくりやインフラ整備について勉強をしています。

取材したこの日は「水理学」という、川や水路などでの水の流れ方を専門的に学んでいました。
4年生になったいま、特に力を入れているのが、外部講師として地元の子どもたちに防災を教える活動です。

高専の「インキュベーションワーク」という、学生が主体的に立案・実行する授業の一環で行っています。大学でいうゼミのようなものだそうで、同級生5人と取り組んでいます。
教える相手は、呉市・天応地区の中学生。

天応地区もまた、西日本豪雨で土砂災害が起き、大きな被害が出ました。
梅雨の中休み。日ざしが照りつける暑さの中、ゆうきさんは生徒と一緒に、1時間かけてまちを歩き、災害時に危険な場所がないかを確認しました。

生徒の中には西日本豪雨で、自宅が被災した子どももいます。
「どのあたりまで浸水したか覚えてる?」

ゆうきさんは、当時まだ幼かった子どもたちの記憶をさりげなく聞き出しながら、1つでも多くのリスクに気付いてもらおうとしました。

どこにでもありそうな路地だけど…

大雨だけではなく、地震や津波など、あらゆる災害のリスクを見つけてもらうのもねらいです。

子どもたちが素通りしようとした場所で、伊藤さんが気付いて足を止めました。

どこにでもありそうな路地ですが…。
ゆうきさんは、道幅が狭く、もし両脇の住宅が地震で倒れたら、車いすの人が通れなくなるおそれを指摘しました。

お年寄りや障害のある人のことを日頃から考えておくことで、いざという時に命を助けられる可能性が高まることを伝えました。

一緒に歩いた中学生に話を聞いてみると…。
中学生
「自分で考えるきっかけをもらいました。危険なポイントを地図に落とし込んで、地域の人にも見てもらえるようにしたいです」
「さまざまなリスクをみずから把握して備える」

ゆうきさんが教えたい防災の基本は、さらに若い世代にもちゃんと伝わっている様子でした。

これ以上、犠牲者を出さないために

ゆうきさんは卒業後は、大学院へ進み、将来は土木エンジニアや研究者などとして防災の第一線で働きたいと考えています。
ゆうきさん
「友人を失った傷は、ご遺族のそれとは比べものにならないですが、やはり一生、私の中に残り続ける傷です。防災への意識は、これからも自分の中で風化することなく、持ち続けると思います。人の命は失ってしまったら取り戻すことができない。だからこそ、一番前に立って防災を引っ張っていけるような人材になりたい」
西日本豪雨から5年。
19歳になったゆうきさんは、みずから選んだ道を、力強く歩んでいます。

取材の最後に、ゆうきさんにたずねてみました。

亡くなったお友達に、もし現状を報告する機会があるとしたら、どう伝えますか?

ゆうきさんは、さみしそうに、でも少しはにかんだ表情で、こう答えました。
ゆうきさん
「ピアノも楽しいけど防災の仕事をしたいと思うようになったよ。これ以上、犠牲者を出さないために頑張るよ」
広島放送局 記者
大石 理恵
広島県出身
ネットワーク報道部などを経て2023年春から2度目の広島勤務
土砂災害は怖いけど、山や川が見える地元の風景に癒やされています