まず訪れたのは、京都の台所「錦市場」。
市場やその周辺で地元の人らに夏に食べたい食材を聞いてみると…。

京都・大阪で夏にハモ…なんで?
京都や大阪の街を歩くと、料理店の「おすすめ」には「ハモ」の字が。
ハモは、京都の「祇園祭」や大阪の「天神祭」などと強く結びつき、夏の関西には欠かせない食材と言えます。
しかし、なぜ京都や大阪で、しかも、「夏」に「ハモ」なのか。
(なんでなん取材班 大阪放送局 福井瑛子 松浦宏斗 廣瀬奈々美)
京都の人にとって「ハモ」とは

70代男性「夏と言えば、ハモ!食べなあかん」
60代女性「祇園祭はハモのイメージがあって、京都では、小さいころからハモを食べていました」
60代男性「夏になると、スーパーやデパートでハモが並べられるので、買って食べています」
錦市場にあるお店をのぞいてみると、ハモのすしや天ぷら、ハモかつなど、ハモを使った料理がところ狭しと並べられていました。

魚の惣菜店の店員
「いっぱい栄養素が詰まっているので、ハモを食べて元気をつけてもらえれば」

大阪に来て2か月あまりの私(松浦)、大学まで東京で過ごしましたが、これまで一度もハモを食べたことがありませんでした。
大阪でも近くのスーパーにハモが並んでいるのを見て、関西で身近な食材だと感じましたが、職場で聞いてみると、兵庫県や滋賀県で育った同僚では「食べたことがない」という人も。関西でも地域によって濃淡があるように感じました。
ハモについて調べてみると、大阪では一定の漁獲量があり、なじみがある人も少なくないようです。
そこで浮かんだ疑問は、なぜ大阪や内陸の京都でハモを食べる文化が定着したのか、ということでした。
なぜ京都で?
ハモに詳しい専門家によると、京都に都が置かれていた時代、瀬戸内海や福井県などから魚が運ばれていたといいます。

しかし、夏は運んでいるうちに多くの魚が死んでしまったそうです。
ただ、その中でもハモは生命力が強く新鮮な状態で入ってきたため、定着していったと考えられています。
さらに、近海でとれたことも定着した一因と考えられています。
「兵庫より出るものを、上品とす。尼ヶ崎より出るを次とす」
江戸時代後期に刊行された料理本「海鰻百珍(はむひゃくちん)」の中には、こうした記述も残されています。
ハモの調理の“課題”とは…
暑い夏でも新鮮な状態で食べられると当時の人たちに重宝された、ハモ。
しかし、実はある課題があったといいます。

その課題について教えてくれたのは、京料理店で50年にわたりハモを扱ってきた朝尾朋樹さんです。
ハモの生態や調理法を独自に調べてきた朝尾さん。
調理する際の最大の課題は、その骨にあるといいます。

私たちに見せてくれたのは、朝尾さんがおよそ2年かけて作ったというハモの骨格標本。
その骨の数は、実に3421本にのぼります。

あまりの骨の多さから、製作に協力してくれるところを見つけるのにも苦労したといいます。
朝尾さん
「ほかの魚とは骨の数が全然違います。骨の硬さも。ハモの骨は硬いんですよ。ですから切ってるとき、シャリシャリって音がする、硬いから」
ハモの骨の多さを示すエピソードが夏目漱石の小説「虞美人草」にも登場します。京を訪れた人物が次のように述べています。
「毎日鱧(ハモ)ばかり食って腹の中が小骨だらけだ」
このように骨が多いハモを、どのように食べていたのでしょうか。
「骨切り」名人の技
その答えを見せてくれたのは、江戸時代後期創業の京料理店で店主を務める、高見浩さんです。
(※高見さんの「高」は、正しくは「はしご高」です)

高見さんは、毎年この時期には、1日に4、50匹のハモをさばいてきました。
高見さんが披露したのは、「骨切り」です。
皮が残るギリギリまで、包丁を入れ、細かく切っていきます。
その細かさも実に1ミリほどの間隔。
リズムよく無数の骨とともに身を刻んでいきます。

高見さん
「最後の皮のところまで切る。これが一番難しい。皮まで切ってしまうと、全部バラバラになってしまう。幅は1寸(=3.03センチ)に、包丁目が22~23入るぐらいの薄さに切るのが名人の技だ」
現在のレベルに達するまで、15年ほどかかったという高見さん。
ハモをさばいてひじを痛め、病院に行ったところ、医師から「テニスでもしているのですか?」と驚かれたといいます。
高見さん
「体に負担はかかっているが、ハモはうちの看板で、京料理には欠かせない。なんでこれだけ京都の料理人がハモを使うかというと、時期に応じて、ハモと合わす副食材がいろいろ変わるから。ハモの白の色は合わせやすいんです」
江戸時代の料理本「海鰻百珍」の中にも、「骨切り」に関する記述が。

「骨切は腸を取去、よく洗ひて尾の方より、随分こまかに、皮のきれ離れぬほどに深く切目を入て…」
また、「骨切り」には熟練の技だけではなく、道具も欠かせません。

この「骨切り」専用の包丁は重く作られているといいます。お店で使っている包丁の重さを比較してみると、柳刃包丁はおよそ220グラムだったのに対して、骨切り包丁がおよそ550グラムでした。
高見さん
「包丁の重さを利用して、ズバッ、ズバッと切っていく。ほかの包丁では、最後まで絶対切れない」
定着したのは生命力+技術+道具!?
全国の食文化に詳しいフードジャーナリストの曽我和弘さんは、こうしたハモの生態や骨切りの高度な技術、そして、専門の道具が合わさることによって、食文化を育んできたと考えています。

曽我さん
「ハモの骨切りの技を開発して、刃物産業が盛んな堺で骨切り包丁がつくられて、こういう流れがあるから、ずっとハモが関西で食べ続けられていると考えられる」
さらに、関西人の味の好みも関係しているのではないかと指摘しています。
曽我さん
「関西人はものすごい淡白な身が好きなんですよ。だからフグも食べるし、ハモも食べる。そのあたりで、あまりハモを食べる文化のない関東とは違いも出てくるんだと思います」
旬は夏?

そして最後の疑問ですが、なぜ「ハモ=夏」なのか。
祇園祭が別名「ハモ祭り」と言われているように、ハモが夏の魚というのは定着しているように感じます。
しかし、曽我さんはハモの旬は必ずしも夏だけではないと指摘します。
曽我さん
「7月、8月はハモがちょうど子どもを宿しているんですよ。だから栄養をとらんとあかんので、夏場のハモはおいしい。一方で、ハモは冬眠しますが、冬眠する前にエサをたくさん食べるので、その分、太るんですよね。だから冬眠の前の時期もおいしい。旬が2回あるんです」

京都や大阪の人々を魅了してきたハモ。
調べていくうちに多くの疑問が解けた一方、京都や大阪以外の地域や関東などでは、なぜそれほど食べられていないのかという疑問は解決できませんでした。
謎が多いハモをめぐる取材はまだまだ続きそうです。

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