イニエスタの素顔に迫る~番記者が語る秘話

イニエスタの素顔に迫る~番記者が語る秘話
サッカー界の至宝、アンドレス・イニエスタ選手が、5年間所属したJ1のヴィッセル神戸を退団しました。

ワールドカップでの優勝など、強豪のスペインを代表する選手として、すべての栄光を手にしたと言ってもいいイニエスタ選手が日本で何を残そうとしたのか。取材を続けてきた担当記者の秘話とともに知られざる素顔に迫ります。
(大阪放送局 記者 福島康児)

“aprendizaje=学び”

私がイニエスタ選手を追い始めたのは、大阪放送局でスポーツを担当することになった2020年の夏でした。
これまで6回、単独インタビューをさせてもらいましたが、その中で、イニエスタ選手が好んで使うのが「aprendizaje=学び」ということばです。
イニエスタ選手は卓越したテクニックと類いまれなセンスでヴィッセルを引っ張り、2020年元日に決勝が行われた天皇杯でチームに初のタイトルをもたらしました。

しかし、この年に挑戦したACL=アジアチャンピオンズリーグで、右ふとももに選手生命を脅かすほどの大けがを負ってしまいました。
歩くこともできない状況から始まった5か月に及ぶ厳しいリハビリについて、イニエスタ選手は「美しい学びの日々」と振り返ります。

家族やスペイン時代を含めたチームメート、さらに医療スタッフなど、多くの人たちと心を通わせて、自身が何をすべきか、見つめ直す時間になったからだと言います。
イニエスタ選手
「リハビリの過程で最もよかったのは、周りとうまく理解し合えたことだ。共通の目的を他人と共有するのは難しいが、それができたときに大きなことを成し遂げられると学んだ。大切なことは常に経験から多くのことを学び、そしてそれを今度は自分が周りに与えることだと考えている」
こうした学びの姿勢は、イニエスタ選手が大切にしてきたサッカーの普及活動でもかいま見えます。

退団を発表したあとの6月、地元の小学校を訪れたイニエスタ選手は児童から「サッカーをしていてよかったことは何ですか」と尋ねられました。
イニエスタ選手
「いろんな考え方を持つ友達と出会い、ともに何かを成し遂げることで人として成長できることです。勝ち負けの先にある成長をつかめるように努力してほしい」
あまりのレベルの高さから華麗なプレーに目が行ってしまいますが、イニエスタ選手は、サッカーをプレーすることは“目的”ではなく、人生に必要なことを学ぶ“手段”と考えているのです。

キャプテンとしてのこだわり

もう1つ、イニエスタ選手が大切にしてきたのはキャプテンとしての役割です。
ヴィッセル神戸では来日2年目の2019年のシーズンの途中から務めてきました。

イニエスタ選手は、キャプテンという立場について「チームメイトに対しても、クラブに対しても、さらにサポーターに対しても“責任”を象徴するポジションだし、いつもチームのために何をすべきかを優先して考えてきた」と話します。
チームが降格の危機にあった昨シーズンの終盤には、みずから呼びかけてミーティングを開いて選手どうしが思いを打ち明け合える場を設け、チームがJ1に残留する道筋を作りました。
元日本代表 武藤嘉紀 選手
「今までバルセロナやスペイン代表でやってきた選手が神戸に来て、自分のプレーについてきてくれないいらだちもあったと思う。それでも、そのいらだちを表に出さず、常にチームのために、私生活も含めて自分たちのことを気にかけてくれた」
元日本代表 酒井高徳 選手
「自分もドイツのクラブでキャプテンをしていた経験があるが、異国の地でその国の選手たちを集めてミーティングを開くことは、文化や考え方が違う中で本当に覚悟がいること。そんな中でも今チームに必要なことを考えて実行してくれたおかげで、チームがまとまっていった」
イニエスタ選手は、自身が日本で立ち上げたサッカー用品のブランドを「Capitten」と名付けています。

スペイン語でキャプテンを意味する「Capit※an」と日本語の「縁(en)」を組み合わせたもので、それだけキャプテンにこだわりを持っていることがうかがえます。
(※「a」の上に「点」)

取材活動の中でも…

取材活動の中でも、そうした一面を感じたエピソードがあります。

初めてのインタビューのときです。
世界のスーパースターに直接話を聞ける貴重な機会だと、私はスペイン語の短いあいさつを暗記して臨みましたが、本人を目の前にすると極度の緊張から頭が真っ白になってしまいました。
そんな様子を察したのか、イニエスタ選手は、移動するエレベーターの中で「オチツイテ!ガンバッテ!」と日本語で語りかけ、肩をポンとたたいてくれたのです。

人の心のうちを察する力にたけた人物だと、すぐにわかりました。
さらに去年のワールドカップカタール大会では現地から開会式の中継に出演してくれることになりました。

ただ、当日、スタジアムに向かう道は大渋滞。

会場到着が放送の直前となってしまったのです。

案内役だった私は「走りましょう」とは、とても言えない心境でした。

こうした中、状況を察したイニエスタ選手がスタジアムの入り口からスタジオまで率先して走ってくれました。
ピッチ内外問わず、強い責任感と自身に関わる人たちを大切にする器の大きさを感じた瞬間でした。

残したかったのは“姿勢”

イニエスタ選手は、神戸での5年間を人生における“旅”とも表現します。

その旅路でイニエスタ選手は何を残そうとしたのか。

去年のインタビューに、その思いが凝縮されたことばがありました。
イニエスタ選手
「タイトル以上に残していきたいのが、私がどんな人間であったかということです。多くの人が私のことを思い出すときにタイトルではなく私の人柄を思い出し、サッカーに向き合う姿勢はもちろん、日常生活から模範的な人間であったと思い出してもらえるように日々を過ごしているのです」
さらに私に向けて、こう続けました。
イニエスタ選手
「あなたの場合も同じです。きっと誰かがあなたのことを考えるとき、誰にインタビューをしてどんな記事を書いたかよりも、あなたがどんな人間だったかを一番に思い出すだろう。だから日々周りの見本となる人間を目指すべきなんだ」

最後の日に粋な行動

7月1日の試合後に行われた退団セレモニーで、イニエスタ選手は予定になかった行動に出ました。
みずからスタンドに上がり、直接サポーターと、ことばを交わしたのです。
当初は、ヴィッセルで引退することを考えていたと明かすイニエスタ選手。

チームの戦術が変わり、出場機会を失っていく中で、シーズン途中で退団を決断したことは不本意だったとも言えます。
それでもそうした決断をしたのは、サッカーを通して、人生でまだ見つけていない何かを探し、学びたいという思いがあるからかもしれません。

間近でスタンドのサポーターに感謝の思いを伝え「また、この場所に戻ってくる」と約束したイニエスタ選手。

再び多くの人たちの見本となり、愛される存在になるはずです。
大阪放送局 記者
福島 康児
2015年入局
名古屋局を経て2020年から現所属
主にサッカー担当
元高校球児でサッカー未経験ですが日々奮闘中です